映画鑑賞する

 レオナルドの暗号を見ました。こう書くと「猿田彦の暗号」を思い出します。もう、発売日表には載っていない、たなかまさしさんが良くネタにしていた、あの「猿田彦の暗号」を。だからどうした。
 内容。

 「魔女狩り景教の陰謀だったんだよっ!」
 「な、なんですって!」

 それ以外にもいろいろあったような気がするけれど、話の展開がやたらマキが入ってとんとん拍子に進みすぎたのは、見ていて頭が痛くなりました。情報量が多すぎです。陰謀論とかの話は、そういうのに慣れていないとわけわからんだろうなぁとか、サスペンス部分がマキ入ってて早すぎるとか、そのわりに話が長いとか、ネガティブなのはいろいろ思いつきますが、ラストの大オチが映像的に美しかったのと、鬼気迫り演技が見れたので、まあ若干マイナスぐらいかなー。

 脳内内ゲバ。

 昔好きだったものに対して、過剰に反応しなくてもいいんじゃないか、とかふんわりと。
 恥ずかしいのはある意味当然で、それは昔と今とじゃ今の方が遥かにましになってる場合が多いから。いかに昔が駄目駄目だったか、というのに気づくのは悪い事ではない。
 問題はそこで極に振れる事。強く否定しなくてもいいし、また反対に無理に正当化しなくてもいいんじゃないか。すぐに、「あれは駄目だった!」とか「あれに関わった10代をどうしたら」とか否定するのは簡単だけれど、誰か権威に思考を任せて先を自分で考えないで、なおかつ無かった事に出来ない過去を抹消するのは、いずれ自分の立ち位置が見えなくなるような気がする。
 かといって、「あれはあれでよかった」、「俺の10代は最高」とか万歳三唱もどうか。だって、絶対恥ずかしいんですよ、昔なんて。絶対「あー、これはやっちゃったなー」って事はあるはずで、それを無視するのもそれはそれで問題だろう。
 だったらどうしたらいいかって言うと、可否どっちの極にも振れる事無く、虚心坦懐なく起きた事を出来るだけありのまま受け入れていくのが、まあまあな所なんじゃないでしょうか。
 言い換えれば恥を良くも悪くも「知る」、って事でしょうか。恥に踊らされない、とも。まあ、恥ずかしいと思った時に取り乱さない、って所が重要なんじゃないですか。
 あー、ぐだぐだー。

 感想『撲殺天使ドクロちゃんです』(ISBN:4840234434)

おかゆまさきと愉快な仲間たち:電撃文庫:550円>

 内容を要約すると「協和する不協和音」
 全員が各々のやり方で書いた為に「なんだろうこのコンセプト同人」になってしまった、いろんな意味で奇跡的な一品です。トリビュートってつければ何しても許されるのでしょうか。
 許されるんだろうなぁ。
 さておき。
 さまざまな作家さんがただでさえ作品の構成要素がゆっるゆるの「撲殺天使ドクロちゃん」を、よってたかってするのはなかなかに楽しいですが、同時にハラハラします。なにしでかすか分かったもんじゃないですから。そして実際しでかしてるわけですが。
 で、同じ書き出し&書き終わりで一応のくくりをしたことが、そのくくりをいかにするかに注力した作家陣の暴走を呼んでいるんですが、これが図に当たっているというか、その作家個人個人の良さを上手い具合に引き出しているので、かなり楽しいわけです。好きな作家が一人二人いれば、かなり元が取れた気分になるんじゃないかなぁ。他の作家のも比較対象としてみれば楽しめるし。この辺のやり方のセンスはさすがおかゆまさき、と思ってみたり。というか、構成まで考えたって、おかゆさん、あんた編集者の方が向いてるんじゃないか?と思わずにいられません。*1
 気が付いたら、いつのまにかおかゆまさきが編集者になっている、というバカ小説から始まるミラクルが、案外そう遠くない未来に現実味を帯びてきたりしたら、それはそれで楽しいかも。
 さて、せっかくなので作家別の感想を、「ドクロちゃんフォーマットに沿っている」、「作家らしさ」の二点の割合を比率で出しながら書いてみましょう。

*1:撲殺天使ドクロちゃん」あっての事とはいえ

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