つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

香港でインドネシア人アマが増えた

 先週後半から今週初めにかけて香港に行ってました。小中学校の同窓生とともに2月の春節のころにも行ったので、今年はなんと2回目の香港旅行です。今回の目的は、かつて香港に赴任していた時に一緒に山歩きした仲間との”同窓会”への参加で、2日にわたり一緒に山歩きし、楽しいひと時を過ごしました。ビルのジャングルから抜け出て、香港の自然を満喫するのはやはり晴れ晴れとした嬉しい気分になります。
 今回の旅行で驚いたのは、街中にやたらイスラム教のスカーフを被った女性が多かったこと。その訳を現地在住者に聞くと、彼女らはインドネシア人のアマ(家庭のお手伝いさん)だと言うのです。小生らが駐在していた20年前、休日となると、香港島の中心地区セントラル(中環)、アドミラリティー(金鐘)では歩行者天国になる道路、公園はじめ至る所にビニールや段ボールが敷き詰められ、フィリピン人アマの女性たちが群れていました。
 当時、特別よく見たというわけではないですが、彼女らのほとんどはキリスト教徒でしょうから、スカーフなどは無縁。手足を存分に出した派手な服装でフィリピン人特有の明るい笑い声でしゃべり、ゲームをしたり、音楽を聴いたりしていました。もちろん、今でもフィリピン人アマはいて、やはりセントラル地区の路上などを占拠しています。
 でも現在、数を増やしているのがインドネシア人アマ。彼女らも休日に仲間と会うためにセントラルに集まってきますが、醸し出す雰囲気はフィリピン人に比べて何となく暗い。肌を見せてはいけないのか、長い黒系のシャツに足首まであるスカートを履いている。これもイスラム教徒であるが故の厳格さなのか、敬虔さの表れなのか、あるいは国民性の違いなのか。
 なぜ、インドネシア人アマが増えたかですが、この原因の一つはどうも賃金と英語にあるようです。フィリピン人は自国で英語教育を受けているので英語が達者。このため、子弟を持つ雇い主の香港人は、国際共通語である英語を子供に慣らさせようとフィリピン人アマを積極的に雇っていました。その付加価値分で賃金は高めだったようです。
 それに比べてインドネシア人は英語が話せず付加価値がないので、賃金は安め。彼女ら自身が必死で広東語を覚えて、それで香港人家族とのコミュニケーションを図っているようです。香港人はなぜ英語にこだわらなくなったのか。それは英語よりマンダリン中国語の方が将来のビジネスに役に立つと考える人が多くなったということでしょう。
 マンダリンは今、香港の一般小中学校で習得が義務付けられているので、特別に家庭内で子供に教育させる必要はない。これも主権返還後21年経った香港の変化の一つですが、英語が薄れていく国際都市・香港ではちょっと寂しい感じはします。


 上の写真は、街中から見たライオンロックの山。今回初日にここに登りました。そのライオンロック頂上付近にある垂直の壁。ロッククライミングが楽しめます。