RSSフィードの全文配信がデフォルトになったら、ブログの醍醐味は緩やかに閉ざされていくのではないか

全文配信は本文しか配信しない

はてなRSSフィードの全文配信をデフォルトにするかどうかアンケートを取っているのを見ていて、特段の事情がない限り全文配信が望ましいのではないかとエントリを起こしていたが、下記のエントリを読んでいると自分の考えを多少修正せねばならないと思った。

  • RSSで全文配信
  • サイトのコメント欄で有意義な議論 or トラバ合戦が行われている
  • 気づかずスルー
  • 議論の発展、知識の取得で機会損失が生まれる

これは・・・かなり痛い気もする。
fladdict.net blog: RSSに全文を突っ込むのは思ったよりリスクがあるかも

RSSフィードの全文配信に慣れてRSSリーダーの内だけで情報収集をしたつもりになっていると、同じエントリでも生サイトとRSSフィードでは知らずのうちに得られる情報の質に差が生まれているんじゃないか、という仮説。
いま、RSSリーダーを使っているユーザの大半はこれまでの「ローカルのお気に入りを逐一クリックしてサイトを巡回する」体験を経てきた世代で、RSSリーダーを「(これまでの辛気くさい作業に比べて)なんて楽で便利なものか」と重宝する感覚で使っている向きがほとんどだろう。(自分がまさにそう)
だから、RSSリーダーで面白そうなエントリを捕捉したときはタイトルをクリックしてコメントやトラバがついていないか自然にチェックする習性はまだ残っているように思う。
いまはまだパソコン誌に解説が載るような、ブログほど一般化したとはいえないRSSだが、来年にもRSSリーダーの機能を搭載したInternet Explorer 7が出てくると、RSSは一躍キャズムを越えて「お気に入り」に代わる地位を築くことになるだろう。
そこで、RSSの全文配信がデフォルトになっていて、「ブログの購読をRSSリーダーで済ませることを当たり前に感じている世代」が台頭するとどのようなことが起こるのだろうか。
ブログを読むというよりは、メールボックスに配信されたメールマガジンを読む感覚でテキストを消費している光景が浮かびはしないだろうか。(しかも、過去のRSSフィードはメールと違って一定の期間が過ぎると削除されるので消耗品的な情報を扱うにも実に都合がよい)
タイトルをクリックすればブログの生エントリを直接読めないことはないが、自分のポータルの中でいちおうの情報収集はできるので特別の動機がない限り能動的な行動を取ることも減っていくだろう。

コミュニケーションの方向としては閉じていくのではないか

悲観的かつ長い目で見ると、RSSの全文配信をデフォルトにすることでブログの醍醐味ともいえるコメントやトラックバックの機能が薄い膜で隠されるように覆われていき、「近づけないことはないが、無意識のうちに近づかない」ものになっていく。デフォルトで開かれていた双方向のコミュニケーションの機会は結果的には緩やかに閉ざされる方向に進んでいくとはいえないだろうか。
RSS=たしかRDF Site Summary.
RSSの本来の役割はサイトの要約の配信だったな、と、今さらながらに思ってみた。