古本ときどき音楽

2017-08-15

[]:松尾邦之助の三冊

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松尾邦之助『巴里』(新時代社 1929年)

松尾邦之助『現代フランス文藝史』(冨岳本社 1947年)

松尾邦之助『巴里横丁』(鱒書房 1953年)


 引き続いて松尾邦之助の三冊。前回と合わせると、執筆の順は『巴里』『フランス放浪記』(1947)『現代フランス文藝史』『巴里横丁』『巴里物語』(1960)となります。『巴里』は前の所有者が製本し直したらしく頑丈ですが図書館本のような体裁、『現代フランス文藝史』はシンプルなフランス装風、それに対して『巴里横丁』はモンマルトルらしき絵を表紙にした味わいのある装幀となっています。

 本の性格もそれぞれ違っていて、『巴里』は、他の本が20年近くにわたる巴里生活を終えてから書いているのに対し、パリ生活6年目に、父危篤で日本に呼び戻された時に書いたもので、自分の体験は極力抑えて、フランスの思潮の紹介に重きを置いています。時流の影響か文章が新感覚派的で、読みにくい。

 『巴里横丁』は『フランス放浪記』に書き洩らしたものを続編の形で出版したもので、パリ生活、パリ社会についてのレポートという感じ。パリの酒、パリの芸術家、パリの女、パリの生活費、物価までも報告しています。パリの娼館の詳細が語られているのは、松尾氏ならでは。

 『現代フランス文藝史』は、ロマン派から戦後文学までの詩人、作家、劇人、批評家を紹介したもの。多数の作家を網羅紹介していますが、名前のオンパレードで文学事典の趣き。以前読んだ廣瀬哲士『新フランス文学』、梶浦正之『現代仏蘭西詩壇の検討』に似ています。ジャン・ロランにまったく触れられておらず、アルベール・サマン、ローデンバック、メーテルリンクも名前が出てくる程度なのは残念。また第一次世界大戦文学作品のなかに、ジャン・ミストレールの『Gare de l’EST』が抜けているのも不満。


 前回読んだ2冊と共通するテーマがいくつか出てきました。一つは現代文明批判に連なるもので、

 崟こθ人競争だ、女の足の美の競争だ、カフェーの飲みっこだの、酒のみ競争だのと、何でもレコードを作り出そうという趣味が、善か非か、兎に角世界的な現象となって来ている」(『巴里』p102)→すべてを比較し競わせる近代的精神の是非。

◆峺什漾地方色とか特殊性とかが漸次破壊されて、混血的な世界色とでもいうようなものに、いつとはなく染められてゆくのは、世界全体に共通な現象である」(『巴里』p266)→20世紀初めにしてすでにグローバル化が進行していた。

「西洋人は・・・よく発明した。然しながら・・・感情の美を失ってエゴイストになりきった機械化した人間の群を、西欧人自らが愛想づかししているではないか」(『巴里』p249) といったもの。


 もう一つは東西文明を対比したもので、「フランス人は生活の苦悩を・・・率直に訴えて悲しむことを怖れ避けている・・・日本人は悲哀と寂寥をそのまま歌い、その哀調を誇張し、詩化しようと努めている」(『巴里』p158)と、パリのどん底生活者の楽天的な生き方と、日本の「芸者の唄」に見られるような不遇者の諦めきれない態度を比較し、差異を指摘しています。


 また富者と貧者を対照させたテーマでは、

 峽気のブルジョアどもは、彼らを『放浪者』『ごろつき』などと蔑みながらも、内心この放浪者の自由を羨んでいる」(『巴里横丁』p36)と、金と幸福を天秤にかける考え方をここでも開陳していました。


 前回の本では気づかなかったテーマとして、ラテン文明とアングロサクソン文明の対比がありました。

 屮薀謄麑餌欧寮鎖世アメリカ人の精神とは、今日地球上最も相反したものである」(ピエール・ブノアからの引用)(『巴里』p255)

