Kさんのこと

hacchaki2007-02-21

Kさんとの出会いは5年ほど前に遡る。
当時は一介の民謡ファンに過ぎなかった(今も)ワタクシが
大城美佐子先生のお店『島思い』に行ったときのこと。
ステージが終わって美佐子先生やお店の女の子たちと雑談している中で
「僕も三線欲しいなあと思って」と話したところ
美佐子先生が「いい人紹介してあげる」と言って
すぐに誰かに電話をかけてくれた。
そのレスポンスの早さに驚き…。
「内地の人で三線欲しいっていう人がいるから面倒見てあげて」と。
そして電話を切ると
「明日その人お店に来るから相談したらいいさ。」
「えっ!はやっ。」
そうして次の日またお店を訪ねたら
「ああ、君?三線欲しいって言ったの。」
と声をかけて来てくれたのがKさんだった。
「僕が知っている三線屋があるから。
そこで選んで送ってあげるから住所教えて。」
このフットワークの軽さはなんなんだ!
そうして人生最初の三線を手に入れることになる。
そのときの三線が宜野湾のUさんの三線店のもので
あることを知るのは後のこと。
みんな繋がっているんだなあ(立松和平風)。


そのご縁でKさんが経営する民謡カフェ『いーやーぐゎー』(那覇市寄宮)にも
沖縄に行くたびに通うことになり。
通うたびに民謡のさまざまなのとを教えていただき
無理矢理唄自分の唄を聴いていただいては辛口批評され(笑)。
嘉手苅林昌、大城美佐子等、当代きっての名人たちと
互角に渡り合って来た名プロデューサーであり
沖縄民謡の造詣の深さは県内でも1、2を争う。
アドバイスを頂けるだけでもありがたいし
民謡に関する様々なよもやま話のひとつひとつが含蓄に溢れている。
なによりもお人柄を慕ってだいたい沖縄に着くとまず寄るか
帰りに空港に行く途中で立ち寄るか、という感じ。

歌碑巡りツアー

今回はそんなKさんが企画する「民謡歌碑巡りツアー」に参加。
沖縄は“唄の島”。民謡にまつわる歌碑が、それに由来する土地にある。
それをバスツアーで巡りながら民謡の勉強をしようと言うもので
今回で第4回を数えるのだが、初めて参加させて頂くことに。
せいぜい20人くらいでミニバンに分乗して巡るのかなと思ったら
なんと50人を越える参加人数で大型バスをチャーターしていてビックリ。
内地からの参加がワタクシひとりだったのもビックリ。
(内地からの移住者の参加はあり)
さらにビックリしたのはスタッフのTさんが持っていた三線
ワタクシが初めてKさんから紹介されて購入して
今回沖縄に旅の友として持って行った三線と兄弟三線らしいということ。
同時期にKさんがU三線店にオーダーしたらしい。
人生って面白いなあ。


今回のツアーは北部巡り。
名護の『ナークニー』『別れの煙』『大兼久節』の歌碑。
国頭村奥間(オクマビーチで有名な所ですね)の『国頭サバクイ』
『恋し鏡地』、さらに『与那節』、『謝敷節』、『辺野喜節』と巡って、
あの有名な『安波節』の発祥地、国頭村安波へ。
そして東海岸沿いをずっと降りて
『二見情話』の名護市二見に立ち寄って帰るという
実に壮大な沖縄民謡探訪ツアーとなったのでした。


大人になるとなかなか団体バス旅行なってしないもんだから
(大きな会社の社員旅行とかだとするのかな)
けっこうみんなワクワク気分でバスが動き出すや
お菓子やビールが回ったりして
なんだか「大人の遠足」の趣もあり。
遠足っていくつになっても楽しい〜。

『別れの煙』

今回の歌碑巡りの中からいくつか印象的だった場所と唄をピックアップ。


『別れの煙』
知名定繁先生作曲の名曲。
大城美佐子先生も最新アルバム『唄ウムイ』でラストに選んでいます。


  別て旅行かば 嬉(うり)さ淋しさん
  思(う)び出(じゃ)しよ産子(なしぐゎ) 島ぬ事ん
  ちゃー忘(わし)るなよ


島を離れて本土に就職に行く娘。
那覇の港まで送りに行く事のできない年老いた母親は
名護湾に面した小高い山の中腹から松の葉を焚いて見送る。
そして湾の沖を娘を乗せた蒸気船が通る。
松の葉から立ちのぼる白い煙と
船から立ちのぼる黒い煙が呼応するように空に溶ける。


この唄は1936年に発行された稲垣国三郎著『琉球小話』の中の
「白い煙と黒い煙」というエッセイに触発されて作られた唄なのだそうです。
本土から教員として沖縄に赴いた稲垣氏が
名護で出会った老人から聞いた実話が元になっているそうです。
石碑は名護城公園中腹にあります。

石碑のある場所から名護湾が見下ろせます。
あの海の沖に黒い煙は立ち上ったのだろうか。