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出版物への執筆/掲載など
『PLANETS vol.7』第二次惑星開発委員会/宇野常寛編,2010 所収
「ゲームと物語のスイッチ」ほか
『早稲田文学増刊U30』早稲田文学会,2010 所収
「認知的作品論」
『Review House 03』レビューハウス編集室,2009 所収
「批評」としてのゲーム実況動画―「反復性」の破壊と「一回性」の発生 / 黒瀬陽平(司会)×石岡良治×井上明人×濱野智史
『ユリイカ2009年4月号 特集=RPGの冒険』青土社,2009
「リテラシーという解釈システム」
『未来心理 vol.13 』モバイル社会研究所,2008
「遊びとゲームを巡る試論-たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」
[ ! ]リンク先PDFファイルです。

ユリイカ2008年9月号 特集=太宰治/坂口安吾 無頼派たちの“戦後”
小島秀夫インタビュー(聞き手=井上明人)「ゲームという戦場から見た世界――『MGS4』という挑戦」
2005.04.12(Tue)
■[ビデオゲーム][80年代]ゲームジャンルの出自
Cafe in Junkyardさんより
RPGとかSLGなどといったゲームジャンルってのはいつごろから作られ出したのだろう。…いつごろから誰がどういうふうに使い始めた名前かわからない
日本でそういった呼称が使われはじめた時期についてだけなら、けっこう調べました。簡単に経緯を書いておくと、
まず、SLGやRPGなどのジャンルは海外のアナログゲーム → 海外のコンピューターゲーム → 日本のコンピューターゲーム という形で二段階の輸入を経ています*1。日本に「RPG」「シミュレーション」「アドベンチャー」という言葉が輸入されてからゲーム雑誌*2等で頻繁に使われるようになるのは1983年の後半頃です。この頃に一挙にゲームジャンルを指す言葉がマイコンゲーム雑誌のレベルでは一般化しています。それ以前には海外のゲームジャンル区分がないため、今のアクションゲームのことを「反射神経ゲーム」と呼んだり*3、パズルゲームやシミュレーションゲームを「知的ゲーム」といった言葉で頑張って呼んでいました。
そして、1983年に一般化したジャンル区分はマイコン雑誌の「ASCII」から分離独立した「ログイン」→「ログイン」から独立した「ファミコン通信」などといった形で80年代中盤頃に乱立して創刊する家庭用ゲーム雑誌の世界にも受け継がれていきます。
当然、その頃はジャンル区分の親子関係も今のような形とは少し違っています。当時、文学部四年生だった浜村弘一が書いている『パソコンゲームランキングブック』(旺文社、1983年10月)などでは、「RPG」は「アドベンチャー」のサブジャンルとして区分されたりしています。
ジャンルを示す言語が輸入された後も、何がRPGで、何がシミュレーションなのか、といった意味内容と意味表現の一致が現在のような形になるまでにはさらに数年が必要で、今現在のジャンル区分の水準からしてほぼ(95%ぐらい?)しっくりくるぐらいの状況*4がやってくるにはさらに後。だいたい1987年〜1989年ごろぐらいでしょうか。そのころには意味内容と意味表現が現在の水準とほぼ同じといっていい状況になっています。
その後に出てくる細かい区分が普及してきた経緯はケースバイケースに出てきているので一概には言えませんが、単に言葉が普及した後も、いろいろな意味の読み替えが行われたりしてごちゃごちゃとしてますね。
それと、細かいジャンルを示す言葉を誰がどういう経緯でいい出したか調べるのは難しいです。普及した時期だけならデータを追っていけば比較的すぐにわかりますが、誰が言い出したか、となるとゲームに関する雑誌資料、広告、番組等々はアホみたいな量がある割に、国会図書館に行っても保存されているものに限りがありますからね(特に創刊間際のゲーム雑誌なんかは保存されてません)。それに最初にその言葉を作られたきっかけと、その言葉が普及するきっかけはまったく別物だったりするので厳密な意味での言葉の「起源」は限界があったりもします。
あと、海外の事情はさっぱりわからんです。多分、id:hallyさんとかがすごい詳しそうです。
ゲームのパッケージにジャンル名なんて記載されだしたのはいつからだ?
