新エンゲル係数

この時期にしてはめずらしく二日続いた雨の後は冷たい季節風の吹く厳寒の日々だ。本格的な冬の到来である。これから寒が明けるまでは、ずっとこんな日が続く。今年も残すところあと十日。いよいよという間際まで騒々しいのは毎年のことである。
人の世の慌しさよ年の暮れ
▼昼休みにお弁当を食べていると、作業員からよく「豪華だねえ」と言われる。「おせちみたいだね」とか。前の晩のオカズの残りと、スーパーのお惣菜コーナーのワラジのようなコロッケ、朝作ったのは玉子焼きだけという弁当なのに。みんないったい何食べてんだろと思うが、子供の弁当がない日曜、朝寝したい妻が僕の弁当をサボると、とたんに何を食べていいのかわからなくなる。
▼熾烈な価格競争を繰り広げる牛丼チェーン、最近増えてきた低価格中華料理店、風雲児ラーメンチェーン、セルフ讃岐うどんチェーン、ハンバーガーチェーン、そしてコンビニ。幹線道路の両側に並ぶ中食チェーンのどれにも入る気がせず、いつも車を走らせているうちに時間だけが過ぎてしまう。
▼僕の弁当を褒める作業員たちはほとんど独身である。結婚しているのは親方だけ。残りは家庭を築くだけの日当をもらっていないのだ。彼らは一生なけなしの日給を外食チェーン、あるいはコンビニ弁当とカップラーメンに費やす人生だ。つまりは中食産業の奴隷である。
▼仮に日給を八千円としよう。寮費と光熱費にいくら引かれるか知らないが、酒も煙草もパチンコもやらなければ、一日四、五千円は貯められるかもしれない。月25日×12ヶ月働けば、一年に百万、十年で一千万貯まる計算だ。堅実に生きるとはそういうことだ。ホントかウソか知らないが、そうやって家を建て、青森から母親をよんだという話を現場にきていた作業員から聞いたことがある。だが結婚できるかどうかはまた別の話だ。
▼逆にコンビニによる度にタバコを買い、毎日一杯やり、休みの日にパチンコをすれば何も残らない。これをその日暮らしという。寂しさから女の子のいる飲み屋に通い、フーゾクでヌケば、たちまちサラ金の限度額だ。一発逆転を狙って競艇やオートにぶっこめば、すぐに闇金のお世話になることになる。
▼女性だって事情は同じである。月給15万に満たない事務員が、軽自動車に乗り、スマホをいじり、オシャレしようと思えば、パラサイトでない限り同じ事態になる。早晩フーゾクの接客側に回ることうけあいだ。彼らの倍の年収の僕がいまだに社宅暮らしで貯蓄ゼロなのも同じことである。
▼職種や年収の多寡にかかわらず、目標を立てて貯金するかしないかで、暮らしぶりは大きく変わる。普通の人にとって目標とは持ち家のことだ。マイホームのために節約して貯金し、頭金ができたらなるべく若いうちにローンを組む。あとはひたすら返済に精を出す。つまりはミドルも銀行とハウスメーカーの奴隷である。
▼確かに僕は日雇いの倍の年収ではある。だがそれで四倍の人数の糊口を賄っているのだから、単純に自堕落とばかりはいえない。家庭を持ち、なおかつマイホームも手に入れようとすれば、日雇いの四倍とは言わないまでも、感覚的には三倍くらいないとたいへんな気がする。具体的には年収七、八百万くらいだろうか。
▼しかし時折発表される国民の平均年収は、その約半分である。建設労働者や派遣労働者はそのさらに半分。僕以下の世帯収入で、普通に家庭を持ち、住宅ローンを払っているところは、いったいどんなやりくりをしているのか不思議でしょうがない。それこそ何たべてんだろう。
▼雑誌やテレビで、よく「食費月三万円の節約メニュー」なんて特集を見かけるが、そんなことは不可能だ。少なくともうちでは。キャベツとモヤシとタマゴと食パンを大量に買い込みタコ部屋で集団生活する中国人ならともかく、そんな献立うちなら暴動が起きる。大袈裟でなく、うちの食費はその四倍である。確かエンゲル係数では家計に占める食費の割合が高いほど貧乏だと習ったが、逆じゃないか。
▼高級レストランだろうがコンビニ弁当だろうが外食はイヤだ。かといってタマゴとキャベツの節約メニューもイヤだ。妻がストレスなく買物して作るゴハンだけが僕と子供たちを満足させる。つまりは僕は妻の奴隷なのだが、それが一番幸せなのだ。

この前の日曜はきんぴら牛丼。

火曜はカレー。

木曜は味ごはんにポトフにミートグラタンに揚げの煮びたし

金曜はきのこのクリームパスタ。