愛がたりない

日本列島には寒気が流れ込んでいるが、車の中は暖かい。三、四日に一度、しっかり雨が降っていたが、今週はずっと晴れマークである。ここ三日冷え込んだが、だんだん暖かくなる予報だ。三寒四温。もうすっかり冬の風情である。
木洩れ日や弱き光の温もりよ
▼今日は週半ばの休日。昨日までに捌ききれなかった懸案の処理を午前中電話で済ませる。単に明日以降に先送りしただけだが。11月4日以来の休みである。これさえ応援の監督が来ているからこその僥倖である。仕事ばかりしているとブログのネタがない。瞬く間に日だけが過ぎていく。それで、いいのかもしれない。直接、主体的に関わっていること以外は、特に自分と関係があるわけではないのだから。
▼こんな本を読んだ。あんな映画を観たなんて、一個人の感想にたいした意味があるわけじゃない。政治や経済や外交について語ろうと同じことだ。どちらがどうということはない。この国は意味のない空虚な言葉に満ち溢れている。実際誰かに届くことのない、何の影響力もない言葉に何か意味があるのだろうか。
▼みなが好き勝手に独り言をつぶやいて、それを自由にモノが言えると勘違いしている。それが今の日本だ。個人の思想や言葉が世間に影響力を与えるような形をとるとどうなるか。それが山本太郎天皇直訴問題である。逆説的だが、彼があんな行為に出たのは、誰も彼の言葉に耳をかそうとしなかったからだ。
▼朝のうちは「映画を観に行こう」などと話していたが、平日に主婦がやることは驚くほど多い。女性はお化粧にも時間がかかる。掃除や洗濯が終わるのを待っているうちに午前の回に間に合わなくなった。今日はヨガの日なので、僕らの晩ごはん(カレー)も準備しなければならない。結局落ち着かないからとランチだけのデートとなった。
▼水曜は定休日の店が多く、目的の和食の店を三つも外したが、ドラフト4位の中華店が大当たり。前菜、点心、メイン、デザートとどれをとっても素晴らしい。




中華ではあるが、盛り付けもオシャレなヌーベルキュイジーヌである。みんなよく知ったものでじき満席に。もう少し遅れたら危なかった。
▼妻も大満足でさっそくフェイスブックにアップしている。女性は現実的であると同時に虚栄心の塊のような生き物である。自分の方がカワイイ、自分の方が若い、自分の方がイケてる、自分の方が幸せという風に、常に自分が一番でないと気がすまない。寒いので妻の機嫌がいいうちに帰ってきた。ダラダラしているうちにあっという間に時間が過ぎる。
▼妻が言う。「私、好き勝手に自由にさせてもらってるけど、これが独身だったらやっぱり寂しいと思うの。愛されて自由っていうのが一番幸せよね」そうこうしているうちに子供たちが帰ってきた。うちの子たちは寒いと不思議に早く帰ってくる。彼らもまた愛されて自由な人の特徴を備えている。屈託がなく安心しきっている。
▼全く顧みられることのない言葉に表現の自由もクソもない。言葉は誰かに聞いてもらってこそ生きる。愛されてこその自由である。

日曜はパスタにサラダ。

月曜はミネストローネにひじきごはんにチーズインチキン。

火曜はふろふき大根にクラムチャウダーにミートグラタン。

そして子供たちとたった今食べたヨガカレーとカボチャサラダ。
願わくばボクログの読者が増えんことを。