東京クライングフリーマン

金曜しとしと雨が降った後、土日厳しい寒さが続き、今日はまた雨降りだ。雨の日の景色にはどこかしら物寂しさが漂う。
▼さて、僕が熱烈フォローしている東京自由人日記。毎週日曜は野方「秋元屋」の口明けから始まる。生ビールがおいしく飲めるようにいつも二駅手前から歩くようにしている自由人さん、前々回は時間調整のため三駅手前で下りていた。そのブログにアップされた中井駅周辺の写真から突然古い記憶が甦った。僕が西武新宿線中井駅を利用したのは、記憶する限り一度だけである。
▼留年二年目の六回生になってから、僕は大学の柔道サークルに入会した。「なんで(今さら)?」「さあ、なんでかなあ」初めてのデートの時、誰もが思う疑問を無邪気に口にする彼女に、僕はうまく答えることができなかった。たぶん無意識のうちに、自分の中で彼女に誇示できるものを必死に探していたのかもしれない。なんといってもそれまでの人生で、僕が真剣に打ち込んだものは柔道をおいてほかになかったのだから。
▼サークル柔道にも年に二回、都内の大学対抗の大会があった。つきあい始めた初夏に行われた試合に、僕は彼女を誘った。彼女は僕のリクエストに応えてお弁当を作ってきてくれた。それが僕たちのデートのピークだった。その試合に、僕のほかにもうひとり彼女をつれてきていた会員がいた。それが彼だった。彼は就職を控えた四年生で、昨日今日入会した僕なんかより会員歴はずっと上だ。
▼ほどなく彼女にフラれた僕は、プッツリ道場に顔を出さなくなる。フラれた当初こそ淋しくて知り合いという知り合いに手当たり次第連絡していたが、すぐに誰からも相手にされなくなった。練習どころかバイトにもマスターの店にも行かず、僕は一日中布団を被って泣いていた。心配した彼から電話がかかってきたのは、もう次の試合も近いそんな秋のある日のことだ。
▼久しぶりに練習に参加した帰り、もうひとりの会員と彼の三人で焼鳥屋に立ち寄った。その頃の僕に酒を飲ませたらひとたまりもない。案の定もうひとりの会員を怒らせてしまった。彼が平成の三四郎の異名をとる古賀稔彦を心酔していて、僕がその古賀の背負投げを評価しないと言ったことは覚えている。ただなぜ彼がそこまで憤慨するのかは理解できなかった。当時の僕は誰彼構わず人が信じるものを否定してかかるのが常だった。よっぽど自分に自信がなかったんだろう。いつものように正体をなくした僕を、彼は自分の下宿に泊めてくれた。
▼どうやって辿り着いたかは覚えていない。まだ彼女とつきあっていた頃のサークルの飲み会では上から目線で彼の恋愛相談に乗ってやったりしていた僕は、その晩彼に彼女にフラれたことを告白したんだと思う。なぜなら僕は当時誰彼構わずその話をしては泣いていたからだ。ただ具体的に何を喋ったかは覚えていない。翌朝彼に「自分が言ったこと覚えてます?」と言われ、「そんな恥ずかしいこと言ったかな?」と意外に思ったことは覚えている。彼は駅までの道順を教えてくれ、僕はすぐに彼の下宿を後にした。冒頭の中井駅の風景はその時目にしたものである。今にも雨が降り出しそうな、まるで冬のように寒々しい光景だった。
▼秋の大会の打ち上げの席で、彼と僕はつかみあいのケンカになった。例によってどうしてそうなったかの経緯はよくわからない。ただ僕は彼にコップのビールをかけるとか、それに類する無礼な振る舞いに及んだのだと思う。僕が交流のあった人たちはみんな優しかったんだな。そうじゃなきゃ今頃とっくに殺されててもおかしくない。
▼みんなにとめられながら、彼は「〇〇っ(僕の名前)オマエはどうしてそうなんだ!なんでいつまでも心を開かないんだっ」というようなことを叫んでいた。僕もみんなにとめられながら、「彼はなんでそんなことを言うんだろう?」と、やっぱり意外に思ったことを覚えている。最後にみんなで肩を組んで校歌を歌った時、僕は泣いていたかもしれない。
▼その晩酔っぱらった僕は、お気に入りのミズノの試合用柔道着を、みんなの試合の模様を撮ってやると言って持ってきた、彼女とまだつきあっている頃に買った一眼レフのカメラもろともどこかに置いてきてしまった。柔道も写真も、僕にとって彼女より大切なものではなかったことになる。要するに僕は自分というものがまるでなかったわけだ。
▼彼と次に飲んだのは、その年のサークルの納会だったと思う。高田馬場蕎麦屋の二階で、引退する四年生が順番に挨拶した。就職する者、大学に残る者、海外留学する者、みな志を持った立派な若者たちだ。僕も立ち上がって挨拶した。「春から大学辞めてエロ本作ります。一年の短い間だったけどお世話になりました」ひと通り挨拶が終わり、それぞれの人の輪に雑談の花が咲いた頃彼が話しかけてきた。「××さん(友人の名前)のこと知ってます?」S商事志望の彼は奇遇にも僕の友人(故人)がリクルーターらしかった。「知ってるよ」と答えたものの卒業以来二年近く音信がない。
▼帰り際、店の前で彼と二言三言言葉を交わした。「あの時はすいませんでした」「いや、あれはオレが悪いのさ」「いえ、やっぱり先輩に対してとる態度ではないと…」どこまでも礼儀正しい好青年である。「じゃあまた…」彼はそう言って歩き出した。そう言って駅の改札で踵を返して去って行った彼女の背中を見送った僕は、それが社交辞令であることを、またなどないことを知っていた。

金曜は明太クリームうどん。煮詰めた方がうまい。

土曜はほうれん草と豚肉のパスタ。