「綺羅(きら)星」という星はあるのか

(第48号、通巻68号)
    
    「外野には『青バット』の大下弘。そしてベンチの知将、三原脩。そこに鋼の腕が加わる。野武士軍団のきら星が、男の子たちを午後の空き地に走らせた」。鉄腕投手と言われた稲尾和久さんの死を悼んだ11月14日付け朝日新聞朝刊の「天声人語」の一節だ。この中の「きら星」という単語を目にしてなにかひっかかりを覚えた。

    はるか昔の高校時代、国語の授業で「綺羅星の如く」という言葉は「綺羅、星の如く」と「綺羅」の後を区切るのが正しい、と教えられたことを思い出したからだ。『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)を開いてみたところ、次のような説明が載っていた。

  [1.華やかな存在の人々や、立派な実力者がずらりと並ぶさまを形容して使う。「綺」は綾織りの絹布、「羅」は透けるように薄い絹布。「綺羅」は美しく、華やかな衣装をいう。2.「綺羅星」という星はない。「綺羅、星の如く」のように切るのが正しい]

    『NHKことばのハンドブック』(NHK放送文化研究所編、1992年3月25日 第1刷)では、「きら星のごとく」の読み方として二通り挙げているが、優先順で第1としているのは「キラ・ホシノコ゜トク」、つまり切って発音する方だ《注》。 

    念のため他の国語辞典にも当たってみた。ほとんどの辞書は、「『綺羅、星の如く』を誤って続けて読んでできた語」と注をつけている。やはり、切るべきなのだ、と思ったが、実は同時に「綺羅星」という単語について「大空に美しく輝く多くの星」(『岩波国語辞典』第5版)とストレートな語釈を掲げて認知した上、そこから発展解釈して「立派な人が連なり並んでいることをいう語」(三省堂の『大辞林』第3版)としているのである。

    誤用が多くなり、近年になってやむなく認められるようになったのか、と考えたが、『日本国語大辞典』第2版(小学館)を見て驚いた。なんと元禄時代浄瑠璃『文武五人男』(1694年)に「きらぼしをかがやかす御ゐせいこそはゆゆしけれ」という使用例がある、と紹介されているのだ。

    日本語に限らないが、言葉にゆれは付きもの。しかし、300年以上も前から使われていたとなれば、簡単に「誤用」と決めつけるわけにはいかない気がする。一知半解の身としては迷うばかりだ。


《注》 「コ゜」の右肩の「゜」は鼻濁音を示す。