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2016-06-30

[]なぜ三木清

しばらくのあいだ、新刊『三木清『人生論ノート』を読む』の刊行を記念して、編集こぼれ話を続けます。

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最初の話題はやっぱりこれでしょうか。

なぜ三木清か。

もう少し詳しくいうと、なぜアドラー心理学で有名な岸見一郎さんに哲学者三木清を論じる本のご執筆をお願いしたのか、です。

岸見一郎さんといえばベストセラーになった『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)のイメージが強いためか、著者にとって畑違いの企画ではないのかとのお尋ねをしばしばいただきました。

けれども、小社にとっては、そしてたぶん岸見さんにとっても、ものすごく自然な流れでこうなったのです。

話は十年以上前にさかのぼります。

2005年のことでした。小社から刊行した高橋哲哉『反・哲学入門』を岸見さんがご自分のブログで取り上げてくださったのをきっかけにして交流がはじまりました。

初めてお会いしたのは2005年の暮れ、京都駅ビルの喫茶店で話し込んだのでした。

たしか、岸見さんが師事された故・藤澤令夫先生の想い出話やらをうかがったと記憶しています。

岸見さんは、すでにアドラーの翻訳やアドラー心理学入門書も出されていて、そのことは小社も知っておりましたが、岸見さんについて小社のもった印象は、心理学もできる哲学者というものでした。

サルトルやメルロ-ポンティを読まれた方ならすぐに納得してくださると思いますが、哲学心理学はもともととても近いジャンルですし、心理学のなかでもアドラーもそこに含まれる広義の精神分析学派の学説は、現代哲学が好んで取り上げる題材です。

ですから、岸見さんが哲学科の出身で、古代ギリシア哲学アドラー心理学を並行して研究していることになんの違和感もいだきませんでした。

そこで、アドラー心理学の方は当時から別の版元さんで出されていたので、小社からは哲学の本を出しましょう、とお約束して別れたのでした。

その後、何度かの試行錯誤を重ねて、2010年頃からプラトンティマイオス/クリティアス』の新訳に取り組んでいただき、あまりの難解さに気が遠くなりながらの編集作業を経てついに昨年刊行いたしました。

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この岸見訳『ティマイオス/クリティアス』の編集作業のなかから、三木清を岸見さんに論じてもらったら、というアイデアが生まれたのです。

ティマイオス/クリティアス』に収録した岸見さんによる訳者解説によれば、プラトンティマイオス』はプラトン著作中、後世の著作家たちによってもっとも多く引用・参照されてきたのだそうです。

とくに『ティマイオス』に登場する「コーラ―」(場所、場などと訳される)は、現代でもデリダが論じたことで有名です(デリダコーラ未来社)。

それでは日本ではどうかというと、とっさに思い出せるのは西田幾多郎論文「場所」と、西田の議論をふまえた中村雄二郎『場所』と上田閑照『場所』(いずれも弘文堂)くらいです。

けれども、西田が読んでいたなら京都学派のほかの誰かも読んでいたはずだろうと、ふと手元にあった三木清『人生論ノート』(新潮文庫)をパラパラッと開いたら、「人間の条件について」と「秩序について」の章にそれらしき断章があるのではありませんか。

思わず岸見さんに電話しました。「岸見先生っ、三木が『ティマイオス』を読んだ形跡がありますよ!」。

そうしたら、なんと岸見さんは高校生のころからの三木の愛読者だとのこと。

そこから話がふくらんで、このたびの『三木清『人生論ノート』を読む』の刊行にいたったわけですが、長くなりましたので何がどうふくらんだのかはまた別の機会に。

2016-06-29

[]グローバリゼーション三木清

先週末からマスメディアイギリスのEU離脱のニュースでもちきりですね。

今日のニュースでは、アメリカ大統領候補の一人が自分が当選したらTPPから離脱すると表明したそうです。

自由主義の発達による世界市場の形成によって圧迫された国民の立場において世界主義に反対する国民主義が唱えられ、それはやがて自由主義を否定する権威主義の思想にまでなった。

引用したのは今朝の新聞の社説からではありません。三木清が1941年に執筆した「自由自由主義」の終わりの方にある文です(『三木清全集第七巻』岩波書店、479頁)。

自由主義ネオリベラリズム世界市場をグローバル市場、世界主義をグローバリズム国民主義ナショナリズムと置き換えれば、こんにちでもそのまま通じそうです。

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このたび小社から刊行しました、岸見一郎著『三木清『人生論ノート』を読む』の「はじめに」で、岸見一郎さんは「三木の言葉がいまの時代にも通じる問いを投げかけている」と書いていますが、まさかこんなところまで似てくるとは泉下の三木清もびっくりでしょう。

三木が亡くなってから70年以上の歳月がたったわけですが、「進歩がないね」と草葉の陰で苦笑いしているかもしれません。

2016-06-27

[]東京新聞に広告を出しました

今日の東京新聞朝刊に広告を出しました。

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掲載したのは次の三冊についてです。

岸見一郎著『三木清『人生論ノート』を読む』

子安宣邦著『歎異抄と現代』

プラトンティマイオス/クリティアス』(岸見一郎訳)

