茨城不安定労働組合

2100-08-30 八月の労働相談

八月の労働相談

茨城不安定労働組合では月2回、第二第四水曜に労働相談を行っています。

解雇された、給料が払われない、休みがとれない、嫌がらせをされている、入ってみたら条件が違う、と言った労働相談から、解雇されて金がなくなり家賃が払えない、既に部屋を出されている、生活費がないと言った生活相談まで、正社員、アルバイトなどを問わず受け付けます。自営業、管理職でも大丈夫です。まずはご相談を。

八月の相談会は下記の通りです。

第一回相談会 8月9日 水曜日 20:00〜22:00

第二回相談会 8月23日 水曜日 20:00〜22:00

電話番号 029-875-9289(日中は不在です。また、仕事を終えてから事務所にむかうため、もしかすると八時に間に合わないかもしれません。その際は何度か電話していただくか、下記の携帯へ電話してください。なお、下記の携帯電話への相談はいつでも受けつけています。お急ぎの時は労働相談日を待たずに電話してください。)

     090-8441-1457(加藤) 

会場 土浦市中1184−51 自由生存の家・茨城 一階 茨城不安定労働組合事務所

2017-08-02

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(381)訂正『ヒトラーへの285枚の葉書』

加藤匡通

七月××日(土)

  映画の題名間違えました。『ヒトラーへの285枚の葉書』でした。『ヒトラーに宛てた285枚の葉書』ではありません。恥ずかしい。けど、映画の題名に絡めての部分、論旨は変わらないので修正しません。

  えっと、気を取り直してっと。

  「「お気持ち」なんか知らない そんたくしない集会・デモ」のビラを置い廻っている。本屋や公共施設に置いてもらっているのだが、置いてくれないところも多い。

  県央に足を延ばす機会があったので帰りに少し寄ってみた。東海村中央公民館に持って行くとビラを見るなり、「こういう意見の別れるものは置けませんね。政治的なものは駄目なんですよ。」「政治的って言うのは政党と関係があるもののことじゃないんですか?」「意見か分かれるものは置けないんですよ。」

  茨城に来て初めて学習会をした時のことが思い出される。〇七年の三月だったか、僕の住んでいたつくばみらい市の小絹コミニティーセンターで公開の学習会をした。最早きちんとした題名すら忘れている集まりだ。初めてなのに知人しかいない集まりをどうにか終わらせて次回の会場を借りようと受付に行くとまるっきり同じことを言われた。「政治的な集まりには貸せないんですよ。」さらにつくばみらい市在住者が過半数いる名簿を出せと言う。運動のつてなんてこれから作れるかどうか、そんなもの出せる訳かない。それに名簿ってあんたプライバシーとか考えないのかよ。後に名簿の件は県内各地で当たり前に行われていると知ることになる。しばらく粘ったが埒があかず、つくばみらい市のコミニティーセンターを借りるのは諦めた。政治の範囲を拡大解釈して議論の起きることは一律で行政の関与を避ける。いや、行政の関与を避けると言うより間接的に市民活動を制限していると言っていいのだろう。それは県内各地で継続どころか進行している事態である。つくば市の市民活動センターなど、どんどん使いづらくなって来ている。

  議論をしてそれがおかしなことなのだと職員に理解してもらうべきなのだろうが、生憎時間がない。夜に予定が入っている。すごすご退散した。

 で、今日。朝の用が済み、次は昼過ぎまで時間があるので置きビラに廻った。ある中央公民館の窓口でビラを出すと中身を見て職員が言った。「政治的なものは置けないんですよ。」またか。「政治的って言うのは政党活動とかのことなんじゃないんですか?」我ながら芸のない繰り返しだ。少しばかりやり取りをしたら職員は館長に聞いてくると引っ込んだ。館内の掲示物を見ながら待っていると職員が戻って来た。「館長が大丈夫と言うのでお預りします。」。

