これからの写真

愉しかったことについて、書こうかと思っていたのに、
そういう意気込みがあると足が遠のいたりする。


先々週の日曜日に、愛知県立美術館これからの写真展を見てきました。

http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html

9人の写真家さんの作品が出展されていました。

田代一倫さんの作品は、東日本大震災で被害を受けた地域の人々のポートレイトだったのですが、
皆さん本当に普通に写っていて、とてもよかったです。
文字の説明は多めで、うるさいと思う人もいるかもしれないです。
でも私はテキスト大好き人間なのでそれが逆に親しみやすく
よかったと思いました。
たとえばちょっとギャル風のピンクのふりふりがついたワンピースを着ている
お嬢さんの写真が二点あるんですが、
二点目を撮るときに、ちゃんと作者が「あの時の!」って思って
撮っていることが、キャプションに書いてあって、
写真を撮る/撮られることによるコミュニケーションの存在が
明らかにされています。
そのときのちょっと気恥ずかしい感じとか、
また会えた!っていう気持とかを想像すると萌えるっていうか
いいな、と思います。
陳腐な言い方ですけど、暖かい作品群だったと思います。



鈴木崇さんの作品は、台所用スポンジの写真が、黒い小さなブロックみたいなものに
印刷されているものでした。全部で500点くらいあったんですが、
全部違う組み合わせで、とっても面白かったです。
可愛い。スポンジってこんな種類あるんだ、と思いました。
スポンジは小さいころに遊んだブロックにも似て、
簡単な構造をつくるのに向いているみたいで、
どの写真も違うポーズでスポンジが写っていて、
とてもおもしろく拝見しました。
印刷されている黒い直方体も、スポンジみたいに見えてくる。



新井卓さんの作品は技法が凝っていて、銀板写真でした。
展示室中央の作品は、照明がつかないと見えないのですが、
その照明がつく間隔は明示されておらず、
たまたま一度ついたときに隅の方の作品を見ていて見逃したら、
そのあとしばらく待っても点かないので諦めてしまいました。
見た作品の中では、広島の原爆ドームを写した作品が印象に残っています。
とても綺麗だった。

それと、この方の作品とは関係なく、銀板写真の小さなプレートを、
インテリアとして部屋に飾ったら素敵だろうな、と思いました。
もちろんそのためにはまず素敵な部屋に住まないといけないのだけど。



鷹野隆大さんの作品。
この方の作品は、通報があって、一部隠してありました。
展示室のところには係員さんがいて、
見たくなければ見ずに済むようになっていたので、
わざわざ通報した人はどんな気持だったのかな、と思いました。
それはさておき、作品を見てみたのですが、
わいせつどころかこの写真展のなかで、
いちばん見る人にフレンドリーで、距離の近い作品でした。
一体どんなわいせつな写真なんだろう指の隙間から見ないといけない
ようなのだろうかと思っていたので、
なーんだ、という感じでした。
また、性器を隠すのにつかっている薄い白い布はとてもやさしい印象で、
それは隠してあるというより作品の一部みたいに見えました。
特に、大きなパネルに作者と男性が二人並んで写っている写真では、
白い大きな布で下半身を隠してあるのですが、
それがおふとんみたいで、平和な感じですごくよかったです。
安易な連想をして失礼かもしれないけれど、オノ・ヨーコジョン・レノンみたいでした。

ただ、きっと鷹野さんが当初意図した作品とは別のものになってしまっただろうし、
あの作品がもし「猥褻性」を持っているとして、
その「猥褻性」が性器を単に布で隠すことによってきちんと制御されるとかんがえるのは
だいぶあほみたいだと思いました。
そんなにやわな作品ではない。
もし猥褻だとしたら、それは写っている人たちが
もとの人間関係はよくわからないけど
写っている間はとっても仲が良さそうで、
銭湯とかでいう「裸の付き合い」をしているように見えるから、
それがうらやまけしからん、フレンドリーをそんなに見せびらかすなよこっぱずかしい、
みたいな感じじゃないでしょうか。
何を言ってるかわからないかもしれませんが、
プライベートを公開しないでくれ、というような。
性器が写っているかどうかは関係ないだろ。その場合。
しかも法律が介在する余地ないだろ。その場合。



(これは学校の制服とかも同じで、先生たちは「制服を着ることで個性が失われるなんてことはありません。個性は内面的なもので、スカートを短くすることで表現する個性は本当の個性ではありません」みたいなことを言うけど、もうじゃあなんのために制服着せてるんだろう、人間を均一にして管理しやすくしたいからじゃないのかよ、みたいになります。確かに制服きちっと着てもいいし、それで私の個性は全然失われないんだけど、だからって好きじゃない着こなし我慢する必要ないだろ、と思う。場にふさわしく、という意味なら先生もいつもスーツ着ろよ、こっちは葬式にも着ていける服毎日着てるんだぞ、と思う。ペニス隠してもいいけど、隠したところでえろいものがえろくなくなるわけじゃないだろ、ってことは別に出しといてもいいだろ、美術館とかいう表現の自由が保証されまくった空間でしかもゾーニング済みなんだぞ、という)



普通に見たら、
大の大人が素っ裸で二人並んで仲良く写真を撮ってるなんて、
微笑ましい以外のなにものでもないように思いました。
ハメ撮りしたわけじゃなし、勃起してるわけじゃなし、
いったい何が猥褻なんだか、というかんじ。
っていうか最悪勃起してたとして仲がいいのはいいことじゃないか。(?)

まぁいいんですけどもうこんなの取り締まってる暇があるなら、
心置きなくインターネットしたいだけなのに
レイプもののエロバナー表示するクソ業者取り締まってくれよ、
という気持でいっぱいでした。
エロいものはさ、見たいときに見たいやつを見たいんであって、
女の人が強姦されるやつは私はきらいなんだよ…
好みじゃないんだよ…わかってくれよ、と思う…。



加納俊輔さんの作品は、ちょっとしただまし絵みたいで、おもしろかったです。
あんなに綺麗にプリントできるんだな、と感動しました。
現実の手触りがちょっとあやしくなる。



川内倫子さんの作品は、
繰り返し現れるモチーフのことを、作家さんが好きなんだろうな、
と思って見ていました。好きこそものの上手なれ、というか
それをたくさん撮ってる、っていうことがすごいことなんだな、
と思う。
特定の性質をもつモチーフに対して
圧倒的な感動の感度があって、それが写真に出ている気がした。
写真では被写物をモチーフとは云わないのかな。

最後の動画の作品もちょっと長くて見るのが大変だけど
いい感じでした。
音と動きが両方たのしめるし、二つのスクリーンに映し出される動きに、
違いを見つけたり、共通点を見つけたり。



全体にちょっとおもしろい展示だったと思います。
それとコレクション展の富士フィルムのやつもとってもよかった。
太宰治の写真とか、
有名な人のポートレイトが結構あって、
いいもんだな、と思いました。

駆け足ですがとりあえずここで。