◆嶇働神聖説を唱えたのはキリストの清教主義であり、その影響が波及したのは英国の北部と中央部、アメリカなどであろう。この清教主義は中世期に於ける中流階級が・・・面白くもない労働を鞭撻するために考えた『格言』である・・・フランスやイタリアの人民は、芸術家的なラテン精神で育ち、享楽的な面を重要視する率直な人間であるだけに、『労働神聖』などという専制者のペテンになかなか騙されない」(『巴里横丁』p130)

「正直なところ、ドイツがパリを占領した当時、ドイツ人は欧州文化の代表者となり、独・仏の協力によって英国が孤立にされ、世界はこの独・仏の文化で色どられ、アメリカとの対立時代がつづくかのごとき印象を与えた(『巴里横丁』p193)→それが今日のEUに蘇っているのでは。


 新しく知り得た情報もありました。

堀口大學にレニエの訳詩集(赤い本)があること(『巴里』p150)。

日本でも最近「赤ちゃんポスト」として話題になったのと似た「メーゾン・マテルネル」という私生児を密かに生むシステムがフランスにはすでにあったこと(『巴里』p114)。

G知い法屮リュブ・ド・フォーブール」という一般人が参加できる議会があること(『巴里』p239)→NHKのテレビ討論会のようなものか。


 ずっと松尾邦之助を読んできて、同時代の仏文学者への言及は、かろうじて後藤末雄、井上源次郎の名前があったぐらいで、内藤濯辰野隆鈴木信太郎らに触れられていないようなのはなぜか、彼らのパリ留学と重なっているようなのに、交流はなかったのか、正当仏文学者たちは松尾のようなジャーナリスティックな人間を遠ざけていたのかと、いろいろ疑問に思っていましたら、松尾自身が『現代フランス文藝史』の序文で次のように書いていました。「これまで日本のフランス文化の紹介者の大部分は、教職にある人々で、私に率直に云わせるとフランス文化の真髄を衝くと云うよりむしろどこかディレッタントとして、幾分学者風と倫理臭で遠くからフランスを観賞していた傾向(かたむき)が無かったとは云えない」(『現代フランス文藝史』p2)

2017-08-10

[]:ALBERT SAMAIN『CONTES』(アルベール・サマン『物語』)

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ALBERT SAMAIN『CONTES』(MERCURE DE FRANCE 1907年)

                                   

 昨年、ブラッサンス公園の古本市で購入した本。サマンの翻訳本は森開社の『青い眼の半獣神』、堀口大學の『サマン選集』や盛林堂の『サマン名訳集成』があるようですが、未入手。『サマン名訳集成』は「クサンチス」以外は詩のみ、『サマン選集』もおそらく詩のみ、『青い眼の半獣神』がどうやらこの『CONTES』の翻訳のようですが、確認できておりません。「クサンチス」は森鴎外訳で持っていますし読んでいるはずですがあまり覚えてませんでした。

 冒頭一読するなり、ボードレールやレニエの散文詩と同様の詩的情緒に惹きこまれてしまいました。物語にはなっていますが、どちらかと言うと、話の展開よりも、詩の言葉で織りなされた文章が主役の作品です。フランスのウィキペディアを見ても、この『CONTES』は詩として分類されていました。話自体もファンタジー的要素が濃厚で、陳列棚の人形たちが作り出す物語やギリシア神話中世物語風の世界は、現実の生々しい苦しみを盛ったリアリズム小説とはまったく別の雰囲気を醸し出しています。

 読後全般的に感じたことは、退行的退嬰的な気分が基調だということです。この時代19世紀末の雰囲気が全編に横溢しています。「クサンティス」の骨董品が繰り広げる異世界、「ディヴィン・ボントン」の内向的な女性のこの世から離れて生きることへの想い、「青い眼の小牧神」の神話的世界と死を希う心、「ロヴェールとアンジゼル」の4人姉妹の二人が死に一人は気が狂いもう一人も病弱という死の影がつきまとう世界。

 もう一つの読後の感想は、文章がとても読みやすいこと。とくに「青い眼の小牧神」や「ロヴェールとアンジゼル」はとても読みやすかった。難しい単語が少ないこと、文章が短いことが理由でしょう。大学の初級講読のテキストとして出会えていたら、もう少しフランス語への意欲が湧いたと思います。

