漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

偶然

■2日のフォーラムの帰りに乗ったタクシーの運転手が三重県に住んでいたことがあって、話しを進めていくとぼくが住んでいたところのすぐそば。住んでいた時期もほぼ同じで、偶然に盛り上がりながら帰宅。そのまま寝たが、日曜日は二日酔い。まずは日誌としてここまでアップ。

フリースクールからの提言〜不登校・発達障害をもつ子どもたちも大事にされる教育へ

■昨年秋口から準備をしていたためか、今までの集いとは比べものにならないほどの聴衆がやってきた今回のフォーラムであった。参加人数は100名超。アンケートにどこで知ったのかを書く欄が無かったのが残念。パネリストである野村さんの熱心な広報と親の会等の後援が効いていたか。

■北海道フリースクール等ネットワークが今回のフォーラムを開くことになったきっかけは三つある。まず、東京シューレが昨年神奈川県の議員団に提示した「フリースクールからの提言」。そして、各フリースクールの財政状況への危機感と支援している子ども像の多様化に対する戸惑い。これらを元にうち立てた視点は、既存の学校が与える「教育」の概念では成長が難しい子どもには別個の教育システムが必要であり、それを現在行っている民間団体を行政が支援するシステムが無いと教育が硬直化してしまうということだ。パネリスト三人の報告は、自らの子育て(野村さん)フリースクールでの実践(亀貝さん)諸外国の例と教育を受ける権利の側面(古山さん)から、それを訴えるものだった。

■しかし、我々の持っている視点は、決して一般的に広まっているものではない。我々はやはりマイノリティである。マイノリティの存在を認めてもらうためには、まずこちらを向いてもらう必要がある。今回、理論的な面と議会・行政に対するアピール、当事者を含む直接の利害関係者には一定の訴えが出来た。今後はもっと広く、世の中の人たちにこちらを見てもらわなければならない。フォーラムの中で古山さんが喩えていたが、視覚障害者のための点字ブロック設置に異を唱える人は少ない、むしろきちんと整備するよう考える人が大部分だ。そして、視覚障害者に目が見えるようになれ、とは言わない。不登校発達障害をもつ子供たちに対しても、同じような感覚を世人が持つよう働きかけをしなければならぬ。即ち、既存の学校では成長が難しいと感じたら、別の教育がすぐに受けられるようなシステムが当然と受け止められ、既存の学校のみで成長することを強いることのない世の中を作るようにすることである。「先進国では教育は福祉としての性格を持つ」とは、同じく古山さんの話しだが、正にこの考え方が日本の教育のこれから取るべき道を表しているだろう。

■ところで、これだけ多い参加者の中に今回のテーマの当事者の一つたるフリースクール関係者が少なかったことは、多いに反省しなければならない。顔を見かけたのは、札幌自由が丘、北海道自由が丘、どろんこクラブ、ドルフィン、チャレンジポートあゆみといったところ。青森で不登校のサポートをしている人が来てくれたが、これはパネリスト野村さんの人脈によるもの。FSN自体が求心力を持っていないのは何故か、考えなければならないと思う。

■以下、他参加者の報告を見つけられただけ貼っておく。内容について、更に考える参考にしてもらえれば幸い。
ZOOPY (あんみつさんブログ)http://d.hatena.ne.jp/mononoaware/20080204/1202078751
かめのつぶ焼きパート2 (めぐさんブログ)http://plaza.rakuten.co.jp/megu1129/diary/200802030000/
Hi-log 2(ハイロウさんブログ)http://blog.livedoor.jp/area312hl/archives/51152189.html
Kametarou-古希日記(亀貝さんブログ)http://blog.goo.ne.jp/kametarou_2005/e/a332dd84d04ba5b6e189c8b17f15acd8
フリースクール等ネットワーク報告(写真有り)http://www13.ocn.ne.jp/~fs_net/activity.htm