両親と妹が上京。品川のOUTBACKで飯を食う。まずくてほとんど残す。宝くじが当たったからそれをあげようかと思って来た、とかいっていたので50万ぐらいくれるのかと思っていたら5万しかくれなかった。飴玉でも買えというのか。妹はバークレーは1年契約で、別の大学に移ったといってた。いいなあ、語学ができるやつは就職できて。

北田・林:対談講演会

ここは教官思いの北田ゼミ生がひと肌脱いで、北田〓林特別シンポジウムとか何とかを荒川区民会館かなんかで行なうようセッティングしてやるとかするほかないんじゃないの?そのうち、この人『諸君!』かなんかにあることないこと書くような気がするよ。今はまだネットだけの展開だけだからまだいいけどさ。

これで決定ということで。

(Kさん今日いけなくてごめんなさい。昨日自分の論文の検討会やってぶっ倒れてました。)

罵倒から批判へ(山笠問題)

やはり僕はフェミナチという言葉は使いたくはないなー、と思いました(以下、フェミナチという言葉を巡る僕の問題関心を述べさせてもらいます)。

これは別に良い子ちゃんぶって言っているわけではなく、単純に論敵を「ナチ」に例えればそれで批判した気になれてしまうというのが嫌だなー、と思うため。

【略】報道されるそんな様子を眺めながら、当時の僕は「今や『ナチ』『ヒトラー』という記号は、批判を行うための言葉としてはまったく意味をなさないんだな」と思ったものです。

運動の文脈で使われる「ナチ」や「ヒトラー」という記号は、あまりにも手垢に塗れすぎていて、その言葉が批判(あるいは罵倒)の文脈で使われるだけで、「これは批判の対象の非正当性を暴露することで主張する側の正当性を訴えているという行為ではまるでなく、ただ無根拠に自らの正当性を主張する単なるプロパガンダにすぎない」と予感せしめるものがある。

そんなわけで、「フェミナチ」という言葉は、僕にとっては無根拠に自らの正当性を訴えているような言葉に見える。実情はどうであれ、僕はそんな印象を受け取る。したがって、そこには批判の力もなければ、

上記の件、完全に同意です。ただし、この句点のあと:

罵倒の力もないように思えるのでした。

の部分は、「どうかなー?」と思う。
ぼくの「フェミナチ」発言を再定式化すると、

  • フェミニズムは、女性として主体化する「権力」へのクレーム申し立てを、女性として行なうというパラドキシカルな性質を持つ。
  • このさい問題になるのは〈脱パラドクス化〉の問題ではなく(「問題」のひとつにすぎない)、いかにして問題を設定し・その問題を納得可能なものとして定式化し・納得できるコンテクストを創出していくか、というコミュニケーション接続の戦略である(←フェミニズムのミニマムな定義)。
  • 上記のフェミニズムのミニマムに抵触するクレーム申し立ては――たとえば「山笠盗撮はペドの性犯罪だ!許しておいてよいのでしょうか?!」のようなそれ自体差別的なヘイトスピーチ――、フェミニズムの根源的な部分(それは、一枚岩ではない、多数的なフェミニズムを、家族的類似性で結びつける核のようなものだと、ぼくは思う)を傷つける。-よって、ぼくは彼女/彼らを「罵倒」したい。
  • が、もうひとつの「フェミニズム」の用法があり――〈統制的理念〉として機能する〈概念〉wとでもよぼう――、たとえば、まったく「女性であること」と関係がない・関連性が薄い・別の文脈で問題化したほうが低コストであると思える、ような「問題」を、「フェミニズム」の名の元にアクティング・アウトすることを可能にするような文脈を、「フェミニズム」という言葉は作り出してきた。
  • この後者の広義の「フェミニズム」の機能(単純にいえば噴きあがり機能)は「批判」できない(批判するフェミニストがいてもかまわないが)。
  • 「わたしは怯えている、なぜなら女性だからだ」、「わたしは苦しい、女性だからだ」という帰属の操作を、なぜ批判できようか。ぼくはしたくないw。
  • 罵倒の話に戻れば、「このナチめ!」なる発話遂行は、「批判」として機能しない(フーリガン同士の喧嘩のようなもの)。たんに罵倒としてのみ――「おれはおまえに一票投じない!」という表出としてのみ――機能する。



ついでに、博多祇園山笠にかんして、僕が「こんなことが許されていいのでしょうか?!」と叫ぶ人たちに共感できないのは、彼/女らの「フェミナチ」的体質によるというよりも、むしろ僕の代々木アレルギーによるものです。やっぱり代々木系の行動パターンとか、代々木系学生組織の運動のやり方とか、そのオルグの仕方とか、馴染めない、というか理解しがたいものがあるんだよなー。某MLではそれが顕著なゆえに、近づきがたく思ってしまうし、同調できねー、と思ってしまうのです。嗚呼、こんな党派根性自体がどうかと思うんですけどね…。

すごいw。「日本共産党で起こってはならないこと」みたいな。ぼくはちゃんと共産党の女性議員に投票しているw(当選したためしがないけど)。
ぼくは「こんなことが」発言に、PTAおばさん的な*1体質を感じました。「うちの子がこんないやらしい漫画を読んでいました!こんな(ロリ)漫画は即刻発禁処分にして!」(←この「子ども」は30歳超えてる)みたいな。
例のサイトの画像が削除されたことにぼくは大変憤っているけれども*2、これはコンテクストがわかり次第(ことの経緯がわかり次第)、罵倒モードから批判モードに切り替える必要があるでしょうな。

*1:罵倒表現。

*2:■まず、もし法的に問題がなければなぜクレームごときに反応するのかわからない。削除者はどのようなコンテクストで削除という行為に及んだのか、サイト利用者に説明するべきだ。■次に、法的に問題があるのであれば、そもそも違法のリスクに賭けていたのか/違法と知らなかったのか、知っていたのなら、その「賭け」を「クレーム」で取り下げる行為も理解不能