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2016-08-26

[]読者から――『よい教育とはなにか』

暑い日が続きますね。

強い日射しにめげそうな気分を吹き飛ばしてくれるようなおたよりをいただきました。

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小社刊『よい教育とはなにか』(G・ビースタ著/藤井啓之・玉木博章訳)を読んでくださった方からのお葉書です。

要旨をご紹介させていただきます。

「能力形成主義」の視点を批判し、市民社会形成を目指すために必要な「よい教育」を根っこから考え直すよい材料となりました。

日々の仕事では、つい忘れてしまう「何のために私は教えるのか」というところを、もう一度考えさせられたことで、今後の授業づくりも変わりそうです。

現代的課題として「教育」を問いかけるイメージがわいてとてもよかったです。

学校の教員をなさっている方なのですね。

本書、ビースタ『よい教育とはなにか』は、神代健彦さんによる『教育』(2016年9月号)掲載の書評の言葉を借りれば、「J・デューイの民主主義と教育の理論を正統的に引き継ぐものであり(5章)、また秩序としての民主主義もつ排除原理を超えようと試みる、J・ランシエールの新たな民主主義論と呼応する(6章)」ような理論書なのですが、それが現場の先生方の授業づくりのお役に立ったとすれば、こんなにうれしいことはありません。

ありがとうございました。

2016-08-25

[]オリンピック三木清

リオ五輪も無事に終わって次のオリンピック東京大会ですね。

次の大会が東京で催されることに決定したのは、とりわけ愉快なことだ。我が国民の誰も喜んでこの愉快な義務を負うであろう。それは確かに日本の獲得した權利であると共に日本に課せられた義務でもある。(中略)次のオリンピック大会が不可能にならないように、世界平和の維持のために努力することが日本の第一の義務である。オリンピック競技こそ国際主義の真の精神を教えるものである。

これは1936年に執筆された三木清のコラム「愉快な義務」(1936.8)の一節です(『三木清全集第十六巻』岩波書店、151-152頁。引用にあたり仮名遣いをあらためた。以下同じ)。

三木はスポーツに好意的だったようで「スポーツと健康」と題したコラム(1935.11)では次のように書いています。

スポーツは明朗だ、秋の空のように。卓越せる者がなんの嫉妬も成心もまじえずに讚美され喝采されること、スポーツの如きは稀であろう。この陰慘な世界情勢のうちにおいて、スポーツは我々の心を明朗にしてくれる恐らく唯一のものであろう。(三木、前掲書、71-72頁)

ちなみに引用文中の「成心」とはこの場合、したごころといった意味合いです。

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『人生論ノート』に「一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である」(「成功について」)とあるのもなるほどなと感じられます。ついでですが、この言葉は岸見一郎三木清『人生論ノート』を読む』では51頁に出てきます。

ここまで手放しにスポーツを賛美されると、三木はいささかスポーツを美化しすぎているのではないかと不審に思われる方もいるかもしれません。

しかし、そうではありません。三木は「競技と政治」(1936.3)で、ナチス政権下での開催が進められていたベルリン大会について、スポーツが「政治的目的、言い換えれば戦争の目的に従属」させられていることを(婉曲に)指摘したうえで、次のように書いています。

 スポーツが政治的目的に従属させられるのは確かに好ましくないことである。スポーツは戦乱時代の武技が平和の時代に変質したものであるとすれば、今日それが戦争の目的に使用されることはスポーツの先祖返りとも云うべきものであって、このようなアタヴィズム(先祖返り)は今日の如き反動時代には他の方面においても多く見られる現象である。

 しかしたといドイツの政治的行動には非難さるべきものがあるにしても、その理由からオリンピック大会に參加しないということは、自分自身スポーツを政治化するものであって、賛成できない。寧ろ現在の如き世界の情勢においては、スポーツを通じてでも国際親善の行われることが望ましいと考えられる。政治と競技との混同は避けたいものである。

 ナチスの理論家カール・シュミットは、政治的なものを規定する根本概念は、敵・味方という範疇だと述べている。しかるにオリンピック競技の淵源をなした古代ギリシアにおいては、凡ての生活が競技的な根本性格を有し、ギリシア人とギリシア人との血腥い衝突にあっても戦いは「アゴーン」(競技、試合)であり、相手は試合の相手であって「敵」ではなかった。

