風水と家相の歴史


風水と家相の歴史

知り合いの松永英明さん(id:matsunaga)から是非読めと勧められて、「風水と家相の歴史」を読んでみた。幻の五色不動の著者である松永さんが薦めるだけのことはあって、非常に興味深く読めた。この本は、日本における風水の受容や、受容の結果として家相が成立して行く過程が実証的に研究されている。家相を気にして使い勝手の悪い間取りの家を建てるといった話は、江戸の頃から掃いて捨てるくらいあったらしい。

著者の宮内貴久さんは、お茶の水女子大で民族学の研究をされていいて、家相で開運できるとかは露ほどにも思っていない人だ。宮内家のトイレは鬼門の方角にあるそうで、宮内家が不幸に見舞われたら家相に効果があるという話で、何もなければ家相には何の効果もないという話で、どちらにしても論文のネタになると思っているそうだ。

この家相の効果を信用しないにも関わらず、家相について敬意をはらいながら実証的な調査をされている著者の態度は、Feng-Sui*1を書きあげたエルネスト・アイテルのそれを彷彿とさせる。エルネスト・アイテルは、18世紀に中国に派遣されたキリスト教の伝道師で、風水に興味を持ってかなり詳細な解説書を出版した。

本書を読んで驚いたのは、日本において風水を受容した最初の段階ではちゃんと巒頭に着目した地相の術があったということだ。それが江戸時代に陰陽五要奇書などを基にして、欠け張りの家相の術が成立したようで、それが大流行して現代に至っているようだ。ただ紫白星による八方位区分の成立は江戸よりは下るようで、江戸時代に書かれた家相図で現存するもののほとんどは二十四山の方位区分を採用しているとされている。

ただ家相を含む陽宅について、個人の住居であるなら理気がどうこうよりは、使い勝手に注意して採光換気が良好であることの方が遥かに重要だろうと考えている。昔、出版された「東洋占術家相入門」*2において、著者の佐藤文栞は、師であった大熊光山の言葉を以下のように紹介しているからだ。

ところが、先生は「この水・火・汚物は、現代建築学では、半分以上は解決されている。新建材によって、昔とちがった衛生的な建築物は、昔のような水・火・汚物の家相観では狂ってくる。もし昔のような家相をいうならばむしろ家の凹凸をいって、空気と光線の問題を重要視した方がよい」と現代的な説をいわれてます。

不世出の占術家であった大熊光山にしてこのモダンさ。しかも何十年も前に語られた言葉なのに話が全然古びていない。進取の気勢を失わないようにしたいものだ。

*1:この本は訳本が出ている。風水−欲望のランドスケープ

*2:佐藤文栞著、文研出版1973年初版、現在、絶版

これが日本の現状

RSSリーダに登録しているブログの一つにこんな記述のあるエントリがあがっていた。

簡単に説明させてもらうと西洋占星術
蠍座の人」と言うのは
「太陽が蠍座にある人」を指す。
インド占星術ではほとんど
太陽がふたご座の人に入ってしまう。

この差異はインド占星術
地軸の振り戻しを計算に入れたからだということらしい。
現状、この考え方の方が天文的に正しい、
即ち、正確であるという認識らしい。

どう読んでも正しくない。多分、間違った原因は星座とサイン(黄道十二宮)の区別を曖昧にしているからだろう。西洋占星術で、いわゆる蠍座つまり天蝎宮に太陽があるなら、太陽は星座としての乙女座*1にあると言って良いだろう。地球の歳差運動によって春分点が移動することにより、現在の春分点は星座としての魚座にあるからだ。天蝎宮に太陽があることと乙女座に太陽があることは、一方が正しくて他方が間違っているというわけではない*2

西洋占星術で一般的な、トロピカルな黄道十二宮春分点を始点として黄道を12に等分して作られているし、インド占星術で使用されるサイデリアルな黄道十二宮は実際の星座を基に黄道を12に等分割したもので、黄道上に占める位置が基本的に異なっている。春分点の移動を考慮しているのは、どちらかというとトロピカルな黄道十二宮の方だし、一般的な天文学では春分点の移動を考慮しているものなのですけどね。しかし月将と同じものである黄道十二宮についてこんな認識で六壬できるところがすごいね。

*1:ふたご座ではなく乙女座。

*2:常にではないにしてもね。