 話が少し逸れますが、大衆小説でもやたらと難しい語彙を使う作家がいて、昔これなら読めるだろうとジェラール・ド・ヴィリエのスパイ小説の原書を読もうとして難渋し断念したことがありました。作家の個性を作るのは語彙だと思いますが、とくに詩の場合はもともと難しい単語を使うことが少ないもので、単純な言葉を使っていかに複雑かつオリジナルな世界を築くかというのが詩人の才能です。たくさん単語を知っていることと一つの言葉の意味を深く体得していることとはまったく別のものだということが分かります。

 細かいところでは、貝のなかに海の響きを聞くというフレーズがありました(p79)。これはコクトーの有名な詩よりも早いのではないでしょうか。逆に「牧神」のテーマはマラルメの影響に違いありません。

                                    

 各篇を簡単に紹介します。

◎XANTHIS, OU LA VITRINE SENTIMENTALE(クサンティス、多感な展示品)

 陳列ケースの中で、骨董品たちが繰り広げる恋愛劇。人形や胸像が命を吹きこまれたように生き生きと動き感情を爆発させるところが妙味。美貌の希臘のタナグラ人形を、侯爵、音楽家の胸像、牧羊神がそれぞれの個性で愛し、幸せな時間を共有するが、タナグラ人形のちょっとした気まぐれが原因で、牧羊神が彼女を壊してしまうことで、調和が乱れ、侯爵、音楽家、牧羊神とも末路を辿る。


〇DIVINE BONTEMPS(ディヴィン・ボントン)

生まれつき内に籠る性格の女性が、その性格ゆえに男性の愛を素直に受け入れられず、好きだった男性も別の女性と結婚してしまう。その後彼の妻が亡くなって後妻となり、前妻の子を献身的に看病して助けるが、その影響で自分の子は生後間もなく死んでしまう。最後は夫も死に、町はずれの小さな家で、思い出の品々に囲まれ、祈りのうちに生きる。静謐な暮らしへの憧れが溢れた一篇。


◎HYALIS, LE PETIT FAUNE AUX YEUX BLEUS(イヤリス、青い眼の小牧神)

 小牧神が人間の娘を垣間見て恋をするが、彼女は小牧神を見て逃げ出す。煩悶した小牧神は死ぬことを希望し、一ヶ月後に死ぬという魔女の毒を飲む。すると、凋落していくものへの共感が増し世界がとても美しく見え始め、広大な宇宙の神秘に触れた気がした。期日が来て小牧神は愛する人の寝室に忍び込み、寝入っている彼女を間近に見ながら死んでいく。全篇この世ならぬ優しさと神秘に包まれている。「Les dieux ne connaissent point la beauté de la mort(神は死の美しさというものを知らない)」(p115)という言葉がかっこいい。


◎ROVÈRE ET ANGISÈLE

イタリアの侯爵と島国の王女との出会い。明るいイタリアの華やかな逸楽の世界と、どんよりとした気候の荒涼とした島国(アイルランドがモデル?)の死の恐怖と悲しみに覆われた世界の対比が際立っている。それはまた美と死の対比でもある。最後にそれが合一した境地で終わる。トリスタンとイゾルデの余韻がかすかに聞こえるようなファンタジー的趣きのある一篇。

2017-08-05

[]:松尾邦之助の二冊

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松尾邦之助『フランス放浪記―思い出と随想』(鱒書房 1947年)

松尾邦之助『巴里物語』(論争社 1960年)


 松尾邦之助については、以前、玉川信明の『エコール・ド・パリの日本人野郎』を読んで面白かったので、本人の書いたものを少しずつ買いためていました。今回4冊続けて読んでいる途中ですが、まずは既読の2冊。

