法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドッペルゲンガー』

 買い物をしていた永井由佳が、弟の姿を見かける。しかし帰宅すると弟は家にいたという。そこに警察から電話がかかってきて、弟が死んだとつげられる。すぐそこに弟がいることから何かの間違いだと永井由佳は考えるが……
 人間の首筋の神経から意思を読みとって動く機械の身体をつくろうとしていた早崎道夫は、開発がおもいどおりにいかないことにいらだっていた。会社から資金をひきだすためパフォーマンスをさせた友人とも衝突するが……


 黒沢清監督による2003年の日本映画。ドッペルゲンガーの伝説をふくらませたオリジナル作品で、自分そっくりな存在の行動力に刺激された人々が解放されていく姿を描く。

 役所広司の演じる主人公が超常的な出来事におそわれ、屈服しそうになりながら抵抗し、ついには超常的な精神を獲得する……この構造は代表作の『CURE』や『カリスマ』とほとんど同じ。
 永井視点でドッペルゲンガーの存在をあいまいに見せる冒頭は、さすが黒沢監督らしくホラーとして完成度が高い。ごく一般的な日本の生活を見せて、暴力的な映像はいっさいなく、死をにおわすのは電話ごしの言葉だけなのに、とにかく恐ろしい。
 しかし早崎視点でドッペルゲンガーが堂々とあらわれた時から、一気に映画のジャンルが変わる。口調は快活で行動は破天荒、いやらしいまでの笑顔を見せるメフィストフェレスのような存在だ。ドッペルゲンガーは主人公の内心にそって現実に行動していく。まるで藤子・F・不二雄の異色短編漫画のようなシュールなブラックコメディ。
 そこからドッペルゲンガーと主人公は対立しながらたがいにくびきをはずすように行動が暴走していき、周囲にも影響していく。じわじわと間接的に怖がらせる演出はなりをひそめ、むきだしで唐突な暴力の応酬が状況を動かしていく。


 ドッペルゲンガーの描写は合成を駆使。作品自体がデジタル撮影されていることもあって、色調などに違和感がまったくない。もちろんスタントダブルを活用した場面も多そうだが、役所広司役所広司の顔が両方見えるかたちで接触する描写もあって感心した。
 シーンの移動などで画面分割を多用しているが、その流れで同じ場面を同時に違うカメラで撮影しているかのように見せていることもおもしろい。もちろん別々に撮った映像をならべているだけと頭ではわかっているが、役所広司の演技のおかげで説得力がある。
 ドッペルゲンガー以外では銃撃戦などで当時の日本映画としてはそこそこしっかりしたアクションも見せる。廃墟でミラーボールが転がってくるあたりは完全にギャグだが、それもまた楽しい。自動車による死など、よく見れば高度な技術はつかっていないが、無駄のないカット割りで粗に気づけない。

『スターシップ・オペレーターズ』雑多な感想

 学生たちによる宇宙戦艦での実習が終わろうとする時、突如として本星が侵略されて即座に降伏。難しい立場となった学生たちは、メディアの取材をうけいれるかわりに支援をえて、子供ばかりの独立戦争を単艦で始めることになる……


 水野良ライトノベルを2005年にTVアニメ化したスペースオペラ。1クールとはいえ、渡部高志監督が全話コンテを、富沢義彦シリーズ構成が全話脚本を担当した。

 いかにも1990年代をひきずった古いライトノベルらしい内藤隆の挿絵から、松本文男による頭身高めのキャラクターデザインに変更された。

 OPは松田宗一郎パートがリピート作画で短く、和田崇のキャラクター作画は松田デザインにあわせた描線の単調な太さで、何より当時なりのクオリティ低めの3DCGを多用していてきつい。
 しかしデザイン化されたEDは現在に見てもすばらしい。ちょっとだけ動かすパートも、枚数多めに「ぬるぬる」動かして静止画との対比が映える。

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 本編も3DCG多用の艦隊戦はきついが、破壊される時の手描きエフェクト作画が短いなりに良くてカタルシスがある。橋本敬史新井淳などが原画で参加。部分的なメカ作画もキャラ作画も安定しており、高水準というわけではないが安心して見つづけられる。全話監督コンテのおかげだろうか。


 物語は導入の第1話がとっちらかっているところが痛い。子供だけで思いつきのように侵略に抵抗しようと混乱しながら漂流をはじめようと論争をするAパートから、CM明けで混乱が収拾されてメディアにスポンサードされて孤独な戦争をするBパートへ、どっちつかずに異なるテーマをつめこんで印象がうすくなってしまっている。
 パートごとに異なるテーマをうまくつめこめば密度が高く変化に富んだストーリーになりうるが、この第1話はそれぞれのテーマをきちんと物語に落としこむには尺が足りていない。Aパートは混乱しはじめたところでCM入りするし、Bパートはメディア人がいきなり子供たちに指示していて、キャラクターをつかんですぐ第1話が終わってしまう。
 まずは子供だけで論争して混乱しながら無謀な抵抗へかたむいて孤立する漂流劇にしてメディアとの接触は次回にまわすか、メディア人に指示されながら子供だけで戦争をおこなっている奇妙な風刺劇の第1話にして漂流の発端は回想や劇中記録映像で処理するか。第1話のテーマをどちからに一本化すれば、作品全体がどちらを中心に描きたいのか明確化できたとも思う。


