シンプルライフ

成人の日に列島を襲った爆弾低気圧は各地に大雪を降らせたようだ。足元が悪いと言えばこれ以上ない中、それでも振袖姿で成人式に向かう娘さんたちがたくさんテレビに映っていた。みんな大人になるのがうれしくてしょうがないんだね。中には肩丸出しで昔の人が見たら腰を抜かすような「花魁風」着こなしの子もいたが、まあご愛嬌だ。
▼年が明けても忙しい日が続いていたが、ようやく一息ついてブログの更新頻度も上がってきた。昨日は打ち合わせが一件入っていたが、会社には休みを出しておいてアサイチで済ませ、10時には帰宅した。昼ごろまで鳴っていたケータイも徐々に収束に向かう。休みとってて正解だった。お昼にパートから戻ってきた妻と連れだって早速ランチへ。
▼以前入ろうとして定休日だった街中のビストロに向かう。

僕はカレー、妻はグラタン。

グラタンはホタテとカニときのこの他に平打ち麺が入って超うまかった。カレーもまずくはなかったが、お店のカレーは具が少ないのでどうしてもレトルトを想起してしまう。欧風だとなおさらだ。
▼僕らと入れ替わりに若いカップルが出て行き、入れ替わりに同年輩のカップルが入ってきた他は女性客ばかりだ。サラダ(前菜、スープ)メインディッシュ(デザート)コーヒー(括弧内はコースメニュー)と料理が運ばれてくる度に、どのテーブルも例外なくスマホで写真を撮っている。誰ひとり店員に断りもしない。その様子を、若くもないギャルソンが何か言いたげにじっと見ている。
▼めずらしく妻のスマホからシャッター音が聞こえてこないと思ったら、マナーモードにしているそうだ。マナーモードにする前に一言断るのがマナーだろう。彼らの全員がSNSあるいはブログに、撮った写真をアップするのはまちがいない。誰もが自分発信にだけは余念がない。あーあ、なんかブログやるのあほらしくなってきた。
▼歯医者の予約があるという妻とはそこで別れ、僕は映画館へ。今回は「桃さんのしあわせ」

香港の裕福な家庭リャン家に仕えた家政婦桃さんの物語である。
▼リャン一家は既に米国に移住しているが、ひとりロジャーだけが留学先から香港に戻って映画づくりの仕事をしている。ある日ロジャーが仕事で中国本土に行っている間に、桃さんは脳卒中で倒れてしまう。桃さんは「このままうちにいればいい」というロジャーの言うことを聞かず「迷惑をかけるから」と老人ホームに入る。
▼最初僕は映画が、十三の年にリャン家に来てからの桃さんの60年全てを網羅するものだと思っていたが、亡くなる年の一年を追ったものだった。勢い桃さんが入所した彼女以外の老人も含めた老人ホームの描写が多くなり、中国でも社会問題化しつつある高齢化社会や、老いや死をテーマにした映画とも受け取れる。だがこの映画の主人公は、やはり桃さんなのだ。桃さんという一人の人間の生き方がテーマなのだ。
▼この映画は桃さんが倒れてから亡くなるまでの一年をロジャーが回想するものだ。忙しい合間を縫って何度もホームに足を運ぶロジャー。桃さんと同い年のロジャーの母親も米国からお見舞いにやってくる。友人と飲んだ時ロジャーが桃さんに電話するとみんな代わる代わる話したがる。自分が制作した映画の発表会に桃さんを伴うロジャー。家族の記念写真に車椅子の桃さんを招きいれるリャン一家。たった一年のエピソードから、彼女の60年の人生がどんなものだったかが見事に立ち現われてくる。
▼映画は桃さんの市場での買物のシーンから始まる。雇い主のために最高の食材を探すことに余念のない桃さんが毎回冷凍庫に入ることを知る市場仲間は、冷凍庫の温度を目いっぱい下げて彼女を迎える。愚直で一途な生き方が、傍目には滑稽に見えること、いたずらやあざけりの対象になることを作り手がよく理解していることを示すシーンだ。
▼英語題の「A Simple Life」は、小説の神様フロベールの珠玉の小品「A Simple Coeur」を想起させる。「シンプルな魂」の主人公フェリシテもまた、一途に雇い主に仕える「シンプルな人生」の桃さんそっくりの女性だった。僕は女性ではないし、お手伝いさんでもないが、自分なりにシンプルな生き方というものを考えてみたい。そして可能な限りシンプルに生きたいと思った。