  館長判断は館長が変われば変わるものなのであまりあてにはならない。だが話せばこうやって多少は動く。

  そうやって情宣していたら道に迷って次の用に遅れてしまいましたとさ。、

2017-07-31 龍ヶ崎市での「弾道ミサイル避難訓練」に対する抗議声明

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(380)祭りなんてもう長いこと行ってない

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(380)祭りなんてもう長いこと行ってない

加藤匡通

七月××日(日)

 置きビラで龍ヶ崎の駅前に行ったらお祭りだった。普段人の姿を見ることのない商店街に露店が並び、歩道車道の区別なく人で溢れている。どうすりゃこの賑わいが維持出来るんだか。まだ歩行者天国は始まっていないはずだがまるで進入した自動車が悪いような光景だ。龍ヶ崎でこんなに人がいるのを初めて見た。

 僕のいるみらい平の駅前には広い空き地があって、八月の最初の土曜には商工会なんかが主催の祭りがある。そのうち売れて住宅が建ち並ぶだろう空き地はその日だけ子どもたちでいっぱいになる。あのあたりにあんなに子どもがいるのかとびっくりするくらいだ。

 新興の団地は寺社がないところが多く、町内会が空き地や公園を使って盆踊りの櫓を組み、露店を出し、寺社と変わらない夏祭りをしている。だが地域の寺社の祭りならそれなりに世代交代はするものの、町内会なんかの祭りだと世代交代は起こらないのだと聞いた。戸建てでも集合住宅でも団地は団地。一斉に入居したら子どもたちが離れて行く時期も同じ、やがて団地は高齢化していく。以前住んでいた同じつくばみらい市の狸穴にあった団地はそうして夏祭りをやめたのだと言う。

  もっとも、それは新興住宅地に限らない。祭りの神輿の担ぎ手がいなくてトラックに乗せている地域は珍しくない。この国の人口は減りつつあるのだ。でも、神輿の担ぎ手が居なくなったり祭りが出来なくなるのは人口減少より東京一極集中のせいのような気もするな。この文化を変えない限りこの国の地方に未来はないよ。

龍ヶ崎市での「弾道ミサイル避難訓練」に対する抗議声明

組合員加藤からの投稿です。



龍ヶ崎市での「弾道ミサイル避難訓練」に対する抗議声明

龍ヶ崎市茨城県は「弾道ミサイル避難訓練」をするな、政府による朝鮮敵視、戦争動員政策に同調するな

 龍ヶ崎市茨城県内閣官房による龍ヶ崎市川原代地区での「弾道ミサイルを想定した住民避難訓練」の実施に抗議します。龍ヶ崎市茨城県政府による朝鮮敵視政策、戦争動員政策であるこの訓練を行うべきではありません。内閣官房は各地で実施予定の同様の訓練を中止するよう、強く求めます。

 今回の「弾道ミサイル避難訓練」は、「X国から弾道ミサイルが発射され」ることを想定していますが、これは朝鮮民主主義人民共和国仮想敵国としていることは明らかです。このような訓練は相手国だけでなく周辺国も含めて政治的に刺激し、緊張を高める結果を招きます。安倍政権による朝鮮敵視政策は一貫して続いていますが、両国間の歴史的関係についての自省、そしてそれを踏まえた対話ではなく、圧力を加え続けるだけのその姿勢は、結局件の「ミサイル」打ち上げそれ自体をもたらす大きな一因となっただけで問題の解決には全くつながっていません。

 そもそも今回の訓練自体に有効性があるのか大変疑問です。川原代地区は民家の少ない田園地帯です。標的になるような何物もない地域で「弾道ミサイル避難訓練」を行うことは、人々に「有事」という意識を植え付ける以外の意味があるのでしょうか。また「ミサイル」に対して何かに隠れるなどという行動が本当になんらかの効果を有するのでしょうか。