 『フランス放浪記』は、第二次戦争中フランスから逃れたスペインで、パリでの活動を振り返って書き始め、日本に帰ってきてから出版したもの。『巴里物語』は後年落ち着いてから人生全体を見渡して書いたもので、分量は『フランス放浪記』の倍ぐらいあります。重複した部分も多いですが、『フランス放浪記』には修善寺物語上演やギリシア滞在、香水王コチイの思い出、『巴里物語』には、自分の生い立ちや初恋、結婚話、トルコ滞在が、単独での記述。

 こうした戦前の人の波乱万丈の回顧録を読んでいると、人間の運命というのは人との出会いが重要で、とくに外国生活という不安定な場所では、ちょっとした出会いで人生が大きく左右されるようです。著者の場合、パリで生活を始めた時ノイローゼになりかけたところを救ってくれた彫刻家佐藤朝山、日本文学の紹介者となるきっかけを作ってくれたオーベルラン、雑誌を作りたいと夢を語ったら黙って大金を送ってくれた中西顕政、彼らと出会わなければ相当違った一生を送ることになったでしょう。

 人物でエキセントリックぶりの際立っていたのは、大金を詰め込んだタバコケースを黙ってプレゼントするという中西顕政の奇怪な金の渡し方、大酒を喰らっては羽織袴で詩吟を謡いモンマルトルの路上で悠々と大便をしたという佐藤朝山、十年近くパリでごろつき生活を続けて帰る間際までフランス語の単語を15、6ぐらいしか覚えなかったという石黒敬七。

 松尾氏はまた日本からパリにやって来る文化人の窓口のような存在となり、「パリの文化人税関」と呼ばれていたと書いていますが、いろんな作家が登場します。なかでは辻潤にいちばん傾倒していて、武林無想庵に対しては厳しい眼差しを感じます。面白かったのは、横光利一が、ペンクラブの大会のためにフランスに来たのに大会に出ず、フランス語で電話がかかってきても、あっさり通話を切って返辞もしなかったというところ。

 松尾氏の業績は、パリの風俗や夜の生活のレポートもさることながら、「ルヴュ・フランコ・ニッポンヌ」(1926年)、「フランス・ジャポン」(1934年)という日仏交流雑誌の刊行や13冊もの仏訳書・日本紹介の書を出版したというところにあると思います。その過程で、ロマン・ロランジッドと親しく交わり、またヴァレリーやレニエとも面談したというのが羨ましい。仏語能力を駆使してフランスで多数の出版活動をし、多くの文人と交流した初めての日本人ではないでしょうか。いや、その後もこんな人はそんなに多くはいないと思います。

 とくに興味を持って読んだのは、フランスに与えた日本の俳句の影響を述べたところで、ヴァレリーが松尾に対して、「マラルメの『ヘルメチスム』は日本のハイカイの精神であり日本人はこうした詩の原則で我々フランス人より先輩だ」と述懐したり、ド・ノアイユ夫人が「軽い雪の切片が飛び去った後に残される憂鬱と夢の一条の道、そこに人生のすべての深さがきざまれている」という意味の日本の古い詩に讃嘆したり、レニエが日本の短歌に対して「限りなく繊細で、微妙なニュアンスを持った、而も洗練された驚嘆に値する芸術だ」と述べているのが印象的でした(『フランス放浪記』p200〜204)。

 日本と西洋の比較や近代の物質文明に対する真剣な所論も目につきました。フランスやドイツの仏教礼賛者たちは、アメリカ化した西欧の物質万能主義という大洪水の中にあって、東洋の精神文化に避難所を求めたが、その東洋的なものは、おしなべてかつての古い花であり、今日の日本人や東洋人は逆にそれをさげすんでいると述べています(『巴里物語』p128)。

 また貧困と金満について独自の哲学を展開していて、「自由で幸福な放浪者と、不自由でいつも不満なブルジョア」という現象を捉え、経済学者やマルクスに「幸福」という尺度が欠けている点を指摘したり(『巴里物語』p45)、自分は「享楽する」ことで多忙を極め収入もみな使い果たしたが、「労せずして金を持った人間ども」の多くは金を使わずにため込んで「真に生を享楽すること」を知らないので、世の中は案外公平にできていると言ったり(『巴里物語』p343)しています。

