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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

はてしない「インドカレー」

鈴木義里(すずき・よしさと)というひとが『つくられた日本語、言語という虚構-「国語」教育のしてきたこと』という本を だしている。2003年のことだ(右文書院=ゆうぶん しょいん)。

よく まとまっている本だと おもう。本の題名に好奇心を そそられたひとは、ぜひ よんでみてほしいと おもいます。


この本は、ひととおり よんで、それから すっかり ほったらかしにしていた。けれど、ひとつだけ よく おぼえていたのは、インドのカレーについての記述だった。「あとがき」を みてみましょう。


 外国から帰った人びとのことを「出羽の守」ということがあるらしい。何かと言うと、「○○では」ということからそう呼ぶようだが、この言葉を知ったのはもう30年以上前のことになる。だが、現在でもあのころとほとんど事態は変わっていないような気がする。相変わらず「出羽の守」たちが、たくさんいるのだ。自分もそうならないようにするためには、かなり注意しなくてはならない。高校で「国語」の教員をやりながら、インドの言語政策のことをあれこれ調べて出版したのはもう2年前になる。ついつい「インドでは」などと言うことが多くなってしまった。だが、インドなるものは何かと考えてみると、それは、ほとんどはっきりと焦点を結ばないということに気が付くまでに10年以上の年月がかかった。例えば、「インドでは日本みたいなカレーはないんですよ」などと、よく言っていたのだが、あるとき、にんじんとジャガイモの入ったポークカレーをケーララの町で食べたことがあり、それ以来、私は今までの不明を恥じ、インドのカレーについての発言を控えるようになった。「出羽の守」になっている自分に気が付いたからだ
(231ページ)


この教訓は、記憶しておいて いいのではないでしょうか。


「でわのかみ」というのは、「どこどこでは、こうなんだよ」と 一面だけを きりとって、それが すべてかのように いいきってしまうことを さしています。

応用が ききますよね、これって。


たとえば、「とわのかみ」。


自閉症とは」。「性同一性障害とは」。「人権とは」。

結局ね、ある視点にたって、一面的に かたることしか できないものです。どんなことについても、それを かたるのが、だれであっても、一面的であることを さけることは できません。

表現することの限界というものを、痛感することがある。そして、限界があるにもかかわらず、その限界が意識されないままに、表現が「ひとりあるきする」ことがある。そのとき、世界を きりとることの おそろしさに気づかされるのです。

なんて おそろしいのだろう。その おそろしさを、「自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。」 という文章にした。わからなくて いい。理解できなくて いい。説明できなくて いい。もう、そんなことは気にしない。わかる必要なんてない。


わたしは、施設という空間で、知的障害者の生活支援を しごとにしています。いろんな要求を うけて、それに こたえるのが しごとです。そこでは、「自閉症とは」「知的障害とは」というテーマは存在しないのです。ただ、「このひとは、いま」が存在し、そして、「わたしに なにが できるか」ということが あるだけなのです。どこまでも即物的です。

もちろん、なんとなくのイメージとして「自閉症のイメージ」は存在し、それは支援していくうえで参考になっています。けれども、イメージに もとづいて支援しているのではありません。わたしと そのひとが関係していくなかで、つみかさねてきたこと、それに もとづいて支援しています。

村上靖彦(むらかみ・やすひこ)さんの『自閉症現象学勁草書房を よんで、異文化を 感じたのは、なにを もって「重度の自閉症」と みなすかという点についてでした。村上さんは、「目も合わず他者というものを知らない重度の自閉症児から、他者の存在に気づいているけれども視線を怖がる自閉症児、あるいは特に視線を怖がらないがコミュニケーションにぎこちなさを残す自閉症児など、さまざまな状態がある」という(16ページ)。ここで、重度の自閉症とは、「他人に興味がない」という状態を さしている。

だが、おとなの知的障害者を 支援するたちばでは、「重度の自閉症」とは、「つよい こだわりがある」ことを さすことが ある。あるいは、「パニックになると たいへんなことになる」ことを さすことも あるだろう。

それは、どのような たちばから関係するのかによって、「重度」の とらえかたが かわってくるということです。こどもと接しているなら、「こだわり」よりも「孤立」に注意が むくことは、あるだろうと おもいます。いろんなたちばがあり、いろんな視点があるわけで、「重度の自閉症とは」などと一般論を かたることなど、できないのです。


インドカレーは、はてしない。おくぶかいものです。なんだってそうです。いちがいには、いえないものなのです。