未来への提言 投資家 ジョージ・ソロス 〜“国家なき政治家”は訴える〜

BS1で放映していた。番組表をチェックしていなかったのでこんな面白い番組を危うく見逃してしまうところだった。たまたまチャンネルを合わせたら放映していて本当にラッキーだった。最近読んでいる本などを次々と連想してくる。
ヘッジファンドの帝王としてのジョージ・ソロスではなく、慈善家・国境なき政治家としてのジョージ・ソロスに焦点を当てた構成となっていてインタビューがメインだ。
投資家と慈善家としての側面は一見矛盾しているようだが、同じ原則に裏打ちされているという。それはロンドン大学カール・ポパーから学んだ「開かれた社会(オープン・ソサエティ)」というものだ。開かれた社会では自由に批判ができることが特徴であり、その背後には人間が生み出すものは過ちから逃れることができないという確信がある。この確信は投資家として莫大な富を生み出すことにつながった。一方で慈善活動においても、この確信が大きな存在を占めている。善意が意図しない悪影響を生み出してしまうという事実に気づいているが故に、できる限り害をなさないような援助を行い、常に自己批判を欠かさないように務めているという。市場に任せておけば勝手に問題は解決するという「市場原理主義」に対しても、「人間が生み出すものは過ちから逃れることができない」という確信から批判的だ。市場も人間が生み出したものに他ならないためだ。市場には適切な介入や監督が欠かせないと主張している。しかし一歩間違うと市場そのものをこわしてしまうリスクもある。それぐらい市場とは脆く危ういものなのだろう。年初に読んだ、「セイヴィング キャピタリズム」(ASIN:4766411684)を思い出した。

米国は同時多発テロ以降、開かれた社会とは逆行する方向に進んでいると批判する。テロとの戦いというスローガンの下で、政府の政策に対する批判が困難になってしまったためだ。これも人間の行うことには過ちは避けられないという確信には反することだ。先日購入した、ピーター・ドラッカーの「産業人の未来」(ASIN:4478320896)では「理性なき自由主義」と称されていたものが、「開かれた社会」を意味するのかもしれないなと感じた。

カール・ポパーと言えば、この前読んだ科学哲学の本に出ていたなあと思って調べてみたら、やはり同一人物だった。科学とは反証可能なものであると主張した人だ。

ジョージ・ソロスの本はあまり読んだことがなかったが、「世界秩序の崩壊 「自分さえよければ社会」への警鐘」(ASIN:4270001534)や「グローバル・オープン・ソサエティ市場原理主義を超えて」(ASIN:4478200807)あたりは読んでみようという気になった。