漱石展へ

熊本に英語教師として夏目金之助先生が赴任したとき、彼の授業は逐条解釈的に丁寧に細かく英語を教えるのではなく細かいところはともかくとして文の意図が読み取れれば良いような・達意がわかればいいような授業で、最初から最後まで読ませ一冊読み通すことの面白さを伝えてた、なんてのを知ってから、それが良いことかどうかは別として学生時代に英語の時間や現国の時間に物語に没頭していた私は妙に夏目漱石という人に親近感があるんすが、文学部出身じゃないので漱石を語るのを止めておけばいいのにこうブログに書いてしまうのは匿名の気安さかもしれません。
でもって、横浜の元町からちょっと入ったところにアメリカ山というのがあります。

その上にあるのが神奈川県立文学館で

漱石展をやっています。

「世の中にかたづくなんてものはほとんどありゃしない。一ぺん起こったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変わるからひとにも自分にもわからなくなるだけのことさ」

という道草の一節を引用しながら養子に出された幼年期のことからはじまり、病を得た晩年まで、作品と身の回りを関連付けて出生から死没するまでを網羅していてる展示を見学してきました。英国留学後もしくは作家生活に入ってからの胃潰瘍ほかの闘病もきちんと追ってあって、創作活動が必ずしも精神状態がいつも良いわけではない状況下で書かれたことを考えると「坊ちゃん」や「猫」のようなある種のおかしみのあるものはもしかしたら不健康さと表裏一体であったのかなあ、というのがなんとなく判ってきます。
今回腑に落ちたことがいくつかあります。ひとつは落語です。子規と漱石の交友は有名ですが、二人とも東京で寄席通いの趣味がありその点で意気投合したのだとか。「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」っていうような漱石の文章というのはわりとメロディがあるというか口語に近いようなイメイジを持っていたのですが、耳にしていたものが落語のメロディならわからないでもないなあ、という気がしました。子規と交流することで漱石は俳句の素養もつけてゆくわけですが、当然俳句に関しての資料もけっこうありました。
もうひとつは英国留学に関してです。文部省の命で「英語教育」に関して勉強しに英国へ行くのですが、当初予定していた大学には入らずにいて滞在していたロンドンでは本を大量に買い込んで下宿で読みふける生活となり、当初の目的は果たさず・果たせずに最終的に神経衰弱気味になり周囲から「漱石発狂」というふうにとらえられて帰国することになるんすが、ああなるほど、と思ったのはロンドン滞在中にわりとシェイクスピアを勉強していた・読んでいた、という点です。草枕の中で(ハムレットにでてくる)オフィーリアに関する記述があるのと、それとはまた別にシェイクスピアの原文はわりと韻を踏むので、やはり影響があったのかな、とシロウトなりに腑に落ちました。

Tell me where is fancy bred,Or in the heart, or in the head?

意味不明かもしれないのですが補足すると、引用したのはヴェニスの商人なのですが「head」と「bred」が韻を踏んでて、朗読すると響きがよい美文なのです。シェイクスピアにはこの手の美文がごろごろしています(でもってこの英文、できごころ、浮気心はどこにできるの?心なの?頭なの?っていう趣旨ですが、「It is engend'red in the eyes」っていう答えが出ていて、これもまた深い答であるんすがって脱線が過ぎたかも)。

あと興味深かったのが、教師であった漱石の講義の内容に関しての資料です。世の中には「○い人」と「□い人」がいて、その交流に関していくつかパターンがあり、影響を受けてそれが心地よいものであれば変化は残るが、「□い人」が曲げずにいたら離れたときにはほっとする、場合によっては双方が自滅することもある、という分析をしてるものがありました。ものの見方というのが垣間見れて唸っちまったんすけども。これをみて「しまった、メモを持ってくればよかった」と思ったのですがあとの祭りで、凝視して頭に入れて、あとで昼飯を食うときにペンを借りて持っていた本の余白に書きこんだものの、案の定ほとんど覚えていませんでした。あとでひとりでもう一度確認しに行くかも。