ムーンライト・ドライブ

hacchaki2005-08-01

話は遡って先週の金曜日。
仕事が終わって
なんとなくやるせない気分をひきずってクルマに乗り込んで。

週末をぶっ飛ばしたくなって
幌を開けてヨコハマを南下。
新山下から首都高に入り
根岸の丘陵を右手に、海辺のコンビナートを左手に
3車線のゆったりとしたハイウェイを流す。


ひさしぶりに箱根まで行くかと心に決め
逗子ICから逗葉道に入り相模湾まで突き抜ける。
湘南の海はすっかり「夏」していて
ヤングなギャルたちがうようよと徘徊していた。


稲村ガ崎あたりまで来たときに
藤沢に住むエイサー隊のHちゃんとメールでやりとりしていたので
近くまで来ているからお茶でもしようぜと言うことになり
箱根に行く予定を変更して江ノ島のガストで合流。
ワタクシのクルマに乗っていただきどこでお茶すっかってことになり
134を流しているうちに悪いクセが出て。
つまりよほど自分の意志を強く持って
「ここに入ろう」
って決めない限り、ノンストップで走り続けてしまう。
気がつけば湯河原を経由して箱根の山を駆け上がり
呆然とするHちゃんを気にしつつも芦ノ湖の湖尻まで
一気に走ってしまった。


ああ、楽しい・・・。
やっぱりお山はいいなあ。


しかし缶コーヒーのひとつも飲まんと夜景を楽しむでもなく
付き合わされるほうは間違いなくいい迷惑であろうなあ。
湖尻でトイレに寄って仙石原を抜けて国道1号に戻り
西湘バイパスを流して合流地点のガストに戻ったら
深夜2時を廻っていた。
それでも江ノ島あたりは昼間の熱が冷めやらず
ふらふらと徘徊を続けるヤングな若者たちがうようよしていた。
結局そのガストでお茶を飲むなんてこともせず
ついさっきまで箱根にいたという状況を
把握し切れていないようなHちゃんと別れて
ワタクシは帰路に着いたのでございます。
ああ、おなかいっぱい。
色気もなんにもなし(笑)。


Hちゃんにはとんだ災難でございました。
だって足廻りオーバーホールしてから初めてのお山だったんだもん。
ついつい嬉しくて停まるのがもったいなかったのでした・・・。


  ぽっかり月が出たら
  スポーツカーで出かけましょう
  ハイウェイは ほのぼのか しらじらか
  僕らを待っている
  いい月夜じゃないか
  ムーンライトドライブ

  
  (はちみつぱい『月夜のドライブ』より)

センチメンタル通り

センチメンタル通り

はちみつぱい『センチメンタル通り』

自分の中の歴史的名盤。
ムーンライダーズの原点である鈴木慶一のバンド。
参加メンバーはほとんどムーンライダーズのメンバーとかぶっている。
1曲目の『塀の上で』は多くのアーティストがリスペクトしていて
矢野顕子も『スーパー・フォークソング』でカバーしていたり
ライブで唄ったりしているらしいです。
あ、そうそう大貫妙子宮沢和史矢野顕子鈴木慶一のメンバーで
年に1度行われていた『ビューティフルソングス』ライブでも
ラストのほうで全員で唄っていましたなあ。
聴くたびに見事に時代性を表した名曲だと感心。
鈴木慶一は非常に優れたメロディー・メイカーであったなあ。
なんで過去形かというと最近のムーンライダーズとか、全然聴いてないから。


で、鈴木慶一の声がものすごく若いことにもビックリします。
最近は白髪頭でトヨタのCMに出ていたりして
「ビューティフル・ソングス」ライブでは音を外しまくったりして
ぬるーく微笑させてくれたりする慶一さんですが…。
若い頃の慶一さんはかなりシャープかつナイーブに尖がってて
メチャかっこよかったんです。
最近のムーンライダーズはどうなんだろう?
聴いてる人いたら教えて下さい。

この「はちみつぱい」というバンド
ワタクシが大学3年のとき復活ライブがあって
確かあれはEMZA有明だったか汐留PITで行われた(どっちだが忘れた)。
どちらもバブル崩壊とともに消えてしまったハコですね。
それとも最初から期間限定だったんだか?
ゲストにはあがた森魚高田渡が登場してにぎやかなライブであった。
あがた森魚は『赤色エレジー』を88年バージョンにアレンジして
変なダンスを踊りながら唄っていた。
高田渡はなんだか酔っ払っていたのか
バックのメンバーがものすごく彼を労わりながら演奏しているのが印象的だった。
この復活ライブの模様はCD化されているが現在は絶版していて残念。


大学時代、軽音楽サークルみたいのに入ってずっとバンドをやっていた。
主に幼稚園からピアノを習っていたという理由でずっとキーボードを担当。
腕はなかったが男でキーボードを弾ける人間が
サークル内で他にいなかったのでそこそこ重宝されたような。
だが自分の中ではあんまり面白くなかったんだろうなあ、キーボード。
3年の終わりになって自分が鍵盤弾いていたバンドが解散となったのを機に
「唄う」ということを始めることにした。
つまり自分がボーカルのバンドを作ろうとした。
そこで初めて唄ったのがはちみつぱいの『塀の上で』だった。
そういう意味でも思い出が深い曲なのでした。


現在では鍵盤のヶの字もなく、唄三線三昧の日々なのだが
「唄う」ということに視点を置いてみると
その出発点は『塀の上で』なんだなあ、としみじみ思ったり。