パッケージは調べたことないですが、先にも述べたとおり1983年の後半にはいきなりジャンル名がたくさん使われはじめているので、その言葉の輸入元であった海外のゲーム市場だったら、もしかすると80年代初期ですでに「パッケージにジャンル名を記載する」というものがあったのかもしれません。
■[ビデオゲーム]総プレイ時間
NGMさんより
ヘビーゲーマーとまではいかないが趣味の一つとしてゲームを楽しんでいるという人は、「総プレイ時間」表示のことを(悪い意味で)気にする傾向がある。『真・三国無双』を○○○時間もやっちゃってさー、みたいな話は、自虐的な語り口でされる話題だ。6800円でそんだけ長い時間楽しめたんだから安上がりじゃないか、とかいうフォローを入れても、彼/彼女らにとってその時間は「無駄に過ごしてしまった時間」という思いが拭いがたくあるようだ。
我々ヘビーゲーマーは……あえてこう自己規定するけど……そのような罪悪感からは自由だ! 高らかに宣言したい! そんなちっぽけな自意識はとうに捨て去ったのだ、と!……とか言いたいところだが、私の「総プレイ時間」表示フェチも、結局のところこの罪悪感の裏返しのような気がしないでもない。
*1:アドベンチャー、アクションは元ネタがいまひとつわかりませんが。
*2:当時は主にマイコンゲームを扱った「I/O」「ASCII」「マイコン」などの雑誌
*3:また、80年代初期は、アクション、シューティングゲームなどのことを「アーケード」というジャンル名でくくっていたりすることがありました。いうまでもなく、これはゲームセンターという場所を示す言葉がジャンルを示す言葉になってるんですね。なお、アーケードという言葉の起源についてはhallyさんが詳細にまとめています → http://d.hatena.ne.jp/hally/20040710#p1
*4:家庭用ゲームの一般ゲーマーの認知水準まで含めた意味で。


こうした状況下で、創刊間もない『ログイン』誌がアドベンチャやロールプレイングといった海外発の新興ジャンルを積極的に紹介しはじめました (厳密にいうと、アドベンチャはすでに国内でも少しずつ根付きはじめていましたが)。この年両ジャンルの認知度向上にアスキーが果たした功績には、図り知れないものがあります。それ以前は海外のゲームジャンル区分がなかったのではなくて、若年ゲーマ層に分かりやすい形で紹介されていなかっただけでしょう。1984年頭には『マイコンBASICマガジン』もアドベンチャゲームを毎月特集するようになりました。そして春には『遊撃手』創刊。これに『Beep』が加わって、パソコンゲームのジャンル認識はおおよそ海外と同水準になります。他にも私が知らない影響元があったかもしれませんが、少なくともクチコミが大きな威力を持つほどユーザーコミュニティが根を張っていなかったのは確かですね。
シミュレーションもまた同時期に活性化した新興ジャンルではありますが、この呼称は海外から紹介されたというのとはちょっと違うように思います。○○シミュレーションと銘打ったゲームはすでにいろいろ存在していたはずです。だから「信長の野望」なども、当初の広告ではシミュレーションとは別枠で、ウォーゲームとして紹介されていました。こっちの呼称で定着しなかったのは、たぶんボードゲーム方面と同じ理由からなのでしょう。
海外のジャンル認識ですが、歴史が古いだけあってアドベンチャの認識は突出していました。ロールプレイングはもともとアドベンチャと不可分な領域だったので、日本と同様の意味で意識されはじめるのはウルティマ/ウィザードリ以降です。アクションゲームに関しては日本と同様に、1986年頃までは分類不能なものがきわめて多いという状態だったので、ブロックゲーム、レースゲーム、迷路ゲームなど、早くに確立した王道ジャンル以外は、メーカーの都合による分類しか見られませんでした。プレイヤサイドからの本格的な分類がはじまる前にヴィデオゲームクラッシュがやってきてしまったので、以降は「アーケード」という区分で十羽ひとからげにされてしまうケースが増えます。この時期の混乱はクロフォードのゲーム分類にも顕れていますね。海外で2Dアクション分野の考察に深みが出てくるのは、ファミコン上陸後だいぶ経ってからです。
パッケージへのジャンル記載については、こちらが参考になるでしょう: http://www.digital-palm.com/88lib/ 海外はどうかな。ちゃんと調べていませんが、少なくともシエラは、早くから「ハイレゾアドベンチャーシリーズ」という看板を強調していました。
個人的には、ゲームの設定に依存したジャンル名(ファンタジーRPGとか歴史SLGとか)と、プレイ方法に依存したジャンル名(ガンSTGとかリズムACTだとか)とがそれぞれどういう発想から出てきたのかとか気になってきたのですが、ルーツ探しは大変そうですね。うーむ。
大変詳しいコメントをいただき本当にありがとうございます。勉強になります。
シミュレーションに関して確認させていただきたいのですが、たしかにボードゲーム方面で有名な鈴木銀一郎氏の『ゲーム的人生ろん』によれば「昭和五十六年の秋に始まった(注:ボードゲームの)シミュレーション・ゲームのブーム」という記述があったので、シミュレーション・ゲーム開発者サイドの認知でいくと、
<海外のボードゲーム> → <日本のボードゲーム> → <日本のシミュレーションゲーム>
という形で言葉の輸入があったということでしょうか?
