セイコ・アルバム探訪7〜『Citron』

Citron(DVD付)
 1988年5月発売、15枚目のオリジナル・アルバム。ロス・アンジェルス録音。
 プロデュースはカナダ出身・アメリカで大成功を収めた作曲家&音楽プロデューサー、デビッド・フォスター。結婚後に彼女がリリースした2作、共に傑作であり松本隆色が非常に濃厚だった『SUPREME』・『Strawberry Time』を経て、その後に登場したこの作品。聖子ファンに対し“この時期に何故、聖子にデビッド・フォスターが必要だったのか?”という疑問・ナゾ(笑)をいまだ投げかけ続ける「問題作」であり、「抱いて・・・」やら「続・赤いスイートピー」やら、その収録曲の異様なほどの“脂っこさ”から、恐らく好き嫌いが大きく分かれるであろう作品じゃないかな?なんて思う。
 88年のリリースということで、ジャケットの聖子さんのちょっとケバ目のメイクや太眉をはじめ、バブル前夜のあの「暑苦しい時代」を色濃く感じさせてくれたりもして、社会人になりたてだった当時の自分の大切な思い出とも重なって、これはこれでとても印象深い、個人的には愛着のあるアルバムなのだけど。。。
 このアルバムの特徴は何と言っても、これぞMTV時代の流行音楽の立役者・デビッド・フォスターともいうべき、キイボードキンキラ!シンセベースとドラムがダダーン!みたいな、今聴くと過剰この上ない(笑)アレンジに尽きると思う。このサウンドが果たして聖子さんに合っていたのか?というと、むしろそれは逆で、恐らくデビッドプロデューサーの指導によって聖子さんのボーカル自体が徹底的にこうしたサウンドに“乗る”ように、発声から何から手直しされているように感じられる。このアルバムでの聖子さんの声は太く、大人っぽい印象で、ウィスパー気味に「ア・ア〜」と喉を締めて音節を切る、従来の彼女に特徴的な“ブリッコ唱法”の発声は影を潜めて、過剰なバッキングに負けない力強い発声に変化しているのだ。(WIKIによると、レコーディングに際して相当厳しい歌唱指導を受けたらしい。)しかしこのストレートな力強い発声がまた時に艶っぽく扇情的にも聴こえて、セイコたんもいよいよアイドル脱皮ね!という新鮮な印象を与えたのも確かで。実際、セルフ詞で固めた次作『Precious Moment』では、すぐに自ら元通りのブリブリアイドルにイメージを戻してしまうセイコたんなので、その意味でもセイコ史上最も大人っぽい歌声が聴ける作品として貴重なアルバムと言えるのかもね。
 また、録音に関してもこの『Citron』は異彩を放っていて、彼女のボーカルに強いエコーがかかって、ボーカルがサウンドに一体化している曲が多いのが特徴。どちらかというと聖子さんの場合、あえてエコーをかけずに位相をはっきりさせた生々しいボーカルを中心に持ってくることで、彼女の魅惑的な「吐息声」を際立たせるような録音が多い(多かった)ので、バンドと一緒に少し遠くで歌っているようにも聴こえる(ある意味“ライブ”っぽい)このサウンドワークは、彼女のアルバムの中では異色なのだ。これは、デビッド・フォスターが彼女の声を客観的に「音」のひとつとして捉えていたとすればむしろ当然の結果とも言えるし、前回取り上げたフィル・ラモーンのプロデュース作『SOUND OF MY HEART』と比較すれば、フィル・ラモーンの方は、どちらかと言えば世界の歌姫として売り出すにはまだまだ未熟な素材だった当時のセイコを“半ば無理やりに押し付けられてプロデュースさせられた”「及び腰&ヤッツケ感」のようなものが窺えるのに対して、(だからこそ『SOUND OF 〜』は聖子らしさが出て良かったのだが)、こっちのデビッドPの場合、あくまでも“自分の作品”としての完成度を職人的に追求するあまり、結果的に素材・セイコの持ち味を殺してしまった部分もあるのかも?なんてことも思うのだ。音的にはやっぱり「どこを切ってもデビッド・フォスター」だし、ボーカルがハデなバッキングに埋もれている感じなんて、セイコのアルバムというよりむしろ「明菜っぽい」ものね、もしかすると。
 今回は前置きがとても長くなっちゃいました。曲紹介です。

  • Blue」(詞:松本隆、曲:T.keane,M.Lamdau&D.Foster、編:D.Foster)

 シンセベースがズンズン響くハードなイントロで幕開け。歌いだしのセイコさんの低音に思わずハッとする。青い壁紙の部屋で恋人に戻ってきてと叫ぶ主人公の、寒々とするほどの孤独感を「Blue」という色で象徴的に表現する松本隆の詞には、いつもの饒舌さはなく、むしろ散文詞のよう。おそらく訳詞に近い形なのだろうが、このような形を借りて松本先生はセイコを大人の歌手に脱皮させようと目論んでいたことが窺えて面白い。

  • Marrakech 〜マラケッシュ〜」(詞:松本、曲:S.Kipner&P.Bliss、編:S.Kipner,P.Bliss&D.F)

