気になるのはどうでもいいことばかり

岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書)の pp.254-55 に、「(新潮文庫の―引用者)とくにクリーム地カバーの、グリーンの罫線が入ったシリーズはすごかった。日本の文芸評論の極めつきが、これでもかと打ち出されて、煮つめに煮つめたラインナップになっていたのだ」、とある。この「クリーム地カバーの、グリーンの罫線が入ったシリーズ」(いわゆる「草」に分類されているもの)はデザインが気に入っていることもあり、二、三軒の店で探してみることにしたのだが、これが意外と見つからない。ようやく見つけた中村真一郎『王朝文学論』300円を合わせて、やっと七冊になった。
梅崎春生桜島・日の果て』(昭和五十三年二十九刷←昭和二十六年)、川端康成『新文章読本』(昭和五十四年二十九刷←昭和二十九年)、永井龍男『青梅雨』(昭和五十年十刷←昭和四十四年)、中野重治中野重治詩集』(昭和五十一年三十三刷←昭和二十六年)、中村真一郎『王朝文学論』(昭和五十二年十刷←昭和四十六年)、波多野完治『文章心理学入門』(昭和五十年三十三刷←昭和二十八年)、吉田精一『随筆入門』(昭和五十四年十九刷←昭和四十年)の七冊である。昨年買った中村光夫『風俗小説論』は、「草」に分類されそうなのに、何故か「青」(白地に現代ふうの岸健喜のデザイン)になっている。これは昭和三十三年刊で、私がもっているのは、昭和四十九年の二十一刷。『随筆入門』などと比べても、初版刊行年が新しいから「青」に分類された、ということではなさそうなのだ。不思議だ。
林哲夫『古本デッサン帳』(青弓社,2001)所載の書影(p.53)を見て、おやと思う。富田常雄姿三四郎』(錦城出版社,1942)の書影である。これは、表紙絵が藤田嗣治による桜なのだが、私が所持している富田常雄『明治の風雪』(増進堂,1945)も全く同じデザインなのである(叢書名もおなじく「新日本文藝叢書」、「ガラクタ風雲」で書影が見られる)。林前掲書の「付記」には、<桜は「新日本文芸叢書」の統一図案であったらしく、一九四二年(昭和十七年)六月に錦城出版から刊行された太宰治『正義と微笑』もまったく同じ表紙絵になっている>(p.54)とあるのだが、このことから考えると、どうも「新日本文藝叢書」は、戦時中に版元が「錦城出版社」から「増進堂」に変わっていたようなのだ。よしだまさし氏も書いておられたのだが(2004.4.29条)、やはり、「錦城出版社」と「増進堂」というふたつの出版会社は密接な関係にありそうだ。