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2018-05-10

[]子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」』が紹介

浄土真宗本願寺派総合研究所のサイトで、子安宣邦編著『三木清遺稿「親鸞」―死と伝統について』が紹介されました。

浄土真宗本願寺派総合研究所仏教書レビューのページ↓

http://j-soken.jp/read/9493

評者は芝原弘記(浄土真宗本願寺派総合研究所研究員)さん。

浄土真宗本願寺派といえば、本書『三木清遺稿「親鸞」』の主題である親鸞を祖とする宗派です。本書をどのように読んでくださったのか、小社としても興味津々です。

少しご紹介します。

評者の芝原さんは本書を「「三木清という哲学者親鸞聖人をどのように語っているのか、ちょっと読んでみよう」という軽い気持ちで手に取った」のだそうです。「結果、希有なる一冊に出会えたことを喜んでいる」と、書いてくださいました。

いったい、どういうところが「稀有」であったのか。

芝原さんは、本書の「他にはない独自性」として、「遺稿「親鸞」を通して三木清と出会った、子安宣邦体験の物語として編まれている」と指摘しています。

実際、本書は単なるアンソロジーではありません。

編著者である子安先生自身、次のように述べられています。

私は三木の遺稿「親鸞」が読み直されることを願っている。だがそれが本当に読み直され、三木の思念が我々に再生するかどうかは、この時代を我々の内においても外においても根源的な転換が遂げられねばならぬ末法の時代として自覚するかどうかにかかっている。(本書22頁、編者による序「遺稿「親鸞」から三木清を読む」(子安宣邦)より)

三木が親鸞をいかに読んだかを、現代のわれわれはいかに読み解くべきか、この問題意識に貫かれて編まれた一書が『三木清遺稿「親鸞」』です。

この点を、芝原さんはご自身の思いも重ねて次のように書かれています。

子安は遺稿「親鸞」を、「三木自身のための親鸞論」であり「〈私的〉な性格を持った著作」(11ページ)であると評する。〈私的〉とは、三木にとって「自己の人間と生のあり方への反省に立つものである」(同ページ)ということである。つまりここには、昭和の戦前戦中という激動の時代を生きた三木清という人間において体験された宗教があらわされているということができる。そして、それは三木個人体験で終わるものではない。三木は親鸞聖人の思想について、「悉く自己の体験によって裏打ちされている」(23ページ)という。つまり、阿弥陀如来の本願という真実に照らされて、末法内存在の凡愚であることを自己の体験として生きた親鸞聖人、その親鸞聖人の思想を自分自身の生の出来事として体験的に受けとめ、遺稿「親鸞」を著した三木清、その遺稿「親鸞」を通して三木と出会った体験を一冊の書物として世に送りたした子安宣邦、さらには、評者もまた、本書を読み終えたとき、親鸞聖人の思想を自分自身に寄せて体験的に受けとめようとする思いを持った。本書は、そのように幾重にも重なる「体験」によって貫かれているように思われた。

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芝原さん、心のこもったご紹介をいただき、ありがとうございました。

2018-04-20

[]『復元 白沢図』二刷出来

本日、品薄になっておりました佐々木聡著『復元 白沢図――古代中国妖怪と辟邪文化』の重版(二刷)が出来あがってまいりました。

これもご愛読いただいた読者の皆様のおかげです。あつく御礼申し上げます。

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『復元 白沢図』概要

[書 名]復元 白沢

[副書名]古代中国妖怪と辟邪文化

[著 者]佐々木聡 著

[体 裁]四六判上製、176頁

[定 価]2,000円+税

ISBN978-4-7684-7964-3 C0014 \2000]

書評

スポーツ報知2017年1/27付「本屋さんのイチ押し」(評者・阿部祐子氏)

週刊文春2017年4月13日号「文春図書館」(評者・立花隆氏)

『月刊東方2017年6月号』「ブックレビュー」(評者・高戸聰氏)

東方宗教130号』(評者・坂出祥伸氏)

