「この世界の片隅に」中巻/こうの史代

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

心待ちにしていた「この世界の片隅に」の続刊、中巻ということは3巻でるんですね。上下かと思っていたので、ちょっとうれしい。
そんであらためて、私はこの人のコマ割りが、やっぱり特別に好きだなぁと思う。例えばp28,29あたりの、台詞なしに動きを重ねていくようなコマのうまさは4コマでつちかったものなんだろーかと思うんだけど、場面ごとの緩急のつけ方がとても心地よいのだ。
この中巻では、ようやく信頼関係を築きつつあるすずと周作の間に言葉にだせないような秘密が立ち上ったりする。しかし、そのことの飲み込み方には、こうのさんの描く人物ならではのたくましさがあり、読んでいてとても心強い。と、同時に悩むことよりも生きることを優先しなければならない背景も描かれていて、なんだかいろんなことを考えてしまった。

「みんなが笑うて暮らせりゃええのにねえ」

ってほんとそうだな。

 ポニョ、その後

最近読み終えた物語に、「書かれたもの(書物)」と「書いたもの(著者)」の戦いが描かれていた。そして最後、書いたものが空白になって敗れるところで、最近ずっと考えていたポニョについての、何か言葉を見つけようとすればするほど言外の部分が寒天状に膨らんでいく感じ、を重ねようと思ったのだけど、そうやって言葉にした時点でやはり言葉にならない部分のほうが膨らんでいくのだった。
たぶん私は、誰かと一緒にポニョを見て、窓あけたら庭が海になっているとか、ポンポン船から見下ろす水中の見なれた町並みとか、お母さんの乱暴な運転の気持ち良さとか、でもそれに対してつい「危ない」とか思っちゃうなんて年とったもんだわねとか、でもわたしももし自分に子どもがいたなら、あんなふうにラーメン出したいなーとか、そういうハナシをしてみたかったような気がする。
千と千尋のときもそうだった。布団のしいてある大部屋を背景に見える海と、あの湯屋の建物にたいするあこがれについて、飽きるまで(主に妹と)話しまくったものだ。
わたしがポニョでとくに好きだと思ったのは、おかあさんがそうすけのいうことを疑ったり否定したりしないところだった。「ポニョはハムが好きなんだよー」というそうすけに、「あら、わたしみたいね」と返す母さんの気持ち良さ。そんなふうに、いいな、すてきだな、と思うところを思う存分話して満足したかったような気がする。
はじめにかいた「書かれたもの」「書いたもの」のたとえをポニョにどう当てはめればいいのかはわからないけれど、書かれたものはすでにあって、それをどう読むかには書かれたもの以上の広がりがあるのだと思う。そんなことをあらためて考えたりした。