機動戦士ガンダム00第18話「悪意の矛先」とルイス・ハレヴィ、その転換点(3)

今回はルイスの肢体の喪失について考えます。今回、これが最も大きな出来事であり、そして今回の話を「転換点」とする大きなポイントだと考えているからです。
その前に、「携帯電話が繋がらない」という事態から考えていきます。
今作のガンダムから発せられる「GN粒子」なるものは、電波・通信を「遮断」するものとして出てきますね。過去のガンダムにも「ミノフスキー粒子」が同じように扱われていましたが、ミノフスキー粒子とGN粒子の大きな違いは、後者が「ガンダム」にしか発することの出来ないものであることにあります。つまり、今作においてガンダムは非常に特権的に扱われているわけです。
通信の遮断とは、コミュニケーションの断絶ということです。コミュニケーションの断絶、その究極的な形は「死」であるように思いますが、今回ルイスはその最悪の事態だけはどうにか避けることが出来ました。しかし、四肢を切断されてしまった(襲撃によるものか、それともその後の手術によるものなのかは置いておきます)わけですね。その前触れとして、まず携帯電話が繋がらなくなったわけです。
今作のガンダムの持つ記号性(とでも言うのでしょうか)には、「断」と「絶」があるように思います。戦争の根絶を目的とし、通信を遮断し、ルイスの四肢を切断する、ガンダムはそういった存在です。主役機のガンダムエクシアが剣を使った戦闘スタイルであることも、「切断」の一つの表れでしょう。
さて、もう一つガンダムが断ち切ってしまったモノがあります。それは「戦争」サイドと、「日常」サイド(ルイスと沙慈が登場するパート)の境界線です。私はルイス、沙慈、ガンダムが越境者であると語りましたが、今やその越えるべき境界線さえ断たれました。これまでも何度かルイスと沙慈は戦争(00の本筋)に巻き込まれかけながらも、どうにか「日常」を保ってきたわけです(戦争の合間合間に繰り広げられる、沙慈・ルイス・その母による「和やかな」光景)。しかし、ルイスの左腕の切断によって、もうガンダム00を二つのパートに分けて考えることは出来なくなってしまいました。たとえルイスと沙慈が立ち直って、もう一度「日常」を演じようとしても、それは視聴者にとって以前とは違う形で受容されるからです。看護士が「心の傷は癒せない」と言っていましたが、我々視聴者にも「ルイスの左腕は喪失してしまったんだ」という、「心の傷」(=記憶)が刻み込まれてしまったのです。平たく言うと、「後戻りできない」状況に、物語は追い込まれてしまったわけです。それが私の言う「ターニングポイント」としての、第18話の見解です。

今読んでみると雑過ぎる文章でしたが、どうにか第19話の放映までに書き終えることが出来ました。
最後にまとめておきますと、私の取る立場は、

野田:…わかるよ、それは。けど回収しきれない情動があるのよ、ルイスの失われた身体に向けられた残余感みたいなものがさ。ルイスが300年後の医学テクノロジーでその左手と、ことによっては足を「回復」させたとしてもだよ、どうしてもこの情動の残余の感覚は、ルイスの身体を通過した時間の狭間から洩れていってしまうんだよ…きっと、全国のルイスファンのみんななら、わかってくれると思うんだ、この感覚を。
新・アニメ・批評 - FC2 BLOG パスワード認証

上記のエントリの、野田氏の立場です。私は感情論に陥らないように書いてきたつもりではありますが、その動機、結論はやはり感情的なもの、つまり「回収しきれない情動がある」というところに到達します。今回の話のエンドカードが、式場を襲撃するネーナのカットに「次回もお楽しみに」というメッセージが添えられていた、その「挑発」めいたものであったことに、上手く乗せられてしまったわけです。
そういった挑発性のようなものを持ったアニメ、それが「機動戦士ガンダム00」では無いでしょうか。
最後になりましたが、多くを引用、参考にさせていただいた(私が誤読した箇所も多かったかもしれませんが)新・アニメ・批評 - FC2 BLOG パスワード認証さん、反応を下さったロリコンファルさん、ここまで読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
次回からも感想を書くとすれば、ここまで大きなモノにはならないと思います。
これからも私はガンダム00を応援します、ということでどうか一つ。