ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

 『現代社会はどこに向うか』(見田宗介著)を読んで感じた違和感

 「 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません」(ルカ21:9)
 nankaiさんが紹介してくれた上記の本を読んだ。読後感としては聖書的見地から違和感がある。
 序章の最後にある言葉。「幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての『天国』や『極楽』は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。『天国』や『極楽』という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという、高原が、実現する」。
 果たしてそうか。天国は「幻想」なのか?
 「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタイ12:28)。
 このみことばによると、今この世は悪魔とその手下である悪霊どもが支配している。勿論目に見えない形で。
 しかし先駆者バプテスマのヨハネが現れ、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)と説教した後、救い主イエス・キリストがこの世に来て、サタンの支配を打ち砕き、天の御国は到来したのである。福音を信じる者の心のうちに、神の支配する王国は来た。目に見えないけれどもその事を信じる、それが信仰である。それゆえ信仰者にとって天国は断じて幻想ではない。心の中の現実である。
 さらに「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」(マタイ24:14)とある。救い主にして王であるキリストは、十字架で苦しみ、死んで三日目に甦られた。そして現在天でこの終わりの日=終末を待ち構えておられる。その後キリストは王、裁き主として再び地上に来られる。いわゆる千年王国が到来する。その千年後にサタンは滅ぼされ、待望の新天・新地がやって来て、信徒は永続するいのちの輝きを享受する。それまでの間、サタンは活動しているから、このまやかしに乗せられ、人びとは一見幸福に暮らしている、或いは暮らすようになるかの如く見える。
 勿論見田氏も三章「ダニエルの円環」で旧新約聖書に触れている。その流れは知っている。だが信仰者ではないから、その解釈は全く間違っている。最後の審判という壮大な結末の物語は、「預言者ダニエルの霊感において創造された」のではない。旧約の古くから預言は多くされていた。
 見田氏はこの聖書が「幾億の人びとの心のよりどころとなってきたのは、現在生きていることの不幸が、天国によって、『審判』によって、未来によって、必ず救済されるという、神と人間との約束の文書であるからである」。「現在の生が不幸である…」。
 見田氏はイエス・キリストにある現在の生が幸いである事を、全然わかっていない。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:3)
 現代社会は果たしてどこへ向うのか?聖書のみ明確に示している。私は一介の心の貧しい者に過ぎないから、間違いはある。しかし聖書では預言はことごとく成就して来たし、これからも成就する。世はますます悪くなり、人々は不幸になる。そして終末、キリストの支配する千年王国、さらに永遠に続く天国である。
 私は見田氏の出した社会科学の本は結構読んで来た。傑出した社会科学者であるのは確かだ。その影響力は大きい。だから私は聖書はこう言っているという、見田氏の対極を述べたに過ぎない。失礼や誤解は赦して欲しい。nankaiさんごめんなさい。