まったく想定外だったのは江口夏実鬼灯の冷徹』(モーニングKC)ファンの皆さまによる怒涛のツイートでした。

おかげさまで漢字の多い専門書が初版刊行から一年あまりで重版となりました。

内容

中国の伝説上の帝王・黄帝は、神獣・白沢の言葉を記録して、あらゆる鬼神を撃退する知識が書かれた書物白沢図』を編んだとされる。

この書物は、禍を避け福を招く辟邪(へきじゃ)呪術を伝えるものとして珍重されたが、今から約一千年前の北宋時代に散佚したと考えられる。

この幻の奇書を、最新の研究成果をもとに復元。平易な訳文と解説を付した。

現代の妖怪文化の源流の一つである辟邪文化の原像を探る貴重な手がかりがここによみがえる。

2018-04-10

[]『母の憶い、大待宵草』目次

好評発売中の『母の憶い、大待宵草』(古川佳子著)の目次(小見出し含む)をご覧いただけます。

下記のURLをクリックしてください。↓

https://indd.adobe.com/view/54b1cb81-9d0b-4e87-8868-d6c61e9136b8

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なお書誌データは以下の通りです。

[書 名]母の憶い、大待宵草──よき人々との出会い

[著 者]古川佳子/[跋]田中伸尚

[体 裁]四六判並製、256頁

[定 価]2600+税

ISBN978-4-7684-7970-4

C0095 \2600E

2018-03-29

[]古川佳子『母の憶い、大待宵草』刊行

このたび白澤社では、古川佳子著『母の憶い、大待宵草──よき人々との出会い』を刊行いたしました。

来週中頃には全国の主要書店で発売される予定です。

新刊『母の憶い、大待宵草』概要

[書 名]母の憶い、大待宵草──よき人々との出会い

[著 者]古川佳子/[跋]田中伸尚

[体 裁]四六判並製、256頁

[定 価]2600+税

ISBN978-4-7684-7970-4

内容

卒寿を越えた私が、長く生きてしみじみ思うのは「よき出会い」を得たこと。かけがえのない「お宝」で満たされているから私はしあわせ者である。

出会いの最初は先ず父母、次いで夫となった人、それから後は「箕面忠魂碑違憲訴訟」を始めた前後から今日に至るまで、どれほど多くの人々に学び、そして励まされてきたことか!(…中略…) 

もともと私の根っ子にあったのは二人の兄の戦死であり、国家の暴力を見据えて〈是れに増す悲しき事の何かあらん亡き児二人を返せ此の手に〉と、天皇戦争責任を生涯思い続けた母の憤怒であった。(「はじめに」より)

偶然のような必然の出会いによって知り合った「よき人々」とともに過ごした時を、温かいまなざしでつづった涙と感動の人生記。

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目次

はじめに

第一章 父、小谷謙蔵のこと

第二章 母、小谷和子のこと

第三章 母、和子の戦後

第四章 夫、古川二郎のこと

第五章 ランソのヘイ、松下竜一さんのこと

第六章 箕面忠魂碑違憲訴訟、神坂哲・玲子夫妻のこと

第七章 「紡ぎ人」伊藤ルイさんのこと

第八章 啖呵きる短歌を詠う三木原ちかさんのこと

第九章 「戦死ヤアハレ」、竹内浩三さんのこと

第十章 忠恕のひと、井上とし枝さんのこと

あとがき

跋 過去が朝 くる前に(田中伸尚)

著者

古川佳子(ふるかわ よしこ)

 1927年大阪生まれ、二男三女の次女。兄二人は戦争末期に相次いで戦死。46年古川二郎と結婚し、二男一女を育てる。箕面の自宅近くの忠魂碑移設について、神坂夫妻の呼びかけで夫とともに違憲訴訟原告の一人となる。82年の地裁判決での画期的勝訴ののち、怒濤の日々を過ごす。出会ったよき人々との交流を『反天皇制市民1700』に15回連載し、本書となる。

[跋]田中伸尚(たなか のぶまさ)

 1941年東京生まれ。新聞記者を経て、ノンフィクション作家。

 本書に関連した著書に、『これに増す悲しきことの何かあらん──靖国合祀拒否・大阪判決の射程』(七つ森書館)、『反忠──神坂哲の72万字』(一葉社)等。そのほか『ドキュメント憲法を獲得する人びと』(岩波書店、第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞)、『大逆事件──死と生の群像』(岩波書店、第59回日本エッセイスト・クラブ賞)、『囚われた若き僧 峯尾節堂──未決の大逆事件と現代』(岩波書店)等、著書多数。

2018-03-28

[]カント花見

今週は東京都心の桜は満開、好天にも恵まれてお花見ウィークになりそうですね。

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小社最寄りの神田川沿いの桜も満開です。

今日のような、うららかな午後は、網谷壮介著『カント政治哲学入門』を片手に散策するのにうってつけです。

カント花見をしたか?

ところで、カント花見をしたのでしょうか。

もし「花見」を、桜の花をながめながら酒を飲んだり軽食をとったりする日本の風習と定義するなら、カント花見をしなかったが正解です。

桜の花の下でどんちゃんする花見庶民に広まったのは、江戸時代中期享保年間(1716-1736)のころからだとされています。

カント享保九年(1724)の生れですから、日本に来ていれば、きっと花見に出かけたに違いありませんが、実際には「カントは生涯、ケーニヒスベルクの街から一歩も外へと出ることはなかったと言われている」と網谷さんは書いています(網谷、p167)。

したがって、カント花見をしませんでした。

けれどもカントは、自室に閉じこもって純粋理性の誤謬推理について考えてばかりいたわけではありません。

網谷さんによれば「ケーニヒスベルクは発展した港街であり、カントは街を訪れる商人や軍人とも社交し、世界への見聞を広めていた」そうです(網谷、p.167)。

トリビアなネタが満載の『実用的見地における人間学』とか、『判断力批判』にあるエジプトピラミッド観光のコツとかも、こうした社交と会話によって材料を得たのだろうということです。

飛鳥山の桜も吉野の桜も観に来なかったカントですが、寛政七年(1795)に出された『永遠平和のために』では、ヨーロッパ植民地政策を批判する観点から「日本と中国鎖国政策が、ヨーロッパ植民地主義者の非友好的振る舞いを吟味した末での思慮に富んだものだったと評価しさえ」しているそうです(網谷前掲書、p195)。

老中松平定信による鎖国引締め政策がカントの耳にも入っていたのでしょうか。

今週の名言

世界市民観点に立つためには、なにも世界中を旅行する必要はない。ただ、世界に対する関心が必要なのだ。(網谷壮介著『カント政治哲学入門』より)

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カントの言葉ではありません。

カントの世界に開かれた態度を要約した網谷さんの文章です。