4月14日(木)「ハチ公&飼い主骨折の記」


※ハチ公の左足首(シフトペダル)骨折、応急措置後。

※ハチ公の左手首(クラッチレバー)骨折、先が飛んで短くなっている。
  10日(日)のクラブの月例ツー終盤、奇石博物館に向かう県道72号線の登りワインディング道路のややタイトな左コーナーで右に膨らみすぎたハチ公を急いで左に戻そうとして失速、安定を失って左側を下に倒してしまった。はずみで私も道路脇に落下、左胸側部を縁石に強打した。そこまで数秒のことだが、どういうわけだか、すべてのプロセスが意識下にある。しまった!ついにやってしまった!と思いながら立ち上がろうとするが打った箇所がとても痛くて容易でない。しかしながら、ようやく起きてショックだったのは、私のすぐ後を走っていた方も巻き添えで倒れておられたこと。自分のことよりもその方への申し訳なさが先に立って、思わず詫びたが、にっこり笑い返してくださって少し救われる。
  私がすぐに行ったのはキルスイッチでエンジンを止めただけ。仲間が次々と自分のオートバイを停めて救援に駆けつけ、2台のオートバイを起こし、平らな安全な場所に動かしてくださる。ここで被害状況の確認。クラッチレバーの先っぽの3分の1ほどが欠けたのはすぐ分かったが、シフトペダルの足先を乗せる部分(逆L字型の短い直線の部分)は見事に根元から欠けていたためにすぐには損傷に気がつかない。誰かが、ギアが動かせるかどうか試してみたらというのでそうしようとして、足先を乗せるものがないのにやっと気がつく始末。道路を見たら、ぽっきりと折れた先が見つかった。昼間にみんなで、フルカウルのバイクは転けたらカウルの被害等で「一転け10万円」という話をしていたのだが、そのカウルは、幸いなことに先端にほんの少しの擦り傷がある程度で済んだ。
  いずれにしても、ギアチェンジが行えないのでは乗れないので、BMWの救援を呼んで搬送してもらうしかないと決断。皆さんには先の行程を急いでもらうことにして、会長等に伝えたのだが、皆さんは「応急修理して走れるようにしよう」と、いろいろと工具を持ち寄ってくださる。ここで一番ラッキーだったのは、どなたかが長さ15センチほどある極太のL型の六角レンチを持っておられたこと。この長辺をシフトペダルの損傷のなかった縦棒に固定し、短辺に足先を乗せてペダル代わりにする応急策で、さっそく、まず結束バンドで両方を仮固定してから針金で本締め。その後をガムテープと幅広の絶縁テープで巻き上げたら、がっちりと固定が完了した。ここで私がハチ公にまたがりカチャカチャと実際にギアチェンジしてみると完全にOK。
  この間30分程度か、皆さんには大変迷惑を掛けてしまったが、再度みんなで出発。しかし私は、ハチ公を今日中にディーラーに修理に持ち込まなければならないし、選挙の投票にも行かなければならないので途中で皆さんと別れて富士山スカイライン経由、御殿場から東名高速に乗って横浜のディーラーに直行することにした。富士山スカイラインの寒かったこと。両側には雪が残っている。「富士山新5合目」の行き先表示ばかりが出てくる中、他の車はほとんど通らず、「御殿場方面」の表示が出てくるまではかなり心細かった。一人走りながら、今後のオートバイ人生を考えたが、不思議と、これで懲りてもう降りるという選択肢は全く出てこない。もっと上手く乗れるようにするにはどうしようということばかりであった。
  まず、今回の転倒事故を冷静に分析してみると、コーナーを廻ったとき、ギアを3速にしていたのが間違いであった。オートバイ道楽再開に際してあれこれ読んだ本の中に、「コーナーは高いギアで低回転にしたうえでスロットルを大きく開けた方が、強いトラクションを得てしっかり曲がれる」てなことを書いてあったので、これまでなら2速かローで廻っていたところを今回はほとんど3速を多用してしまった(本の推奨は4速か5速)。結果、3速で失速してしまったのだが、リッターバイクでもないし、そもそも何の技量も持たない私は、本で読んで頭でっかちになるよりも、安全というレベルを自分自身でつかんで、人から遅いとか下手とか言われようとも、自分のペースを大事にすべきであった。「上手く乗る」とは、結局そういうことではないかと、気がついた次第。
  午後4時半頃に足柄SAに到着して給油し、そこからディーラーに電話して事情を伝えると、7時半までは待っているからゆっくり気をつけて来てくださいとのこと。東名は13キロの渋滞であったが、すり抜けしつつ、6時ジャストにディーラーに到着した。ハチ公を預けた後、痛む胸をかばいながら電車で帰宅。この状態では妻にうそをつくわけにもいかないから、「転けた」と告げると、「オートバイに乗るのなら、日頃からそのための体力づくりをしていなければならないのに、この頃は何にもしていなかったじゃないの」と、手厳しいことを言われてしまった。実際、ジョギングもダンベル体操もさぼってばかりであったので、機敏性に欠けていたのかもしれない。「そういえば、ずっと前に転けたときにはジーンズを破いてきてバレたのよね」と、余計なことまで覚えている。
  気を張って家までは帰ってきたが、とにかく左胸側部が痛く、もう選挙の投票に行く気にもならない。食事をし、温かい湯にゆっくりと浸かって疲れを取った後に打ち身用の大きな湿布薬を妻に貼ってもらって、クラブの掲示版に帰着報告を書いてから早々と就床したが、左胸側部の痛みが全身に廻ったようで、寝返りを打つのも辛い状態となってしまっていた。これはひょっとしたら単なる打ち身ではなく、肋骨にヒビでも入ったかもしれないと覚悟する。
  で、翌日(月曜日)朝一番、地域の総合病院の整形外科に診せに行ったら、レントゲンの結果、肋骨骨折と判明。医師には「手術を必要とするほどではないが、胸部の固定と鎮痛剤の処方等を行う。全治1ヶ月くらい。日常生活は普通でよいが、身体をよじったり、激しい運動はしないように」と言われた。看護師に胸部ベルトをきつく巻いてもらい、帰宅して痛み止めを飲んだら、外のポカポカ陽気とも相まってすっかり軽快した気分となり、クラブのメンバーに電話を入れたり、メールを出したりして、昨日のお詫びや御礼や相談などで午後の時間を使った。残念無念だったのは、5月の連休の紀伊半島1周ツーリングを断念せざるを得なかったこと。その頃になったら乗れそうな気はするが、医師の言う全治する期間にまだ満たないし、復活トレーニングを積まないままに参加して他の方にまたご迷惑を掛けてもならないので、自制した。いろいろあるのが人生だ・・・