あるいは、もっと直接的に初期の日本のPCゲームの開発者が「シミュレーション・ゲーム」という呼称をいきなり思いついたということでしょうか?(いま、ちょっと資料が手元にないですが、たしか86年ぐらいの『Beep』紙の光栄社員へのインタビューで「社長はボードゲームをまったく参考にせずに信長の野望を作った」とかっていう証言がありました。事実を言っているかどうかはわかりませんが)
>パッケージへのジャンル記載
参考になりました。http://www.digital-palm.com/88lib/を見ると、1982年発売の『バルチック艦隊を追え』ですでにパッケージにコンピュータ・シミュレーションゲームという記載が見えますね。
>Tatsukiさん
たぶん、ですが言いだしっぺという点では、プレイヤサイドから事後的に名づけられたものよりも、メーカーサイドから「設定によるジャンル分け」「プレイ方法によるジャンル分け」も厳密な形ではなくキャッチコピー的に作られていったもののほうが多いか、と思います。もちろん、その後プレイヤサイドで言葉が流通しなければ、単なる一時的なキャッチコピーでしかありあませんが。
また、言うまでもないかもしれませんが、設定/プレイ方法という議論の仕方ではムリなものもけっこうありますね。そもそも「恋愛SLG」だとプレイ方法(?)ですが、「ギャルゲー」はゲームの設定(?)でしょうか。(※ギャルゲーの意味は90年代中盤に大きなターニングポイントがあるでさらにゴチャゴチャしますが)
あと「正統派RPG」という呼称は80年代中盤〜末にかけて大きな読み替えが行われていたりして面白いですね。堀井雄二自身はドラクエ1発売時(86年)にウルティマ/ウィザードリィに対して、「正統派のRPG」という言葉を使っていました(「正統派」じゃないRPGはゼルダなどのアクションRPGを指していたものと思われます。コンシューマー市場ではアクションRPGのほうが先にRPGとして有名になっていました)。80年代末〜の家庭用ゲーム誌の記事などではウルティマ/ウィザードリィが否定されはしませんがドラクエ/FFが「正統派RPG」のイメージの中心をなしていることが多くなっているようなところがあります。(逆にそこで「正統派じゃないもの」として見出されるのが『マザー』や『摩訶摩訶』などの世界観がファンタジーでないものでしょうか)。プレイ方法も設定もぜんぶ一緒くたにして特定の「作品」がイメージの中心を成し、その時々でジャンルを指す言葉の意味自体が変遷してる例ですね。
この用語が日本に入ってこなかったということは、当時日本のパソコン雑誌やメーカが、ストラテジゲームの動向を把握していなかったか、あるいはあまり気にしていないかったかのどちらかです。いずれにせよ眼中にあったのはあくまでボードゲームだった。したがって用語の流入経路はおっしゃるように、<海外ボード> → <日本ボード> → <日本パソコン>と考えていいと思います。
「社長はボードゲームをまったく参考にせずに…」というのは、あくまで「信長」のオリジナリティを強調するための言葉でしょう。それ以前の光栄は、ボードゲーム方面を相当強く意識していたはずです。でなければ、光栄最初のシミュレーションが「バルジ大作戦」 (国産ボードシミュレーション第一弾と同タイトル) だったりはしないでしょう。また当時の光栄は、「バルジ」はシミュレーション、「信長」はウォーゲームという分類をしていたわけですが、これにしてもダニガンあたりのシミュレーションゲーム観なくしては説明しにくいものです。
『こんにちわマイコン2』はちょくちょくと見かけるのですが未入手でした。今度確認してみます。
(#返事が遅くなりましてすみません。)