白澤社ブログ このページをアンテナに追加

2017-12-04

[]「出版ニュース」で『三木清遺稿「親鸞」』紹介

出版ニュース」12月上旬号で、子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』が紹介されました。

記事では、編著者・子安宣邦先生の序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」より「三木は宗教的人間である己れ自身を内に抑えて生きざるをえなかった。彼が宗教的人間であることをもう一度、そして最終的に証明すべき「親鸞」論を、三木は遺稿として遺さざるをえなかった」という文章を引いたうえで、次のように評してくださいました。

哲学者三木清終戦直後、獄中で亡くなり未完の遺稿『親鸞』が残された。本書は『親鸞』の解読を通して三木清が込めた「死と伝統」を考察する。著者は、親鸞末法論をめぐる三木の独自の読み方に感銘を受け、「三木自身のための」親鸞論を末法時の歴史的自覚の問題として捉える。さらに『人生論ノート』から死と孤独を『手記』から宗教観を導き出し、現代において三木清を読み直す意義を提示する。

f:id:hakutakusha:20170926162738j:image:right

出版ニュースさん、ありがとうございました。

子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』は全国の主要書店で好評発売中です。

2017-11-27

[]お悔み・江口昌樹さん

小社刊『ナショナリズムを越えて ─旧ユーゴスラビア紛争下におけるフェミニストNGOの経験から』(2004)の著者・江口昌樹さんが亡くなられたという報せをいただきました。

打ち合わせのためにお会いした江口さんは、とても真摯な、そして、やさしい方でした。

ご冥福をお祈りいたします。

今年6月に社会評論社さんから新著『拉致問題を超えて 平和的解決への提言 ─拉致・人権国際社会』を刊行されたばかりでした。

江口さんの新著については社会評論社さんのブログをご覧ください。↓

http://shahyo.sakura.ne.jp/wp/2017/06/21/

2017-11-13

[]『復元 白沢図』に文春砲炸裂?

ついに我が社にも文春砲炸裂か?と小さな社内が震撼いたしました。

なんと、かの「週刊文春」誌で、小社刊『復元 白沢図――古代中国妖怪と辟邪文化』(佐々木聡著)が紹介されていたというのです。

著者の佐々木聡さんから教えていただきました。半年以上も前のことだったそうです。

いやあ、まったく気づいていませんでした。

記事が出たのは「週刊文春」四月十三日号で、同誌の書評欄「文春図書館」の中の立花隆氏執筆「私の読書日記」でした。

遅ればせながら、一部を抜粋し、ご紹介いたします。

×月×日

『復元 白沢図 古代中国妖怪と辟邪文化』(佐々木聡 白澤社 2000円+税)は興味深い本だ。白沢とは人語を解する神獣で、万物の精(もののけ)に通暁しており、それをどう退散させるのかの辟邪(追い払うまじない)の方法論にも通じていた。中国の伝説上の帝王黄帝が国内を巡狩しているときにこの神獣と出会い、その方法を教えてくれたので、次に黄帝が代ってその方法を全土に伝え、中国全土からあらゆるもののけを追い払った。もののけの数は一万一千種もあり、追い払うには、その名を呼ぶ必要があった。(後略)

f:id:hakutakusha:20170112144539j:image:right

立花隆さん、ありがとうございました。

2017-11-01

[]神保町ブックフェスティバル―うちのネコちゃんやーい3

本の街神保町は恒例の神田古本まつり(10/27〜11/5)でにぎわっていました。

昨夜はハロウィンということで、渋谷あたりはたいそうな人出だったそうですが、神保町も負けてはいません。

古書をもとめる人でこみあう神保町にも、うちのネコちゃんはまぎれこんでいました。

ネコちゃんというのはもちろん小社新刊『〈江戸怪談を読む〉猫の怪』(横山泰子・早川由美ほか著)のことです。

今日訪ねたのは、東京堂書店神田本店さん。

文学書と人文書をあつかう三階に行くと、いました。うちのネコちゃんは〈江戸怪談を読む〉シリーズのお仲間たちと一緒で機嫌よく踊っていました。

f:id:hakutakusha:20171101163347j:image:right

(写真は東京堂書店さんの許可を得て撮影・掲載)

神保町では、今週末(11/3.4.5)に、ただいま開催中の神田古本まつりと並行して、神保町ブックフェスティバルも開催されます。

こちらは古書ではなく、すずらん通り・さくら通りに新刊書店・出版社が中心のブースが並び、ふだんはお目にかかれない在庫僅少本やサイン本なども販売されます。

軽食や飲み物も販売されるので、古書探索に疲れた足を休めることもできます。

神保町といえばカレーですが、中華も捨てがたいですよね。

この神保町ブックフェスティバルに、小社は出店しませんが、協賛広告(11/1付東京新聞朝刊掲載)に出広しています。

f:id:hakutakusha:20171101145351j:image:right

おっ、こんなところにもネコちゃんが!

『〈江戸怪談を読む〉猫の怪』は三省堂書店神田本店さんの「東京の本」ブックフェアにもまぎれこむ予定ですので、よろしくお願いいたします。

2017-10-26

[]西日本新聞で『三木清遺稿「親鸞」』紹介

子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」――死と伝統について』が、2017/10/24付 西日本新聞夕刊で紹介されました。

https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_new/article/361751/

 哲学者三木清は、1945年3月に検挙され、終戦から40日後に獄死した。疎開先で見つかった三木の未完の遺稿「親鸞」を復刻し、日本思想史家の子安が解説を付けた。三木の名著「人生論ノート」に連なる「死」と「伝統」についての思索がつづられている。

西日本新聞さん、ありがとうございました。

f:id:hakutakusha:20170926162738j:image:right

本書の序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」(子安宣邦)より少しご紹介します。

末法をめぐる仏説的解説はすべて遺稿に譲って、ここでは人間における死を譬喩として末法をいう三木の説き方をめぐって見てみたい。

「現在の意識は現在が末法であるという意識である。死を現在に自覚し、いかにこれに処すべきかという自覚が人生の全体を自覚する可能性を与えるごとく、現在は末法であるという自覚が歴史の全体を自覚する可能性を与えるのである。」死は決して継続する生の中間点ではない。それは生の絶対的な終わりであり、終極点である。だが病気とは病みながらも生が継続される中間点を意味している。三木は末法を死の譬喩をもっていうのである。死を譬喩とする末法とは、したがって病める時代をいうのではない。絶対的な終わりの時代をいうのである。だから三木は、「末法思想は死の思想のごときものである。それは歴史に関する死の思想である」というのである。(本書、p17-p18)

本書は、全国の主要書店のほか、下記のオンライン書店でも購入できます。

https://honto.jp/netstore/pd-book_28698851.html

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784768479674