いつものように幕があき

台風の影響か、ぐずぐずとはっきりしない天気が続く。最近は降れば豪雨、晴れれば夏日という極端な気候。小雨というのも久しぶりだ。日本もちょっと前までは、心象風景としての雨はこういうものだったけどな。
▼またブログの間隔が間遠になってしまった。大型物件の監督への引継ぎも終わり、特に忙しいわけでもないのだが、とにかく日々新たな感じがまるでない。十年一日のごとく毎日同じことの繰り返し。担当事業所に行って、ここんとこの大雨で頻発した雨漏れと冠水対策。つまりは雨樋の清掃とドブさらいだ。それが終わると会社に戻って次なる大型物件の準備。週の半分は定時、半分は9時、10時の帰宅である。
▼勢いブログは時事ネタへの言及が多くなる。今週はけっこう話題が豊富だった。ラグビーW杯、フォルクスワーゲン排ガス不正、習近平訪米、川島なお美ガン死、北斗晶乳がん摘出…それぞれ一回分のブログを書くのはわけないが、自分に直接関係あるわけではないので、途中でどうでもよくなってエントリーにまで至らない。
▼今朝、いつものように出勤前にめざましニュースを見ていると、土曜恒例の映画コーナーで「リトルプリンス 星の王子さまと私」という映画が紹介されていた。もちろんあのサンテグジュペリの「星の王子さま」のアニメ化である。王子さまのキャラクターは、例の金髪痩身の挿画を引き継いでいる。例の挿画って?また僕の中で記憶の歯車が回り始めた。
▼今からちょうど30年前の冬の日、僕は三畳一間の下宿で、大学生協で買った「星の王子さま」の英語版と仏語版を和訳→仏訳→英訳とランダムに大学ノートに書きなぐっていた。夜間から昼間部の仏文科に転部するための試験勉強である。努力の甲斐あって無事転部することができた僕は、それ以降目標を失い落第を繰り返した挙句中退する。大学もフランス文学も、僕にとって自尊心を満足させるブランド以上のものではなかったわけだ。
▼仏文科に転部した僕は、大学一年の冬にフラれた高校の同級生の女の子と再び連絡を取り合うようになる。今のようにメールもラインもない時代だ。おまけに僕は自室に電話もなく呼び出しだった。一年の冬に公衆電話で痛い目にあった僕は、同じ都内に住む彼女にせっせと手紙を書いた。そうやって少しずつ距離を縮めていった一年後の冬、僕らはいっしょに芝居を観に行った。
▼たしか加藤健一事務所の「星の王子さま」だったと思う。王子さま役は吉田日出子だった。会場は覚えていないけど、新宿アルタ前のシュウエムラで待ち合わせ(もちろん彼女の指定)だったから、紀伊国屋ホールだったかもしれない。僕はその日、リーバイスジーンズにナイキのスニーカー、成人のお祝いに母からもらったセーター、この日のために大学生協で新調したジャケットといういで立ちだった。精一杯のオシャレである。
▼帰りに高田馬場駅前のフランス料理屋で食事をした。当時の僕はどこを歩いていても彼女が喜びそうなお店を常に探していた。店に入ってジャケットを脱ぐと、彼女は「そのセーター素敵ね」と言った。もしその日の僕が多少なりともイケてたとしたら、それはジャケットのせいではなくセーターによるところが大きかったわけだ。
▼コースのステーキが硬くて、彼女も食べづらそうだったので、「硬いね」と言うと、彼女はかぶりをふった。「もしそうだったとしても、口に出すことじゃない」という意味だと思った。その後、門限のある高級マンションのような女子寮に彼女を送っていった。一年前はケンモホロロだった彼女が、今小さく手を振って、門から玄関まで小走りに駆けていく。
▼こんなこともあった。自身満々で行きつけのマスターの店に連れていくと不機嫌で一言もしゃべらず、なんとかなだめすかして彼女とよく行ったジャズバーに回ると、そこのマスターが彼女にプレゼントを用意していてすっかり機嫌が直ってしまった。なんだかんだ言って彼女にはいろんなことを教わった気がする。それは女心のようなものかもしれないし、ある種のマナーのようなものかもしれない。
▼時はバブルに向かって雪崩を打って転がり始めていた。NTT株解禁、国鉄民営化、チェルノブイリ原発事故、天安門事件エイズ死…でも僕はこれらのことが自分に関係あるような気がしなかった。空調屋のバイトで地下鉄や天井裏を歩き、給料が出るとマスターの店でみんな飲んでしまった。

月曜はうま煮に豚肉とピーマン炒め。火、水、木、金写真なく今日はクリームパスタにキャベツとかぼちゃのサラダ。

僕はこの星のリトルプリンスではなくビッグダディ、いやリトルダディ。つまりは一介のオヤジだ。彼女の王子さまになんかなれるはずもない。