「人心一新」の「人心」とは何を指すのか

(第33号、通巻53号)
    自民党参院選に惨敗した後の先月31日、安倍首相は「赤城(農林)大臣を含めて人心を一新していく」と述べた。首相の言う「人心一新」とは、前後の文脈から内閣改造自民党役員の交代のことを指しているのは明らかだ。新聞各紙もテレビも、当然の如くそう受け取めて報道している。

    ところが、当ブログの愛読者から今月初め「「政治家が使う“人心一新”の言い回しはどこかおかしいのではないか」との質問がEメールで寄せられた。これを受けて「人心」と「一新」のそれぞれの意味を調べてみると、確かに的を射た質問だ。

    「人心」は、「人の心。世の人々の気持ちや考え」の意であり、『明鏡国語辞典』は例文として「人心を一新する」を挙げている。ほとんどの辞書の「人心」の項にも、例文にはそろって「人心を一新する」か「人心の一新を図る」を出しているが、なぜか句としての意味の説明はない。

    では、「一新」は?と言うと、「すべてが新しくなること。または、すべてを新しくすること」である。この二つの語を合わせると、人心一新とは「世の人々の気持ちをすべて新しくすること」という意味になるはずだ。

    例えば、いささか用例が古いが、明治維新《注1》で首都をどこにするかの論議があった際、大阪遷都論者だった大久保利通が「この際、“人心一新”の為浪花に遷都を」と建白した(中外新聞)、というような用法なら本来の正しい言い回しだ。しかし、閣僚や自民党役員を替えることが、即「世の人々の気持ちをすべて新しくすること」にはつながらない。単に「閣僚、自民党の役員を一新する」とするか、あるいは“人臣”を一新する、とでもすれば言わんとすることにピッタリ合うかもしれない。

    幹部の人事を大幅に行うことを表現するのに、人心一新というのは、いわば“永田町用語”だが、政界だけではなく経済界でも見られる。極端な業績不振や不祥事で企業が社長以下の役員を総入れ替えする際、「人心一新を図る」と言うこともあるからだ。現に財界総理ともいわれる日本経団連御手洗富士夫会長も参院選の結果を受けて「(安倍首相は)できるだけ早い時期に人心一新して強力な組閣人事をして信頼を回復すべきだ」と言っている。

    ともかく、今月下旬に予定されている組閣で安倍首相が“お友達内閣”を脱して「面目一新」しないことには、「時の政府から“人心”が離反する」《注2》ことは必定である。


《注1》 ウェブ百科事典“Wikipedia”によれば、「明治維新」という語が一般に流布したのは昭和以降で、当時は主に大政奉還廃藩置県を指して「御一新」と呼ばれていた、という。

《注2》 『岩波国語辞典』の「人心」の項にある例文。