共通テーマは、古典を読む、のつもりです。

ついでに言いますと、子安宣邦著『歎異抄と現代』の第10章は三木清親鸞」について述べた章ですが、そこで子安先生は三木の『人生論ノート』についてこれまで軽視されてきたのではないかとの指摘をなさっています。

そこで調べて見ると、木田元著『新人生論ノート』(集英社新書)のような、三木『人生論ノート』をモデルにした出版物はいくつもありますが『人生論ノート』そのものを主題にした単行本は見つかりませんでした。

この話を、プラトンティマイオス/クリティアス』の翻訳をしていただいた岸見一郎さんにお話したら、実は自分は高校生のときから三木清を愛読していたとのことで、ひょうたんからコマのように、このたびの新刊『三木清『人生論ノート』を読む』の企画がスタートしました。

このように、この三冊は古典再読というテーマ以外にも、編集のプロセスでは秘かにつながっていたというわけです。

2016-06-23

[] 岸見一郎著『三木清『人生論ノート』を読む』刊行

このたび白澤社では岸見一郎著『三木清『人生論ノート』を読む』を刊行いたしました。

嫌われる勇気』の哲人による哲学入門です。

まもなく主要書店で発売となる予定です。

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新刊 『三木清『人生論ノート』を読む』 概要

[書 名]三木清『人生論ノート』を読む

[著 者]岸見一郎

[頁数・判型]四六判並製、224頁

[定価]1800円+税

ISBN]978-4-7684-7962-9

内容

死とは何か、幸福とは何か。虚栄心と名誉心、怒りと憎しみ、愛と嫉妬、孤独への恐れなど、人間だからこそ生じる問題に、敗戦後に獄死した稀有の哲学者三木清はどうこたえたのか。1941年の刊行以来、多くの読者に人生の指針として長く読み継がれてきた『人生論ノート』を、『嫌われる勇気』の哲人・岸見一郎による平易な講義と詳細な注で読み解く初の入門書


著者紹介

岸見 一郎(きしみ いちろう)

1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。現在、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学非常勤講師。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』(唯学書房)、『生きづらさからの脱却』(筑摩書房)、訳書に『人生の意味の心理学』(アドラー著、アルテ)、『ティマイオス/クリティアス』(プラトン著、白澤社)など多数。

目次

はじめに──人生とは、人間とは何かを悩む

1 死と希望──「死について」〈前半〉を読む

2 幸福と成功──「幸福について」「成功について」を読む

3 虚栄と名誉──「虚栄について」「名誉心について」を読む

4 怒りと憎しみ──「怒について」を読む

5 虚無と人間──「人間の条件について」を読む

6 孤独を超える──「孤独について」を読む

7 愛と嫉妬──「嫉妬について」を読む

8 死と伝統──「死について」〈後半〉を読む

終章──三木清の死

三木清について

哲学者1897年兵庫県生まれ。京都帝国大学哲学科で西田幾多郎に師事。1922年から25年までドイツに留学し、リッケルトハイデガーに学ぶ。帰国後、1930年法政大学教授を辞してからはジャーナリズムで活躍。哲学、社会評論、文芸批評などで新聞・雑誌に健筆をふるう。1945年3月に検挙・拘留され、敗戦後約1カ月の9月に獄死享年48歳。

著作は『三木清全集』全二十巻(岩波書店)にまとめられているほか、『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)、『人生論ノート』(新潮文庫)、『哲学ノート』(中公文庫)、『読書と人生』(講談社文芸文庫)などは文庫化されている。

2016-06-06

[]図書新聞で『よい教育とはなにか』が紹介されました

図書新聞」(6月11日号)で、ガート・ビースタ著、藤井啓之・玉木博章訳『よい教育とはなにか』の書評が掲載されました。

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見開き頁の上段に「新しい教育思想の誕生」との見出しがドーンと踊っているのがうれしいです。図書新聞さん、ありがとうございます。

評者は、藤井佳世先生(横浜国立大学教育人間科)で、ビースタの最初の邦訳書『民主主義を学習する』(勁草書房)の翻訳者のお一人です。

記事から一部をご紹介します。

本書で主に論じられているのは「社会化」と「主体化」の違いである。とりわけ第4章において「主体化」の特徴が語れている。それによると「主体化」は教育の本質的要素であり、欠くことのできない機能である。というのは教育が人間の自由に関わるものであるかぎり、「主体化」の次元を忘れるべきではないからである。

そして、「主体化」という提案の理由として、ビースタの考え方を次のように紹介しています。

教育学は、子ども社会化(人間になること)について論じてきた。ところが、規制の秩序に参入する人間の姿からは、自由の領域が十分に用意されているとはいいがたい。必要なのは社会化から教育を区別する道である。

今夏の参院選から選挙権が18歳に引き下げられることになり、高校生への政治教育が大きな関心を呼んでいます。主体化の教育が必要なのだとする本書は、その教育実践にとって重要な考え方を示しています。

藤井佳世先生、ご高評いただきありがとうございました。