 社会の統一が維持されている間は、政治も何等か競技的性格を備えている。自由主義の華かであった時代には、政治におけるスポーツマンシップについて屡々語られた。ところが社会における内部的対立が激しくなると、政治はあらゆる競技的性格を失い、全く敵・味方の関係で規定されるようになり、スポーツマンシップなどもはや問題にならない。そしてスポーツも、体操の如きも、政治的目的に従属させられることになる。これは独りドイツのみのことでなく、あらゆるものが政治化する必然性を有する現代の特徴的傾向である。(三木、前掲書、108-109頁)

「政治と競技との混同は避けたい」と言いながら、最後の段落では「政治も何等か競技的性格を備えている」というのは、スポーツの競技(アゴーン)的性格を強調することで、カール・シュミットの友・敵理論(シュミット『政治的なものの概念』未来社)に対抗しようとしてのことでしょう。

スポーツの競技(アゴーン)的性格とは、「試験の明朗化」(1936.2)というコラムでは「コンクールの精神」とも言い換えられています。

スポーツがそうであるように、政治も敵愾心、嫉妬心、憎悪などによる争いではなく、平和の時代の「アゴーン」(競技、試合)のようにできないものか、天皇機関説事件で議員辞職した美濃部達吉が暴漢に銃撃され、2.26事件が勃発して世情が騒然としたなかで、三木はあえて説いているように読めます。

ちなみに三木が期待した「次の大会」とは1940年に予定されていた東京大会のことですが、1938年に日本政府は戦争遂行の負担になるという理由で開催権を返上して、幻の東京オリンピックとなってしまいました。

2016-08-10

[]『教育』で『よい教育とはなにか』が紹介されました


『教育』(2016年9月号)の書評欄に、ガート・ビースタ著、藤井啓之・玉木博章訳『よい教育とはなにか』の書評が掲載されました。

版元かもがわ出版さんの紹介ページはこちら↓

http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/201609_848.html

評者は、神代健彦先生(京都教育大学)で、「優しいニヒリズムに訣別」と題して詳しく論評してくださいました。

以下に、前半のさわりの部分をご紹介します。

こんな印象的な書き出しではじまります。

「よい教育とはなにか」―終わりのないこの種の議論は、わたしたちをひどく消耗させる。舞い降りる、優しいニヒリズム

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ここでいう「優しいニヒリズム」とはなにか。

それは、「苦しみを手放しなさい、そんな問いには答えも益もないのだから」、「知性には幸せな眠りを許し、現実にすべてを委ねなさい」etc…といった、教育者が「現実と折り合いをつけた「大人」になる」ための自己欺瞞の言葉でした。

本書がそんなニヒリズムに抗する努力であることは間違いない。人々から「よい教育」をめぐる思考を奪う、教育の技術の支配。しかし技術合理性は、わたしたちの知性の後見人ではありえない。教育テクノロジーがどんなに卓越化しようと、そこには常に「その卓越はなんのため?」「その技術の先に、どんな「よい教育」を見るのか?」という、わたしたちがみずから共同的に考えざるをえない価値の問いが残されるからである。本書は、そんな問いを問うための勇気と語彙とを、わたしたちに与えてくれる。

このあと、神代さんは本書各章の論点を、ご自身の視点から読み解きながらていねいに本書の全体像を紹介してくださいました。

書評は「価値ある面倒くささを生きることができるかがいま、問われている」という文で結ばれています。

すてきな書評を書いていただき、ありがとうございました。

掲載誌をご恵贈くださった教育科学研究会『教育』編集部様にも御礼申し上げます。

2016-08-08

[]読者から

夏真っ盛りとなりました。

暑中お見舞い申し上げます

小社刊、岸見一郎三木清『人生論ノート』を読む』について広島県のS・Hさんから、読者通信を頂戴しました。

要旨をご紹介させていただきます。

岸見一郎先生を知ってから著作を追うようになりました。

アドラー心理学には学ぶところが多いです。

今回の三木清もすごい人だと知り、岸見先生の解説もあって、気づきの多い読書となりました。

繰り返し参照したい一冊になり、感謝しています。

三木清はほんとうにすごい人ですね。

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広い視野と先見の明、追随を許さぬ博識、旺盛な筆力、まちがいなく昭和戦前期の思想界のスーパースターでした。

