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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。

matsuiism(マツイイズム)さんの奇妙なベジタリアンたち - heuristic waysという記事について、ちょっと感じたことを かきます。

マツイイズムさんは鶴田静(つるた・しずか)さんの『ベジタリアンの世界-肉食を超えた人々』を よまれたそうだ。


ベジタリアンの発想はしばしば奇妙に思えるし、時には滑稽にすら感じられる。また、本人自身いろいろ試行錯誤を試みたり、失敗したりしているため、一貫性や持続性がないようにも思える。私自身は今のところベジタリアンになるつもりはまったくないが、ただ、面白いのは、ベジタリアンは「食べてよいもの」と「食べてはいけないもの」との区別を新たに設定し直すことによって、自分の生活とこの世界のあり方について、「自明性をカッコに入れる」現象学的還元を実践してしまうということ、そして肉食の罪を自覚し、自分の欲望に「制限」や「限界」を設けることによって、謙虚になる術を覚えるという点である。
と かかれている。


わたしはまず、ベジタリアンが「試行錯誤を試みたり、失敗したり」することや、「一貫性や持続性がない」ことにこそ魅力を感じる。マツイイズムさんは「しばしば奇妙に思えるし、時には滑稽にすら感じられる」と表現されているが、わたしなどは、皮肉ぬきで「ほほえましい」とか「いとおしい」と表現したい。

なにかに問題意識をもち、「試行錯誤を試みたり、失敗したり」することは、それ自体に意味があることだと、わたしは かんがえている。そのプロセスで「一貫性や持続性がない」ことは、欠点などではありえず、まさに人間らしさの象徴ではないかと おもえてしまう。

「失敗するなら、最初から しなければいいのに」など、そんなことを いうひとは いないでしょう。そんなことを いうひとが たとえ いたとしても、くだらない非難にすぎないもので、そんな非難には だれにも むきあう義務などないものだ。


あるベジタリアンに一貫性がなかったとして、それが問題だろうか。


肉食に なにも制限をおかないことで、どのような一貫性が確保できるのだろうか。



以下、一般論に はしる。


確保できるのは、社会の多数派に とけこむことで、「だれにも ラベルをはられずにすむ」という立場だけではないだろうか。少数派には名前がある。少数派は、おまえは だれだと といつめられる。少数派は一貫性を要求されたりもする。

なぜって、自分で ただしさを追求しようとしたのだから、自分で えらんだのだから、そのように うまれたのだから、多数派とは ちがっているのだから。だから少数派は とわれるのだ。「おまえは だれだ」。

名前を もつ必要がないというのは、便利なものである。自由なものである。中立を きどっていられるから。

「おれたちは、みんな罪を せおって いきているんだ」。ベジタリアンを 非難するひとは、よく そんなことを口にする。いかにも、いさぎよく誠実そうな発言にみえる。

だがそれなら、食事をとるたびに罪を意識しても よさそうなものだが、そういうことは絶対にないのだ。日々 生活をしながら罪の意識など、もつはずがない。むしろ、「おれたちは みんな、罪の意識なんて もっていないんだ」と いっていいはずだ。それが現実なのだから。


一般論は ここまで。



「奇妙なベジタリアンたち」というフレーズに いらだちを おぼえるのは、ベジタリアンを「自分とは ちがった存在」として「客体化している」からだ。つまり、評価の対象のように あつかっているということだ。


血液型がAB型であることで、なにかといえば、「だからAB型は…」と非難するひとたちがいる。そういった非難が可能になるのは、AB型が すくないがゆえのことである。すくないから、周囲にも それほどいない。周囲にそれほどいないから、乱暴なことも いえてしまうのだ。それと おなじことが、「奇妙なベジタリアンたち」というフレーズにも感じられる。


つまり、ベジタリアンが よむことを、ほとんど想定していないのではないかということだ。


一貫性がないことを指摘して、なんになるのだろうか。きつい表現をすれば、「何様」になれるのだろうか。


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なお、マツイイズムさんがヒトラーのことを かいているので、『健康帝国ナチス』という本を ご紹介しておきます。興味ぶかい本です。書評『健康帝国ナチス』野村一夫=のむら・かずおさん)。