辺縁系殺人事件

梅雨の晴れ間の気持ちのいい日和である。陽の差さない室内は、既に部屋着が短パン+Tシャツモードに移行した身には涼しすぎる。
▼今日は午前中地域の清掃活動に参加。よんどころない事情で初めて参加することになったが、震災を境に町内のお祭り会員も脱退し、隣保のドブさらいは妻に任せきりなのに、仕事絡みの遠方のゴミ拾いには参加するという近年の立ち位置がますますはっきりしてきた。僕はこの土地の人間ではないが、いる間は担当事業所のおかげでメシが食える。これは紛れもない事実だ。
▼実際には、この時期担当事業所はヒマだが会社自体は忙しいので、他の事業所や一般物件を手伝っている。これが二件かけもちで、疲れてブログの更新もままならない。現場が遠くて朝が早いので必然的に就寝も早くなる。そんなこんなで一週間があっという間だ。現場で働いてる現業の人たちはみんなそうだろう。朝早く起きて肉体を酷使し、帰宅して一日のアカを落としてテレビを見ながら晩酌すればすぐに瞼は重くなる。あとはひたすらその繰り返し。ただそれだけの人生だ。
▼若い頃はそれでいいと思っていた。一生懸命働いて家庭を維持する。何を恥じることがあるだろう。一旗揚げようという野心家は、虚栄心に支配された俗物だと軽蔑していた。その種の煩悩を断つため、学生の頃は何もない(本当に何もなかった)下宿の部屋で黙想しては道元全集なんかを読んでいた。悟りを得るどころか一行も理解できなかったのは言うまでもない。バカもここまでくれば徹底している。
▼今はこう思う。現業の人たちはともかく、僕の場合は単にナマケモノが言い訳していたにすぎない。人間向上心がなくなったらオシマイだ。目標を定め、そこに向かって努力するのが本当だろう。風呂上りの一杯をガマンし、睡魔をこらえて勉強しなければ道は拓けない。まさに関川夏央氏が、スポーツ新聞を読む時間をガマンしてハングルの習得にあてたようにである。全く50を目の前にして気づくことじゃないね。
▼そんなわけで晩酌こそしないが、相変わらずテレビ三昧の僕が最近気になるニュース。昨年末、愛媛松山で37才接客業の女性が刃物で首を切られて殺害された事件の容疑者が逮捕された。犯人は徳島に住む29才の僧侶で、昨年9月に結婚している。僧侶は犯行を自供しているが、動機については「とても簡単に説明できる話ではない」と語っているらしい。直線距離で170キロ離れた二人の間にどんな接点があったのか。
▼報道によると女性の職業は「接客業」となっており、仕事で徳島を頻繁に訪れていたというから、僧侶は彼女の顧客だった可能性が高い。女性は趣味のバスケを通じて交遊関係も広く、ネイリストを目指し勉強中だった。「接客業」とは水商売または風俗ともとれるが、生命保険の外交だろう。仮にこれが生保レディの一般呼称だとすれば、なぜそんなわかりにくい言い方をするのか。この手のトラブルが頻発する業界で、今回のような刃傷沙汰に発展した場合のマイナスイメージを避けるための生保側の圧力か。それとも報道側の配慮だろうか。
▼この事件は、当の本人にとっては複雑かもしれないが、傍から見れば生保レディと坊主の痴情のもつれで決まりだ。29才と37才という年齢差から、女性の行為が生保勧誘目的の枕営業(結婚詐欺)で、騙されていたことに気づき逆上した僧侶の犯行という線もないではないが、おそらくは新婚の僧侶の方が、37才接客業に結婚を迫られ重荷になって殺害したとみていいだろう。
▼「接客業」とは、生保レディでありオミズでありネイリストであり地域のスポーツサークル会員であり同時にその全てであるような、あらゆる人脈と持てるものの全て(女の武器含む)を駆使して相互補完的に小銭を稼ぐ職業というかやり方のことだ。正規雇用の道から外れた女性のほとんどが、そうやってなんとか生きている。そして永久就職先としての「結婚」は、彼女たちにとって常に最終目標でもあるのだ。
▼彼女たちを社会の底辺に位置する人間と蔑むのは間違っている。高級そうに見えて、その実バンカーも証券マンもライフプランナーもやっていることは同じだからだ。人はみな、すべからく呼ばれてナンボの置屋の芸者だ。お金のためにはなんでもやる。それなのに彼女たちだけがこの種の事件に巻き込まれるリスクが高く、社会的地位が低いのはおかしな話だ。
▼午後から午前中寝ていた子供たちが遊びに出ていき、交代でヨガから帰ってきた妻と昼寝。

火曜ナスとズッキーニのトマトソースにチキンの塩麹焼き。

水曜焼き餃子。木、金ヨガ教室で写真なしの土曜はピーマンの肉巻。