 政治的な発言では、第二次世界大戦が勃発し、ドイツ軍によってボルドーまで追いつめられたとき、高官や金持ちだけが船で外国に脱走できたが、一般民衆はフランスに残らざるを得なかった状況の中で、多くの新聞人や政治家たちがボルドーではガタガタ震えドイツ兵の顔を見る勇気さえなかったのに、後になって『レジスタンス』の英雄らしく威張って現れたという有様を見て、『外国に逃げていたのでは、四千万の貧しい同胞を救うことは出来ません』と叫んだペタン元帥の肩を持つ発言をしています(『巴里物語』p377)。

2017-07-31

[]:町中の古本屋でフランス書購入

 国内ではフランス語の古本は、神田の田村書店古書会館の洋古書展ぐらいでしか、大量に見ることはありません。関西では、たまに百万遍の古書市でまとまって出るぐらいですが、大阪で飲み会のついでに天神橋筋の天牛書店へ立ち寄ったら、下記の本を見つけました。うち2冊は英語からの仏訳です。

Lord DUNSANY/Jean-Paul Gratias訳『ENCORE UN WHISKEY, MONSIEUR JORKENS?』(Nouvelles éditions Oswald、85年3月、100円)→何年か前翻訳が出ていたが、100円なのでとりあえず買っておく。

LEONORA CARRINGTON/YVES BONNEFOY他訳『LA DÉBUTANTE―CONTES ET PIÈCES』(FLAMMARION、78年3月、100円)→これは見っけものと、家に帰って所持済みの3冊の訳本と見比べたら、半分ぐらい訳されていた。

PIERRE KLOSSOWSKI『ORIGINES CULTUELLES ET MYTHIQUES D’UN CERTAIN COMPORTEMENT DAMES ROMAINES』(fata morgana、73年5月、100円)→これも翻訳があることを後で知った。以上三冊は店頭百円均一。

HENRI DE RÉGNIER『Premiers Poèmes』(MERCURE DE FRANCE、?年、2800円)→きれいにルリュールされた本。1898年初版の9刷なので、1900年初頭か。

ANDRÉ PIEYRE DE MANDIARGUES『LE POINT OÙ J’EN SUIS』(GALLIMARD、64年10月、300円)

ANDRÉ PIEYRE DE MANDIARGUES『Ruisseau des solitudes』(GALLIMARD、68年10月、300円)→上記二冊とも詩集

他に日本語の本で、筒井康隆、那珂太郎など言葉遊びの詩を集めた、

谷川俊太郎編『詩のおくりもの6 遊びの詩』(筑摩書房、82年6月、200円)

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 天神橋筋ではもう一軒矢野書房に寄りましたが、ここでは、

エドガア・アラン・ポオ佐々木直次郎譯『小説全集第五巻 黒猫』(第一書房、昭和8年7月、500円)→古びた印字の感触につい釣られて。

邦正美『舞踊の文化史』(岩波新書、84年4月、200円)

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 別の日、麻雀大会のついでに、堺筋本町天牛書店にて、

川崎寿彦『薔薇をして語らしめよ―空間表象の文学』(名古屋大学出版会、91年6月、1620円)

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 近所のBOOK-OFFで、

宇野千代『或る男の断面』(中公文庫、11年10月、108円)→東郷青児について書いていたので。

 今回、オークションでは一冊も落札できませんでした。

 先日、2〜3年ぶりに本を少し処分しました。小さい段ボールで13箱ほどですが、これでまた買うスペースができたので、しばらく安心です。

2017-07-27

[]:小門勝二『パリの日本人』

f:id:ikoma-san-jin:20170727064043j:image:w120外函f:id:ikoma-san-jin:20170727064037j:image:w230

小門勝二『パリの日本人』上巻・下巻(私家版 1969年)