 先行シングル。オリコン最高位1位、売上枚数18.2万枚。イメージは「シェルタリング・スカイ」かな。作曲はなんとあの「Dancing Shoes」も手がけたヒットコンビ。メジャーコードとマイナーコードの間をたゆたうような魅惑的メロディーと、「愛欲の迷宮」というテーマを迷宮都市マラケシュのイメージに交差させた詞がマッチした佳曲。あまり売れなかったけど俺はこの曲大好き。

  • Every Little Hurt」(詞曲:R.Goodrum&D.F、編:D.F)

 ここでデビッド・フォスターとのデュエットが登場。全編イングリッシュの「王道デュエットソング」という感じ。セイコさんの英語の発音は上達しているもののまだ少したどたどしくて、余裕シャクシャクなデビッド御大のボーカルと一緒になるとどうも「アメリカの資産家に水揚げされた芸者ガール」みたいに聴こえてしまって、いただけない(苦笑)。

  • You Can't Find Me」」(詞:松本、曲編:J.Graydon&D.F)

 不倫に苦しむ女性の孤独を歌ったスピード感のあるロック・テイストのマイナー・ポップス。歌詞の半分は「You Can't Find Me」のリピートなのだが、ここでは高音でしゃくりあげるいつものセイコさんの声が切迫感を醸し出している。

  • 抱いて・・・」」(詞:松本、曲編:D.F)

 こちらはバラードの人気曲。未婚の母になる女性の切なく複雑な気持ちを歌った、聖子さんとしては少しショッキングな詞と、テレビでのドレスの紐が肩から落ちるスレスレ・パフォーマンスの熱唱が話題に。悪くはないんだけど、俺としては「♪何ども 別れ〜え〜を」とか「♪知らない とかい〜い〜(都会)で」とか、いかにも曲先で作った訳詞です、というような“逆”字余りのフレーズが、どうしても気になるの。松本先生らしくないなあ、って。

  • We Never Get To It」(詞曲:R.Lawrence,L.Thomson&D.F、編:R.Lawrence&D.F)

 こちらは聖子さんソロの英語曲。明るくてリズミカルなポップスで、俺はアルバム発売当時からイチバン好きな曲でした。「♪We could change everything / Just take what destiny brings」の「デッッスティネ〜ブリン」と跳ねるところがツボでね。全米デビュー盤『seiko』の序章という感じで、発音もなかなか良くて気持ちよく聴けます。だいぶ、バックボーカルに助けられている気もするのだけどね(笑)。

 この曲は以前「セイコ・ソングス」で単独エントリーを上げてますのでこちらを。

  • No.1 (Album Version)」(詞:松本、曲編:P.Cooper&D.F)

 カナダのドゥワップ系アカペラ・グループ、The Nylonsとの共演。リズムセクションを除き全編アカペラ。曲調はオールディーズ風味のキャンディ・ポップで、このアルバム中最もアイドル・聖子のイメージに近い作品かも。メロディーもセイコさんの声のいちばんキュートな高音域を使っているので、ポップスターとしての彼女の魅力が良く出ている。でもね、セイコさんの声がいくら男声コーラスと相性が良いと言っても、ナイロンズの「オヤジ」声にはさすがにちょっと違和感が・・・(苦笑)

  • 四月は風の旅人」(詞:松本、曲:J.Dexter&D.F、編:D.F)

 クールなAOR。ギターのピッキング奏法が効果的な、ハードエッジなアレンジ。それに乗る聖子さんのメリハリの効いたシャープなボーカルが心地良い。思い出を振り切り、追い風を受けて旅立つ主人公の吹っ切れた感情と、乾いたサウンドがリンクした佳曲。

  • 林檎酒の日々」(詞:松本、曲:D.F、編:J.Lubbock&D.F)

 ちょっと大袈裟なミュージカル仕立てのストリングス・アレンジは、いかにもアメリカ人好みな感じがして、最初は俺、この曲大キライだったの。でも20年経ってあらためて聴いたら、イイじゃない、これ!「♪振り向けば 綺麗な日々ね 最後にお願いよ 涙にKissをして」というフレーズも、タイトルの「林檎酒の日々」(←「ガラスの林檎」をイメージさせる)というのも、今聴けばこれは松本隆先生の、聖子ポップスへの決別宣言だったとしか、思えないのよね。そんな伏線を思い起こしながら聴くと、思わずウルウル・・・なバラードです。

 さて、この『Citron』を最後に、聖子さんと松本隆さんとの蜜月時代は終止符を打たれ、同時に彼らが牽引してきた80年代のアイドルポップス黄金時代も幕を閉じるわけです。正直このアルバムでは、80年代の聖子ポップスを作り上げてきた中心人物でもある松本隆さんが、頑張っている割にどこか精彩を欠く印象があるのは否めないように思う。おりしもバンド・ブームが到来していたあの頃、松本さん自身、職業作家としてアイドルをプロデュースして、且つ成功に繋げられるような時代は終わることを敏感に感じ取っていたのかもね。

P.S. そうそう、2010年の「デビッド・フォスター&フレンズ」という記念コンサートに聖子さん、シークレット・ゲストとして出演して「抱いて・・・」を歌ったそうですね。松本隆さんの作詞家デビュー40周年記念コンサートには見向きもしなかったのにね・・・セイコさんったら。