「憂国」(@いしかわじゅん)いうところの「愚民」

復刊ドットコムの投票速報メール。

■「約束の地・憂国」(いしかわじゅん)【投票情報】(現在69票 復刊交渉開始まであと31票)

 前回の1票が昨年の11月。 うーん、非常にスローなテンポで投票されております。

いしかわじゅん「約束の地・憂国」



 えっと。「愚民」について。
 「はてブはてなブックマーク)が衆愚化している」とか「ネットイナゴ」とか、一昔前でいうと「コメンツスクラーム!」とか、なんかその辺につながりそうな話なんだけど、ちょっと前なら大衆ってのは「サイレントマジョリティ」と言われてた、で、マジョリティだから投票とかすると「力」としては具現化するんだけど基本的にはサイレント、何もアピールがなされず雑踏のごとくなんとなくつぶやきが聞こえる程度のものなわけです。
 逆にこの「力」をうまくコントロールできればいろいろ出来る、と考える人間が出てくるのは自然な話で、体制側がそれをやればシビリアンコントロール、反体制側がやればオルグ(オーガニゼーション)。 これに腐心するわけですよ。

 しかもこれが、往々にしてなかなかうまくいかない。(今はWebでさらに難しくなっている、2.0なら尚更)

 「憂国」の話はその「コントロール合戦」がベースになっておりまして、大衆の金沢明子への欲求(つまり)を取り巻く社会的勢力
   ・公安(国家)
   ・大日本金沢塾(極右)
   ・金沢主義者青年同盟(金青同・左翼)
   ・日蓮宗金沢派(宗教)
   ・ジャーナリスト・W(マスコミ)
   ・理論的指導者「闇の金沢」(カリスマ)
のぶつかり合いを描いた壮大なスペクタクルです(過剰表現)。
 諜報あり・工作ありの政治劇ですが、基本は金沢明子です。



 大衆をうまくコントロールするにはどうすればいいんだろう、と考えてみたんですが、どうも逆のアプローチ、つまりフェイルセーフ・どうすると失敗するんだろうという発想になってしまいまして。
 まず、

  • 大衆といっても基本的には個人の集まりである。個人は十人十色というとおり、個性・能力は千差万別である
  • したがって大衆は、すべてがその個性・能力を持つわけではないが、その個性・能力を持つ個人は確実に存在する
  • 「個性・能力を持つ個人」と同様に、「個性を持たない・能力の無い個人」も同じ事が言える

ということがいえます。 つまり「大衆にはすべての可能性が存在する」ということなんですが、大衆をコントロールする上での考え方としては

  • 大衆はバカではない
  • 大衆は利口ではない
  • 大衆に行動力は無い
  • 大衆は行動を抑制しない

という一見矛盾する命題があって、そして

と考えておくのが妥当なのではないかと。 つまり

  • 見抜く奴はいる
  • 全員には理解されない
  • そうそうノってくれない
  • 突撃があり得そうなら、確実に突撃してくる

ということです。

 そういうのをコントロールしようというんだからこれは難しいに決まってるんであって、「愚民」というのはなくならないし、「愚民の群」は手に負えない、と考えたほうがいい。
 
 なくならないし手に負えないならどうすればいいのか、というのが・・・まあこれは自分含めて宿題ってことで。
 大衆(を構成する各個人)は基本的に「自分に最も都合が良いように」動く。 都合がいいってのは、楽とか面白いとか儲かるとかまあそういうの。 その辺に答えがある気がするのです。 直接的な対処を考えるのではなく、大衆の都合・モチベーションを考慮して対処する、というような。



 ということで、「憂国」に興味ある人は復刊ドットコム・いしかわじゅん「約束の地・憂国」への投票をお願いします(笑)
 読んでみれば、「ああ、確かに炎上とかネットイナゴとか祭りって、こういうことだよなあ」と思う事請け合いだと思うのです。