その一方で、家庭では子煩悩な父親であり、愛妻家でもあったことは前回このブログでご紹介したとおりです。

知れば知るほど底知れぬ魅力をもつ興味深い人物です。

岸見さんも、三木没後70年がたち、いま一度三木が読み返されるきっかけになれば、と語っておられました。

「繰り返し参照したい一冊」と、とても有り難い評価をいただきました。

版元としてもたいへん励みになります。

ありがとうございました。

2016-08-02

[]泣ける話は好きですか?──『人生論ノート』の言葉から5

転んだだけで泣いていた子どもの頃と違って、大人になると泣くことが少なくなりますね。

でも、○回泣けるなどと銘打った本や映画の宣伝を目にしますから、泣きたいという衝動は人にとって心惹かれるものなのでしょう。

三木清『人生論ノート』には、「泣きについて」や「悲しみについて」という章はありませんし、「夕鶴」のおつうはかわいそうだと泣けるような話は、残念ながら書かれていません。じゃあ、「泣ける話」というのはなんだ、と首をかしげた方、今しばらく少しおつきあいください。

さて、『人生論ノート』最初の章は、「死について」です。その中程に次の文章があります。

「私にとって死の恐怖は如何にして薄らいでいったか。自分の親しかった者と死別することが次第に多くなったためである。もし私が彼等と再会することができる──これは私の最大の希望である──とすれば、それは私の死においてのほか不可能であろう。」

三木さんは、「死について」を書いた頃、立て続けに近親者を亡くしています。とりわけ、幼い娘を残して急病で亡くなった、妻の喜美子さんへの思いは深かったのでしょう。

亡き妻の一周忌に、三木さんは、幼い愛娘にあてた『幼き者の為に』という文章を書いています。そしてその最後は次のように締めくくられていました。

「私としては心残りも多いが、特に彼女の存命中に彼女に対して誇り得るような仕事の出来なかったことは遺憾である。私が何か立派な著述をすることを願って多くのものをそのために犧牲にして顧みなかった彼女のために、私は今後私に残された生涯において能う限りの仕事をしたいものだ。そしてそれを土産にして、待たせたね、と云って、彼女の後を追うことにしたいと思う。」

能う限りの仕事」をして「待たせたね」と言って彼女の後を追うことにしたい、とは、グッとくるではありませんか。

しかし、現実には三木がその才能を十分に発揮し仕事を完結させることは、歴史が許しませんでした。

岸見一郎さんは『三木清「人生論ノート」を読む』の「終章」で、三木の最期を次のように書いています。

 逮捕された三木は、日本の敗戦後も釈放されず、不衛生な拘置所内で感染した皮膚病に苦しみながら、一九四五年九月二十七日、体調を崩して急性腎炎を発症し、四十八歳で獄死しました。

 三木は、あらかじめ考えられなかった死こそ最上の死だと書いていました。拘置所での孤独な死は、三木にとってあらかじめ考えられたものだったのかどうか。死の立場からみて、はじめて生を全体として把握できるのだとしたら、三木清という稀有の思想家の人生とはどのようなものだったのか。

三木の言葉を繰り返しましょう。

「問題は死の見方に関わっている」。

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歴史にもしもはないと言いますが、もしも、敗戦後直ちに三木を含む拘留者たちが釈放されていたら、三木は戦後「立派な著述をすることを願って」いた亡き妻への約束を果たすことができたでしょう。泣けてきます。

あまりに惜しい人を、あまりにも理不尽に失ってしまいました。

「問題は死の見方に関わっている」という三木の言葉は、ドイツヴァイツゼッカー元大統領の有名な演説のなかの言葉、「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を思い出させます。

希有の哲学者だった三木清の最期は、いまの私たちに何を、『人生論ノート』ほかの残された著作とともに伝えているのでしょうか。

詳しくは、『三木清「人生論ノート」を読む』をぜひお読みください。(了)