「安倍さま」の安保法制、「森さま」の新国立競技場、「現・元首相」の暴走に対して国民は鉄槌を下すだろう、国民の意見を聞かない自公政権は存続することを許されない、大阪都構想住民投票後の政治情勢について(8)、橋下維新の策略と手法を考える(その46)

「これほど不条理なことはない」、「これほど無茶苦茶なことはない」、7月15日の衆院特別委員会での自公与党による強行採決を知った国民は皆そう思うのではないか。しかも「安倍さまのNHK」はこんな重要な国会を中継しないのだから、これではいったい国民は何のために視聴料を払っているのか訳が分からない。「視聴料を返せ!」と声を大にして言いたいところだ。

東京発ロイター電は7月15日、「安保法案を衆院特別委で可決、支持率低下で安倍政権は難局」と伝えた。自公与党は明日16日にも衆院本会議で安保法案を強行採決し、同法案は参院に送られる見通しだという。その結果、60日以内に参院で採決されない場合、再び衆院で3分の2以上の賛成があれば、法案が成立するルールが適用可能となる。

しかし、ロイター電は「各種の世論調査から国民の理解も深まっていない実態が明らかになっており、安倍晋三内閣の支持率は最低水準に低下。原発再稼働や沖縄県辺野古埋め立てなどを控え、安倍政権は難局を迎えている」との解説付きだ。安倍首相自身も締めくくり質疑のなかで、「残念ながら、まだ国民の理解は進んでいる状況ではない」と認めた。だが、それでいて「さらに国民の理解が進むように努力したい」と続けるのだから、このまま強行路線を突っ走るつもりなのだろう。

一方の森元首相も負けてはいない。2020年東京五輪パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設問題をめぐって、野党だけでなく与党からも「なぜ、こんなに高い」、「責任はどこ」といった批判が噴き出しているのに、いっこうに動じる気配がない。動かざること「泰山の如し」といったところだ。先月の朝日新聞インタビュー記事での「経済大国日本での2度目の夏季五輪にはふさわしいものが必要。国立競技場は、スポーツを大事にする日本という国を象徴する建物である必要がある。3、4千億円かかっても立派なものを造る。それだけのプライドが日本にあっていい」との発言は依然として撤回していないし、今月の札幌市内での講演会でも、「50年も70年も名所として使えるレガシー(遺産)として残そうというのが我々スポーツ愛好者の考え方だ」と大見得を切っている。

私など多少とも建築知識のあるものは、3、4千億円もの巨費を投じて建設する施設の寿命が僅か「50年、70年」という短命であることにまず驚くが、森元首相はすでに次の建て替え工事までを考慮に入れているのか(もっともその頃までは生きていないだろうが)、半世紀余りを「レガシー」(遺産)の期間と考えているのだから「スポーツ業界のドン」「建設業界のドン」の面目躍如と言ったところだ。だから下村文科相(担当大臣)は、「W杯で使う前提で考える必要がある」「場所を変更すると我が国の信用を損なう」などと繰り返すほかはないのである。

しかし、安保法制も新国立競技場建設も国民の支持をまったく得ていない。それどころか6割から8割近い国民が納得していないのだ。それを強行突破して実現に移そうと言うのだから、これからはますます国民の批判が強まっていくことは間違いない。「国民のため」と言いながら、国民の反対を押し切って強行する安保法制や新国立競技場は、まさに「安倍さま」と「森さま」のものでしかない。政治の私物化がこれほどあからさまになった事例は珍しいが、これに異議らしい異議を唱えられない自民党公明党はやがて国民の鉄槌に見舞われるだろう。

55年前の7月15日は、日米安全保障条約を改定した岸首相(当時)が国会や官邸を取り囲む大規模な反対デモの中で退陣した日だ。安倍首相は敬愛してやまない祖父の来た道を忠実にたどっている。政治は国民のものであって、政治家のものではない。「安倍さま」と「森さま」がそのことに気付く日はそれほど遠いことではないだろう。(つづく)