おかげで1冊読み終わる。「行列とベクトルのはなし」(大村 平)をノートを取りながら内容の素晴らしさに唸る。というよりも、カネゴンの頭の程度ではまずここから始めるべきだったということ、これまではベクトルをすっ飛ばして行列をやろうとしていたということに今更のように気付く。いくら高校数学が脱け落ちているとはいえ、穴があったら入りたい。よく見れば初版は1978年で20版も重ねている大ロングセラー。最近音沙汰のない京都のレフトウィングこと読書猿で取り上げられても不思議でないほどの名文。何しろ著者のつつましい家計を題材に行列を組み、エンゲル係数がいかに高いかを恥を忍んで説明しているほど。ちなみに食費は月8万、教育費は月4万、家賃光熱費は8万円だったそうだ。しかも「ページを戻らせるのは申し訳ないのでもう一度ここに式を書きます」というつつましさ。カネゴンは顔で笑って心で泣く。

ついでにここにもカネゴンと同じく数学に格闘する人を見かけ、勇気が沸く【←その字がお似合いおれカネゴン】。

京都のモテモテ老人森毅の文章は面白いが専門書籍は意外に難解。京都伝統のレフトウィング思想をあちこちに織り交ぜているせいだけではないだろうけど、あまりくどくど説明しないからと思われる。前述の大村さんと好対照。大村さんはまるで有理数(式の比喩)の隙間を埋める無理数(言葉の比喩)のように、理解に不連続が発生しないように恐ろしく丁寧に書いていて、カネゴンにはむしろちょうどいい。数学師匠のてるやすさんが「まったくもって、数学の本は書くのは簡単で読むのは大変です」とおっしゃっていたが、至言。

その森さんが、高木貞治の「解析概論」は今となっては著者の人柄の良さは認めるが、こんな難しい書き方をした本を初学者に薦めるべきではない、記述が緩かったり新しがりの部分も多いし、相当批判力がついてから読む方がいい、と言っていて少し安心する【下をうろうろおれカネゴン】。

以前からとても気になっていることがある。ここに鍵盤が下向きに並んでいる不思議なピアノがあったとしよう。鍵盤は下を向いているが、一応奏者から見て左が低く、右が高い音の順に並んでいるとする。ここで、手のひらを上に向けてその鍵盤を弾くところをカネゴンは時々妄想するのだが、なぜか何の困難もなく普通に弾けてしまう。実際に弾いたことがないからわからないが、本当にそんな鍵盤があったとしたらおそらくちょっと練習するだけで普通に弾けてしまうだろう【そんな上達おれカネゴン】。

コンピュータ屋さん向けには、手のひらを上に向けて叩く異常なキーボードを空想してもらってもいい。おそらくブラインドタッチができる人なら、鍵盤が見えないいらいらは別にしても、おそらく皆すらすらと入力できてしまうと思う。どちらもまず実用にはならないけど。

何というか、鍵盤を弾く手は、空間の位置を基準にしているのではなく、自分から見た視点を基準にしているとカネゴン考えている。いずれにしろ、脳と手の間の配線は単純ではなく、間に何らかのラッパー(wrapper)が存在していると仮定できる。他に、たとえば宙返りやバック転をする人は、空間の絶対位置よりも自分の視点の方を基準にしているのではないかと想像できる。脳研究上、こういう感覚は説明可能なのだろうか、それともとっくに研究している人はいるのだろうか。教えて欲しい【困らせるなよおれカネゴン】。その一方で、カネゴンは逆さに書かれた字を読めないのだけど。

Slashdot.jpより。カミオカンデに代わる気球型ニュートリノ観測装置。このメカメカしさがたまらない。精度がカミオカンデの100倍あるということだが、その分高エネルギーな宇宙線の影響を受けやすくなるので、ノイズ処理が命運を左右すると思われる。カミオカンデは地下深くにあるので、宇宙線は地面によってフィルターされるはず。

と書いた端から読書猿の新作メルマガが届く。そこで紹介されていた鹿児島大学教員の桜井芳生ホームページGoogleで発見。少々軽薄な感じもするが物凄く濃厚なコンテンツ。たとえばこんな調子こんなのも。当分退屈しないで済みそう【退屈してたかおれカネゴン】。