 今回の訓練の本質は、マスコミの「ミサイル報道や各種メディアで繰り返し流される政府広報を通じて浸透しつつある「攻撃される」ことへの危機意識を人々に定着させ、有事の際には人々が政府に従って行動するよう「躾ける」、つまり人々を戦争へと動員することにあります。

自衛隊国防軍化しようとし、戦争のできる国を目指している安倍政権にとって、一連の「ミサイル危機」は解決すべき問題ではなく、むしろこの事態を利用して人々の危機意識を煽り、軍隊は必要であり場合によっては戦争もやむを得ないと思わせるのに好都合な出来事に他なりません。口では抗議しながらも首相は内心、自身の望む方向へ「国民」を誘導できると喜んでいるのではないでしょうか。北東アジア情勢の安定化ではなく緊迫した現状の維持を、自身の念願の政策実現のために首相は望んでいるのではないでしょうか。

  このような意図を持った「弾道ミサイル避難訓練」を行うことは、地域住民の安全に何ら結びつきません。地域住民の安全を考えるなら、龍ヶ崎市茨城県政府に意見こそすれ、政府意向に従うのは間違いです。戦争に動員されるとは、国によって人々が資源として活用されるということで、「一億総活躍」にはふさわしいかもしれませんが、言い方を変えれば人々が戦争に巻き込まれるということです。私たちは戦争に自ら参加するつもりも巻き込まれるつもりもありません。

  龍ヶ崎市茨城県内閣官房による龍ヶ崎市川原代地区での「弾道ミサイル避難訓練」実施に抗議します。龍ヶ崎市茨城県政府による朝鮮敵視政策、戦争動員政策である「弾道ミサイル避難訓練」を二度と行うべきではありません。政府は各地で実施予定の同様の訓練を中止するよう、強く求めます。

2017年7月29日

戦時下の現在を考える講座

2017-07-30 「お気持ち」なんか知らない 忖度しない集会・デモ

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(379)近江俊郎の伝説

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(379)近江俊郎の伝説

加藤匡通

七月××日(土)

  朝9時からという現場に入った。養生・クリーニング屋のI社が下請けに丸投げしている現場だ。僕のいる派遣会社から二人、他の会社から一人の計三人、既存事務所の休日を使っての改修工事である。天井をいじるので床にブルーシートのロールを敷いたり机にフィルムをかけたり、終わったらそれらを剥がして掃除機をかけるといった簡単な養生と清掃だ。朝の養生が一通り終わると天井作業が終わるまではすることがなくなり待機になるのもよくあることだ。

  今日は九時開始で六時終了予定である。きっちり一時間ずらすらしい。午後になって早上がりは期待出来ないかと判明、ややがっかりした。同じ派遣会社の同僚はゼネコン現場で職長をしていた人だが、大変せっかちな人として有名だった。せっかちは時に癇癪玉として破裂するのだが、今回は違った。天井作業は電気屋が蛍光灯の傘をはめ込み終了する。天井に穴が空いたままなら机のフィルムは取れない。作業階は一、二、三、七階の四階分だが今日は二、三、七階が終わればよくて明日も作業日になっている。今日の予定が早く終われば早く帰れるのは確かだが職人たちの作業が終わらなければ仕方ない。僕はそう思っていたが、同僚は違った。「傘入れちゃおうか。あんなの簡単だよ。」そして別の派遣会社の人間に立ち馬に昇らせると二人で取り付けを始めた。なんと大胆な。固定現場で他職と関係が出来ているならいざ知らず、彼はこの現場の監督も職人も初めてなのに。「(電気屋を)待ってていいんじゃないすか。」と聞く僕に「大丈夫だよ。」と返したものの、傘がうまくはまらす立ち馬の上で手こずっている。僕はきっと苦々しい顔をしているのだろう、同僚は手伝えとは言ってこない。そうこうするうちに電気屋が来た。「ああ、着けてるんだ。俺、他の階行っていいよね?」同僚が何か言う前に僕が「この階お願いします!」。

