漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

子どもの関心世界を一緒に面白がることには意味がある(平野直己先生の講演を聞いて)

■ボランティアスタッフの坂岡です。9月20日札幌市民ホールで、北海道教育大の平野直己先生の講演を聞いてきました。タイトルは、「フリースクールで元気を取り戻していく子どもたち」です。僕が平野先生の講義を聞くのは、教育大の合宿に混ぜてもらった時が初めてで、今回が二回目でした。今回も楽しみにしていきましたが、期待通りの「平野節」が聞けて、とても満足でした。

■というわけで、今回は平野先生がおっしゃっていたことで印象に残ったものを書こうと思います。あくまでも、僕が聞いて「おもしろいなあ」と思った部分を再構成したものなので、ちがってる部分があったらごめんください。

■平野先生は、岩見沢校時代「ユリーカ」というフリースペースを開いており、そこでの活動経験を中心にお話しされていました。「子どもが元気を取り戻していくとはどういうことか?」というテーマを自由が丘学園から与えられて、平野先生が強調しておられたのは、「子どもの主体的な活動を応援する」という一貫した姿勢でした。

■「主体性が大事、なんてどこでも言ってることじゃないか」と思われるかもしれませんが、平野先生が言っていることは、「大人がやらせたいことを、子どもが主体的?に(オートマチックに?)できるようにさせる」ということではありません。(大人たちはしばしば、「大人にとって都合のいいことを、子どもが自分からやるようになる」ことを、「自立」とか「主体性」と言いかえているのではないでしょうか?)

■平野先生曰く、子どもたちは、ある一定の雰囲気を持つ環境に置かれると、自分からやりたいことを見つけ出して、それに取り組んでいく。そして、それを一緒に面白がったり、応援してくれたりする人がいることで、その子は「元気を取り戻していく」のです。あらかじめ大人の側が「やってほしいこと」を処方するわけではなく。

■では、その「一定の雰囲気を持つ環境」とは、どのような環境なのでしょうか。平野先生は、ご自身の「子どものサイコセラピー」の経験と、発達心理学の知識を前提として、次のように言います。「安心して何でも言える場所、何をやろうとしても文句を言われず、一緒に楽しんでくれたり、応援してもらえたりする場所」。たとえば、サイコセラピーにくる子の中には、「ギターをひきたい」という子もいれば、「ダンスがしたい」という子もいたそうです。そして、平野先生もいっしょにやって、ギターがひけるようになったりしたようです。(笑)

■「お母さんが安定してリラックスした情緒状態でそばにいると、赤ちゃんの探索行動が促進される」というのは、発達心理学のセオリーです。(愛着理論のことなどを言っていると思われます。)逆に、お母さんが常に不安で緊張したような状態でいると、子どもも不安感が強くなり、自分から探索行動に出ることができなくなります。大人が楽しそうにして子どものそばにいること、リラックスして、子どものやりたいことを応援したり、躊躇しているところをそっと背中を押してやること(ジェントルプッシュ)。それが、子どもの主体性の発達を支える上で大事だというのです。

■驚いたのは、「プログラムなきキャンプ」という実践。ここまで徹底しているとは……。大人があらかじめ決めたことをやるのでなく、すべて「その場で」子どもがやりたいことをやる。スタッフはそれを全力で手伝う、というのです。(さぞ、「てんやわんや」だろうなあ)そこからドラマが生まれるというのです。他にも実践的でおもしろいことをたくさん聞けました。後は、「これはいい言葉だ」と思ったことを以下に並べて、終わりたいと思います。(僕のノートからなので正確ではありませんが。)

  • 発達障害」と呼ばれているのは、「学校でパッとしない子どもたち」。なら、「パッとする場所」に連れて行けばいい
  • 子どもが主体的な思いを形にする時、それをいっしょに面白がって、応援してくれる人が、地域の人たちだったら……
  • 大人が与えてくれなかったフラストレーションから、子どもは夢を見る
  • おろおろするテクニック。「やりたい」と声を出す。それを誰かが助けてくれる。その人が味方になる、という体験が大事
  • 不完全であることが、人を結びつける。「おたがいさま」が社会をつくる。なんでもできたら、仲間ができない。困ったとき、声をあげたら、誰かが現れる。その人が仲間になる
  • 症状や問題行動は、その場にいるための努力である。自閉症の常同行動だって、24時間そうしているわけじゃない。それは、なんとかその場にとどまって、僕と交流するためにそうしてくれているのだ。リストカットだって、常同行動だって、生きるための努力なんだ
  • 今は、「傷つけた人」を抹消し、「傷つけられた人」が大声を出す、という社会。でも、人間はもともと、傷つけ合って生きることを避けられない生き物だ。だから、「起きて当然」の傷つけ合いを修復すること(『雨降って地固まる』こと)を考えたほうがいい
  • 自立とは、皆で一緒に立つこと