 ただ原作からの改変がけっこう多いとして当時は不評をよく見かけていたが、第1話で提示したリアリティの基準は守っていてライトなSFとして意外と悪くない印象が残った。
 特に若者の葬式のコンテンツ化は『革命機ヴァルヴレイヴ』の先駆か。こちらは子供たちなりの思いやりが自発的にコンテンツ化に向かってしまうブラックさはなく、あくまでメディア側が絵になる情景をもとめた結果だが、それもふくめて子供たちの悲劇的な物語を読者や視聴者がもとめてしまう娯楽自体の醜悪な側面をメタな視点で風刺できている。
 1クールなので『無限のリヴァイアス』と違って艦内の不和や主導権移行には尺をつかわない。主人公たちが若者とはいえ軍人としての教育課程にある違いもあるだろう。結末に限っては、最終的に社会秩序と妥協して終わった『無限のリヴァイアス』より、権力と陰謀に中指を立てて終わったこの作品のほうが好みかもしれない。
 いかにも視聴者受けしか考えていなかったメディアマンまで、最終的にはジャーナリストの矜持を見せる。反権力的な思想のあらわれというより、政争にひっかきまわされる現場のプロフェッショナルにロマンを見いだす思想から行きついた結論だとは思うが、最終的に軍人だけでなく報道にもそのロマンを見いだしたのが21世紀のアニメでは貴重だとも思えた。

『マクロスデルタ』雑多な感想

 戦闘機に変形するロボットと三角関係と歌をモチーフにしたシリーズの1作品として、2016年に放送されたTVアニメ。すでに後日談の劇場版が公開されているが、今さらながら最終回まで初めて視聴した。

 最終的に銀河全体を巻きこみ支配するような敵の計画だが、2クールをかけても登場人物の関係に変化がほとんどなく、舞台も序盤から提示された敵の星に移るくらいで、全体のスケールが小さく感じられてしまった。初回に多数の登場人物を一挙に登場させたイベント感はシリーズに類例がなく良かったが、以降は数人退場させるだけでキャラクターのいれかえが少ない。
 同じシリーズのTVアニメでも、『マクロスフロンティア』では、数話ごとに敵を変えて主人公の立場も変化させていって、自然にドラマと世界観のスケールを一致させながら拡大していったのに。
 あくまで小さな星の王国が生きのびるための銀河の片隅の策略くらいのスケールにとどめたほうが良かったと思う。シリーズをつらぬく歌の効果も、SF的な設定を細かく説明したことで、逆に歌というモチーフがもつ魔力がうすれた感があった。
 作画も現代のTVアニメの水準からするとやや粗い。ただこれはシリーズにおいて『マクロスフロンティア』のコントロールが特異的に良かっただけで、もともとTVは良い回がたまにあるくらいがシリーズの通例なので許容できる。実写と組みあわせたED1などは映像として良かった。


 しかしキャラクターはおおむね魅力的だし、結末の閉じ方はうつくしい。特にヒロインの動物的なかわいさは他になく、それでいて敵民族の出身でありつつ自立した存在として主人公と対等な相手として立ち、物語をささえるだけのキャラクター性が生まれていた。

『わんだふるぷりきゅあ!』第16話 鏡石のふしぎ

 街の道路にある巨石が光ると願いがかなうという伝説を、犬飼いろはたちはクラスで聞く。犬飼両親から動物にまつわるくわしい内容を聞かされ、キラリンアニマルがここにだけあらわれることにも関係しているのではないかと考えるが……


 成田良美脚本、頂真司コンテで、主人公が対話の重要性を知って両親と情報を共有しあう物語を描いて、そこから物語の根幹につながる設定が開示されていく。
 昨日に放送*1された『クレヨンしんちゃん』につづいて番組をこえたコラボレーション回でもある。こちらは公式サイトのあらすじでも省略しているように*2、通りすがりに出会っただけ。たがいのコラボレーションで異なる出会いを描いているので、同じ世界の出来事だとすると矛盾する。とはいえ対話の意義を主人公に感じさせる本筋に関係しているし、まったく異なる絵柄のしんのすけとシロがそのまま画面に登場しても青山充原画の適度なクセで全体的な統一感はあるが。
 子供が危険な戦いにおもむくことを説得する展開は難しそうだと思ったが、キラリンアニマルを見つけるだけとメエメエが説明して親を納得させた顛末は良かった。危険ではあるが敵との戦いではなく保護が目的という今作の設定のおかげでぎりぎり嘘をつかずに成立している。猫屋敷家ではキュアニャミーが他人に説明せず一方的にひとりだけ保護している描写もあわせて、対話の難しさと大切さを描くドラマになっている。

『クレヨンしんちゃん』まいごのコブタだゾ/すき焼きをゲットだゾ/オラ、プリキュアだゾ

 前半ふたつは再放送だが、ムトウユージ監督がコンテを切っていて放送された全話のレイアウトに統一感がある。「まいごのコブタだゾ」は野原家にもちこまれた動物によってトラブルが起こり、シロが活躍するという意味で新作のテーマとも一致。


「オラ、プリキュアだゾ」は野原でシロとしんのすけが遊んでいるところに散歩中のこむぎといろはが通りがかるシンプルな内容。他のサブキャラクターとからみあう妙味はないが、しんのすけとシロもプリキュアに変身する展開でイベント的な面白味は充分ある。
 やや『クレヨンしんちゃん』のキャラクターとしては情報量が多いものの、簡素な線でいてちゃんとかわいいプリキュアが動きまわるアニメーションも楽しい。ぶりぶりざえもんオチで笑わせ、いろはが違う遊びの良さも認める結末でドラマとしてもきちんと閉じた。
 もっと長いSPで見たかった気持ちはあるが、ED前の挨拶などもあり、見て損のない内容。