 明治から昭和にかけて、パリに滞在した日本人のエピソードを小説仕立てで面白おかしく紹介しています。上下巻合わせて全部で19篇の作品が収められています。紹介されている人物は、村松梢風藤田嗣治辻潤、武林夢想庵、大杉栄林芙美子、石黒敬七、岡田時次郎、戸田海笛、青山熊治、佐藤朝山、岡本老人、井沢弘、松尾邦之助、風船お玉(以上上巻)、市村羽座衛門、渡辺紳一郎、川上貞奴・音二郎、福沢桃介、早川雪洲、渡正元、マキ・ミクラ、キョウザカ、諏訪秀三郎、池田次三郎、バロン・シゲノ、沢田秀、鮫島尚信、煌星柳太、若山鉉吉、小曽根泰助(以上下巻)。他にも名前だけ出てくる人は多くて書ききれません。

 19篇のうち面白かったのは、画家岡田時次郎が映画女優に騙される顛末を語った「つばくろ横町の歌」(これのみ上巻)、橋で出会った老人が1900年パリ万博での川上夫妻の活躍を述懐する「勲章貰った貞奴」、第二次大戦時下のパリでサムライぶりを発揮する早川雪洲の「凱旋門の侍」、宝剣をめぐる推理小説的味わいのある「宝剣葵丸始末」、陸軍第1回留学生でそのままパリに棲みつき宿屋の主人となった諏訪老人の悲しい最後を描いた「運河と拳銃」。

 「あとがき」で、著者自ら「わたくしはどうもパリに遊んだ先輩たちの遊蕩ぶりについて筆を傾けすぎたきらいがある」(下巻p313)と反省しているように、とくに上巻はやたらと売春宿やキャバレーでの乱痴気騒ぎの様子や下ネタが次から次へと出てきて、女性の読者をまったく想定していない雰囲気。男社会の酒飲み話のような書き方で、これでも筆者は毎日新聞学芸部記者といいますから、時代を感じさせます。

 小門勝二の本は、これまで『荷風パリ地図』を読んだだけだと思います。その時は、「荷風の言葉遣いが面白い。荷風のその道の弟子が愛情を持って荷風のパリの足跡をたどっている」と評価しています。実際に荷風が小門をどう評価していたのか知りたいところです。


 面白いエピソードがありました。

藤田嗣治が列車の中でフランス人から話しかけられた。「藤田という日本の画家と非常に懇意にしている。あれだけの名声をあげている人はちょっと類がない」という内容だった。そこで藤田は、「その男はいくらか知ってるが、いつも威張りくさってケチで付き合いが悪い奴だ」と返事した(上巻p67)。

 これに関連してユゴーの同じような逸話が紹介されていました。

ユゴーが夜遅く自宅に帰った時、門の近くまで来て尿意を催したので、立小便をしたところ、「ここは誰のお屋敷か知っておるのか、吾輩が尊敬しているユゴー様のところだ。そこへ不潔なホースを向けるとは不届千万なヤツ」と労働者風の男に叱り飛ばされたという(上巻p68)。ユゴーは生涯の中でもっとも得意に感じられたのはこの時と言っています。

 他に、戦争に関連したエピソード。

第二次大戦の終り頃、パリからドイツ軍が撤退する時に、パリに住んでいた日本人は、ドイツ軍と一緒に同盟国のドイツに行くか、パリに残留するかを迫られた。が、どうせ逃げ出してもあと二、三週間でドイツも降参するだろうと、残留組が優勢になった(下巻p84)とのこと。同盟国ということでは、ヴィシー政権下、日本人はドイツ人と同じ待遇でフランス人の十倍もの配給が貰えた(下巻p85)ということがあったようです。

普仏戦争の時、プロシア軍がパリに入城してきたなかに日本の四人の軍人が混っていて、彼らは日本からの軍事観察員としてプロシア軍に従軍していた(下巻p119)。また第一次大戦時には、フランス空軍に志願、空軍少尉(のち中尉)となって大活躍した日本人がいた(下巻p216)とのこと。彼の名はバロン・シゲノ、愛妻の死のショックで空で死のうと志願したらしいのですが、死ぬ気で戦ったので多くの敵機を撃墜したと言います。

 この後しばらく、松尾邦之助、石黒敬七あたりを連続して読んでみようと思います。