日常

私がこよなく愛しているものといえば、ポテトチップスと韓国海苔(もちろん他多数)な訳ですが、昨日も海苔を一畳ほどいただきまして(週に1袋までにすること>自分)、正直食べ過ぎたなぁ、なんて思ったような思わないようなで、今朝、駅から会社までの道を「月曜ってだるい…ああ、木曜か、てことはもしかして明日で終わりかっ!」なんて具合に、俯き→スキップに以降しつつ歩いていましたら、道に、点々と海苔が散らばっていて、海苔の祟りかと思いました。謎だった。

すぐ祟りとかいうのはひぐらしのせいです。祭はシナリオ選択じゃなくて分岐するんだな。なんかみんなどんどん声が嗄れてくような気がするのは気のせいですか。

ところで今食べてる韓国海苔はグローブ座行ったときに買いだめしたものなんですが、黒ごま付きの、やつが、超絶おいしいです。韓国海苔は今後これ一筋でいいです。でも新大久保の店でしか見たこと無い。

今日のお昼はベーコンオムレツサンドをハニーオーツでピーマン抜きピクルスオリーブ多めでお願いしました。サブウェイのピクルス好き。ちゃんと冷たくて。

 住める町

loomerさんの日記に『初めて「あ、ここ住める」と思ったのが博多でした』と書かれているのを読んで、私が「住める」と思ったとこ、どこかなぁということを、ぼんやり考えていた。
そういえば、旅行をするときって、いつも「ここに住めるかどうか」ということを考えているような気がする。幼稚園以降は東京から出たことがないのだけど、ここ以外の場所に住んでみたい気持ちはずっとあって、ここは好きだけど、ここを外から見てみたいとも思うし、「移動」に慣れている人へのあこがれみたいなものもある。

海外だったら、インドネシアはかなり良かった。親戚が住んでいたし(安心)、気候も、人も、違和感がない。でも言葉が難しいし、どうやって食っていくのかというとこが問題。
国内だと、去年の夏に行った京都は、自分でもびっくりするくらいグっときた。あの、道の先に山が見える感じには、その風景を思い描くだけでそわそわする、衝動、みたいなものがある。すごく好きだ。けど、京都出身の友達に「ぜったいなじめないって」みたいなことを言われ、日和った。憧れの沖縄は、島も含め、行くたびに住みたい! と思うけど、手に職がない自分は食べるのに困りそうだ。し、地域コミュニティというものに慣れていないのできっとやっていけない。
土地と人との結びつきや距離感は、たぶん育った環境に大きく左右される。そして、やっていけない、と思ってしまうのは、きっと自分が既に左右されちゃってるからなのだろう。
ほんとに幼い頃、外国に住んでたときの(でも日本語しか話せません)、あの心細い感じを思い出す。幾日も続く曇天と、頭上で交わされる馴染みのない言葉、手を繋いでいる親の言葉すら理解できない、すれ違う人にまじまじと顔を見られる毎日。ふてくされてた私にとって、あの頃は家族だけが「社会」だった。なーんて、実はほとんど覚えてないんだけど、それでも、遠くなればなるほどに、記憶の中のあの町は、とても魅力的だったりするから不思議。

話がそれた。
それにしても、いつか住みたい町のことを考えるのは、楽しくて、それは確実に、旅行にいく楽しみのひとつだよねぇ、と思います。ぜったい住みたくないけど好きな場所、というのもあるんだけど(香港とか)。

 かみちゅ!1〜6話

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ある日神様になってしまった女子中学生、ゆりえの日常を描いたアニメ。
神様になってしまった、という設定からして、なぜ神様になったのか、というところに焦点があたりそうな気はするんですが、そこはあくまでもゆるがない設定であって(とりあえず現時点では)、基本的なあらすじは、おわらない夏休みのような閉じた時間の中で、あらかじめ回避されることが約束された困難に立ち向かっていく、というもの。
瀬戸内海のどこか(尾道だったかな)を舞台にした、美術や八百万の神々の設定や今となってはハルヒみたい、と思ってしまう祀ちゃんや「苺ましまろ」の桜木茉莉に似てる(顔が)みつえちゃんのキャラクターとか、好みのアニメではあるんだけど、未だになんかしっくりこない。理由はたぶん、主人公のゆりえにある。
ゆりえは、神様になってしまう云々を抜きにしてもファンタジーだ。動きの描写がいちいち「かわいい」で、かわいいは正義なのかもしれませんが、「かわいいでしょう?」といわれているようでなんとなく反発したくなる。ドジっ子で天然で恋する乙女なゆりえ自身は自分で「かわいいでしょう?」というようなキャラじゃないので、これは制作側の「ゆりえをかわいく」というこだわりゆえのかわいさ、なんだろうけど、そこになんか、物語以外の要素を感じてしまうってことかな。
うーん。
キャラクターの魅力を楽しむ物語、というのもあると思うけど、なんかずっと「この子いちおしです!』といわれてるような気分だ。全体的に、雰囲気が好みのアニメだけに、もう少し、盛り上がりたいんだけど、かわいいと思えない者はお呼びでない感じ。とか思うと萎えるなぁ。
…というのはすべて、ただの妄想かもしれませんが。
ちなみに一緒に見ていた妹はずっと「カーキャプに似てるのに主人公が成長しないのが嫌だ」といってましたが私はカーキャプをみたことがないのでその喩えがわからない。

 5月病にはまだ早い

わかりたいことが、わかった、と思えるようになるまでの道のりというのは近道のできないものだ、というのは、よくわかっているんだけど、入り口すら見つからないといらいらする。反射的に時間が欲しい、と思うけど、時間があったって寄り道ばかりして結局たどり着かないんじゃないの。なんて後ろ向きなことを考えだしてしまうのは、頭の半分くらいを仕事にとられているからで、頭の切り替えがうまくできないと、こんな風になるんだなぁ、と自分について発見する。ああ、仕事って面倒だ。