  電気屋の職人が穏和な人でよかったよ。相手によっちゃ殴り合いになっててもおかしくない。あんた、職長下ろされたって噂は本当だったんだなあ。

  近江俊郎と言う芸能人がいる。もう随分前に亡くなっている。僕はテレビの司会や審査員としてしか見たことはないが、歌手として有名だった人だ。僕が生まれる頃までは映画監督でもあった。この人が大変せっかちな映画監督として有名で、出演者がそろうと「カメラ廻して!」と言い出し「監督、照明セット終わってません。」「いいから廻して!」、さらには「カメラ廻して!」「監督、フィルム入ってません!」「いいから廻して!」と言うコントのような逸話を残している。現場でせっかちな人を見るとこんなところにも近江俊郎がいると思ってしまうのだ。

  数ヶ月前の電気屋の手元の時にも近江俊郎はいた。電気屋の班長の一人だった。毎日定期便で一時前に来る電気屋の材料を仕分けして間配りするのが僕の主な仕事の一つで、トラックから下ろす段階で運ちゃんがだいたい分けてくれているのを、番頭(前に書いたあの番頭たちだ。)が伝票と照らし合わせてきちんと分けてから工事用のロングスパンエレベーターや階段で移動するのが混乱の少ない手順である。トラックはエレベーターのすぐ近くで荷下ろしをしていて、エレベーターは一時から人送専用として使われるから、荷下ろしを始めるとすぐに人が荷下ろしをしている真横に集まり出す。電気屋の近江俊郎はそこにトラックがある状態を嫌がって、材料を仕分けせずにとにかく全部いっぺんに下ろそうとするのだ。いっぺんに下ろすと番頭たちは混乱、仕分けは全く進まなくなるのだが近江俊郎は自分の担当する地下の材料だけ分けてとっとと下りてしまいあとは知らん顔、混乱した番頭たちの世話をするのは僕である。番頭たちを放置しておくと最後にはぼくに残業やらという形でかかってくる。それでは堪らないので、途中から荷下ろしの主導権を僕が取るようになりどうにか収まったものの、最初の頃は大変だった。

  さて、同僚の働きとはあまり関係なく少し早く終わり、『ヒトラーにあてた285枚の葉書』を有楽町で見た。仕事が六時までかかっていたら間に合わなかったところだ。実は少し「早く終わってくんないか」とやきもきしていたが、会社に給料取りに行って映画館にどうにか間に合った。原作は今年初めに、存在を知ってから三十年以上経ってようやく読んだ。翻訳が出ていなかったのだ。原作は原題を『誰もが一人で死んでいく』と言う、老夫婦二人だけの抵抗運動を、状況丸ごと描いた小説である。抵抗と言ったって手書きのカードを人目に着くところに置いていくだけ、しかしそれだけで二人は死刑になった。小説家が、地味な話を盛り上げるために死刑という展開にしたのではなく、モデルになった事件で死刑になっているのだ。小説には大変感銘を受けたが映画はイマイチ、いやはっきり言えば期待外れだった。薄っぺらな感動物語になっていてがっかり。だいたい邦題からして間違ってる。あの葉書はヒトラーに宛てたものではない。彼らは市民に向けてヒトラーを支持するなと呼び掛けたのだ。耳障りのいい題にしたんだろうけど、権力者に呼び掛けるのと市民に呼び掛けるのは違うことだぜ?

