“21世紀・時代最先端”の堺市長選挙、“20世紀・過去の遺物”の神戸市長選挙、神戸の旧革新勢力は市民に愛想を尽かされた、ポスト堺市長選の政治分析(4)

 神戸市長選が2013年10月27日に投開票され、60有余年1日が如く(例によって)副市長の役人がオール与党の支援を受けて当選した。私は1960年代後半から半世紀近くにわたって神戸のまちづくりや住宅政策に関わってきたので神戸市の内情に比較的詳しい立場にあるが、正直言って今回の神戸市長選にはまったく興味が湧かなかった。神戸市民には失礼な話だと思うが、論評に値する首長選挙だとは感じられなかったからだ。

 「地元保守=旧保守」と革新リベラルが実質的に共同して「橋下維新=国家保守・新保守」と対決した堺市長選は、21世紀の未来を切り開く可能性をもった“時代最先端”の首長選挙だった。革新リベラルのなかにも“旧革新”と“新革新”があるとすれば、旧保守との大胆な連携に踏み切った革新勢力(大阪の共産党堺市職労など)は間違いなく「新革新」に分類されるだろう。自らの公認候補を降ろしてまで他党候補の、しかも自民党推薦の候補を(勝手連的に)応援する革新勢力など、20世紀には夢にも考えられなかった政治異変だからだ。

 これに対して神戸市長選は、20世紀の残滓を引きずった“過去の遺物”そのものの首長選挙だった。「市役所利益共同体」を代表して副市長が立候補する。このおこぼれに与る(あずかる)市議会のオール与党会派、市労連など労働組合自治会・町内会や業界団体など「市役所一家(ムラ)」が総勢で応援する。20世紀に蔓延した旧態依然たる選挙構造が、神戸市ではいまだ以て現在も延々と生き続けているのである。

 おまけにこれに輪をかけて、本来であれば「市役所ムラ」と対決しなければならない革新勢力(神戸の共産党など)までが「独自の戦い」を展開するのだから念が入っている。市民候補との連携など見向きもしないで、ただひたすらに「革新の大義」を訴えるためだけに立候補するのだから、これなどはもう無形文化財クラスの“旧革新”といっても差し支えない。こんなことを続けていけば、近い将来に“革新の残骸”になって消滅することは目に見えている。

 神戸市長選の際立った特徴は、これまでの堺市長選と同じく投票率が著しく低いことだ。21世紀に入ってからの過去3回の投票率は30%台に低迷しており、ここ2回は30%を切るか切らないかの不時着寸前のレベルにまで低下している。今回は若干上昇したもののそれでも30%台半ばにすぎず、当選した元副市長の得票数は15万6千票で全有権者124万8千票の12.5%、僅か8分の1にすぎない。有権者の1割強の支持で市長に当選することの意味は、これを裏返せば9割近い有権者が支持していない市長に神戸市政を任されることになる。これではとても市民に信任された首長選挙とは言えないだろう。

 一方「独自の戦い」をした旧革新勢力も手痛いしっぺ返しを受けた。前回もわざわざ立候補して前市長の当選を側面援助したのだが、今回もまたその役割を性懲りもなく演じてとうとう市民から愛想を尽かされたのだ。前回の共産党候補の得票数は6万2千票、得票率16.2%だったが、今回は投票率が上がって総得票数が増えたにもかかわらず、得票数は4万7千票、得票数は10.5%へ4分の3に減少した。この選挙結果を旧革新勢力はいったいどのように総括するのか、見物(みもの)というものだ。

 今日の新聞各紙を開いてみて驚いたのは、堺市長選に比較して神戸市長選の紙面が一様に片隅に追いやられていたことだ。戦前からの6大都市であり、政令指定都市の会長都市を務める神戸市の市長選がかくも注目されなくなったのはなぜか。理由は“過去の遺物”のような市長選を相変わらず繰り返す神戸市がマスメディアに対して魅力を失い、もはや時代を切り開く先進都市と見なされなくなったからだろう。

 だがそれよりももっと驚いたのは、今日の『しんぶん赤旗』に神戸市長選の結果が全く報じられていないことだ。堺市長選のときは公認候補でもなく勝手連的な応援だったにもかかわらず、現職市長の当選をまるで自分が勝ったように大々的に報じたのだから不思議という他はない。ひょっとすると公認候補の余りの選挙結果(惨敗ぶり)に言葉を失い、どう書いてよいのかわからなくて記事にできなかったのかもしれない。神戸の旧革新勢力の総括とともに『しんぶん赤旗』の今後の記事にも注目したい。(つづく)