宇野千代「色ざんげ」の成立過程

宇野千代色ざんげ」の成立過程
   関西大学非常勤講師  荒井 真理亜

 宇野千代の「色ざんげ」は、「中央公論」の昭和八年九月一日発行(第48年9号)、昭和九年二月一日発行(第49年2号)、昭和九年九月一日発行(第49年10号)、昭和十年三月一日発行(第50年3号)の四回に分けて掲載された。十返肇が「完璧な世界をつくりあげている」(「解説」『色ざんげ河出文庫〉』昭和30年9月30日発行、河出書房)と述べ、河盛好蔵も「美しい完璧ともいうべき作品」(「解説」『色ざんげ〈角川文庫〉』昭和30年4月20日発行、角川書店)と評したように、宇野千代の代表作として高く評価されている。
 また、大塚豊子が「『色ざんげ』とその周辺」(「学苑」第694号、平成10年1月1日発行)で、「聞き書きによる語りの形式は、『色ざんげ』から始まり、『人形師天狗屋久吉』(昭18・2 文体社刊)『日露の戦聞書』(昭18・12 文体社刊)などを経て、『おはん』(昭32・6 中央公論社)の成熟をみたというのがほぼ定説になっている。『色ざんげ』以後作者のもっとも得意とする形式となったことは確かである」と述べるように、宇野千代には「色ざんげ」の他にも、「人形師天狗屋久吉」「おはん」といった聞き書きによる語り形式の佳作がある。宇野千代文学において、この聞き書きによる語り形式で最初に成功したのが、「色ざんげ」なのである。
 「色ざんげ」は周知の如く、洋画家・東郷青児の心中未遂事件を題材にした作品である。複雑な女性関係の末に起こった東郷青児の心中未遂事件は当時世間を賑わした。しかもその翌年、宇野千代が渦中の東郷青児と同棲を始めた。そして、東郷青児をモデルにして、東郷青児から聞いた心中未遂事件のいきさつを「色ざんげ」に描いたのである。スキャンダラスな関心もあって、発表当時、話題とならないわけなかった。こうして、「色ざんげ」は、作家・宇野千代出世作となったのである。
 しかし、宇野千代は「色ざんげ」を描く以前に、既に東郷青児の心中未遂事件を扱った作品を書いていたのである。それが「情死未遂」である。「情死未遂」は、「婦人公論」の昭和七年一月一日発行(第17巻1号)から七月一日発行(第17巻7号)まで七回連載された。「情死未遂」は完結を待たず連載が中絶し、その後も続きが書かれることはなく、未完のままとなっている。
 「情死未遂」と「色ざんげ」は、同じ東郷青児の心中未遂事件を扱った作品であるが、二つは題材の扱い方が異なっている。本発表では、「情死未遂」と「色ざんげ」を比較検討することで、宇野千代の代表作「色ざんげ」の聞き書きによる語り形式の成立過程を解き明かしたい。