「お気持ち」なんか知らない 忖度しない集会・デモ

組合員加藤からの投稿です。


連続学習会・象徴天皇制を考える No.5

お気持ち」なんか知らない 忖度しない集会・デモ

2017/08/13(日)

◀集会 14時から つくば市立吾妻交流センター 大会議室(茨城県つくば市吾妻1-10-1 つくばセンタービル4F、つくばエクスプレスつくば駅A3出口より徒歩3分 )

参加費 500円

▶デモ 17時ころから つくば駅周辺

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 ▼集会でお話 そのあとに会場で議論

産む産まないは誰が決める 皇位継承問題と象徴天皇制の現在

桜井 大子さん:女性と天皇制研究会 編/共著に『雅子の「反乱」―大衆天皇制の<政治学>』社会評論社2004年、『「女帝」で天皇制はどうなる!?』同1996年、等

天皇には男しかなれない。「天皇になれる男子を産む」ために存在しているのが皇族の女たちだ。女性天皇女性宮家という議論も、現状のままでは近い将来天皇になれる男がいなくなりそうだから考えられているだけで、男女平等の話とはつながりがない。こんな性差別を頭に戴いておいて社会は影響を受けずにいられるの? 皇太子の娘・愛子の誕生直後2002年に結成されて以来、ジェンダー性差別の視角から天皇制に切りこみ続けている「女性と天皇制研究会」の桜井大子さんの話を聞く。

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▲集会・デモ呼びかけ

どう考えても憲法で禁じられている政治的発言なのに誰も指摘しないアキヒト天皇の退位示唆報道とメッセージから1年、「国民」はこぞって「お気持ち」を忖度、退位特例法は共謀罪と同じ会期の国会で全会一致で議決された。でも、本当にそれでいいの?

天皇を含め皇族は生まれた時から特別扱い、その理由は血統だけ。皇族特別扱いする理由なんて本当は何もない。血統で人間をエライ、エラクナイと分けるのは差別以外の何ものでもない。私たちは憲法の第1条・2条に差別が定められている国にいる。産まれた時からエライ人と対等の関係を結んだり、何かをいっしょに行ったりなんてできないよ?(祈られたってうれしくなんかない。自分で増やした仕事が大変なら減らせばいいだけ。いや、そもそも天皇という身分そのものがいらないんじゃないの?)

だから私たちは 「お気持ち」なんか知らない 忖度しない集会・デモ をする。

主催/戦時下の現在を考える講座

tel: 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jp

blog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com

twitter: https://twitter.com/against_war

2017-07-27 賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(378)

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(378)暑気払い

加藤匡通

七月××日(水)

二ヶ月近く、公共施設の改修工事に通っている。養生・クリーニング屋のN社の仕事だが、基本的には解体絡みの仕事ばかりだ。最初は外周部に敷き詰めたられたピンコロと呼ばれる石を再利用するために洗っていたが、これはすぐに他の作業に変わった。ピンコロそのものは外構屋時代から馴染み深いが洗ったのは初めてだ。次に、解体屋が剥がした体育館で見るような床の板材を集積、ゴミとして搬出をして、今は足場の上で解体屋が剥がした天井ボードを集めて足場の下に下ろす作業をしている。今の作業はボードの粉が舞っていて、マスクが手放せない。

今日はN社の暑気払いがあった。現場でのバーベキューなら何度もあるが、会社単位のものは初めてだ(もちろん外構屋は別。)。N社は固定現場では毎年やっているらしい。去年夏の石綿天井解体現場でもあったが、まだその現場に入って日の浅かった僕には声がかからなかった。場所は最寄駅近くの飲み屋である。バーベキューは酒をやめてから全く楽しくなくなった。現場のバーベキューなんて腹が膨れるほどに食べられる訳でもなく、肉なんかあっという間になくなるのだ。酒が飲めなきゃ楽しくも何ともない。今日の店は食事が美味くて酒を飲めずとも楽しめたが、目の前に料理はまだまだ並んでいるのに食べられないとは残念である。まあ、もう五十になるしなあ。ちなみに飲まないのは十五人中僕一人で、煙草を吸うのは三分の一。建築現場でも喫煙者の肩身は確実に狭くなっている。

みんな二軒目に行きたかったようだが最寄駅のあたりに手頃な店はなかったようで、仕方なく家路についたようだ。この現場の社の平均年齢は多分四十半ばくらいだ。三十代は二人だけ、五十以降が圧倒的である。無理してでも夜遊びしたい歳じゃない。