東芝の「一律賃金カット」がもたらす最悪の結末 優秀な社員から逃げていく

日経ビジネスオンラインに4月7日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/040600039/

東芝労働組合に提示した「緊急対策」

 経営危機に直面している東芝労働組合に対して、さまざまな手当の削減などを盛り込んだ「緊急対策」を提示、組合側もこれを受け入れた。

 会社側が提示した「緊急対策」は、一般社員の①時間外勤務手当や深夜手当の割増率の圧縮、②裁量性やフレックス制の休止、③出張旅費の見直しなど。例えば、時間外勤務手当は平日130%だった割増率を法律で定められた125%に引き下げる。さらに「業務手当」や「半期成果加算」も取りやめることになった。「海外職務手当」は資格によって異なるが、ヒラ社員の場合、月額5万円が4万8000円になる。

 いずれも4月から来年3月までの措置としており、組合も「雇用の確保のためには、現下の深刻な経営状況から一刻も早く脱却することが喫緊の課題」だとして、受け入れを決めている。

 米原子力子会社の経営破たんによって、2017年3月期は1兆円を超す赤字に転落するとの見通しを明らかにしている東芝だが、第3四半期である昨年10〜12月期の決算すら正式発表できていない。通期決算がいつできるのか、それを監査法人が承認するのかも不透明なままだ。これだけの赤字なのだから、雇用条件を一律にカットするのは致し方ないことのようにも映る。

「皆さんは自信を失わないでほしい」

 だが、働いている従業員からすれば、釈然としないに違いない。実際、米原子力発電事業での巨額損失を明らかにした2月14日に、綱川智社長はこう社員に語りかけていた。

 「本年度の業績問題は私を中心とする経営陣の舵取りにあって、決して皆さんが作り出す技術や品質が問題を起こしているわけではないので、自信を失わないでほしい」

 かつて自主廃業した山一証券の野澤正平社長は、記者会見の席上、「みんな私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と号泣した。それを彷彿とさせる発言である。

 不正会計問題に決着を着け、出直そうとしていた矢先に発覚した子会社の原子力事業での巨額赤字。東芝本体の社員からすれば、突然、天から降って来た災厄と感じているに違いない。しかもそれが、自分たちの待遇悪化という実損を伴う形になってきたのだ。

東芝社員のモチベーションの下落に拍車

 東芝社員のモチベーションはどんどん低下している。経営陣の説明に納得している人も少ない。東芝の現場では少しずつ人が辞め、そのしわ寄せが残った社員の労働環境をさらに悪化させている。若手で精神を病む人も増えているという。優秀な人材ほど、仕事が集中するのは世の常だが、非常時ともいえる今の東芝ではそれが極端な形で進行している。そこに今回の「緊急対策」が追い打ちをかけている。

 「上限いっぱいまで残業して仕事をこなしているのに、その残業代をカットするというのだから、やる気が失せますよ」と中堅社員は吐き捨てる。緊急対策は「一律カット」だが、結局は歯を食いしばって現状を打破しようとしている優秀な社員ほど、カットの実損を食らう。モチベーションの下落に拍車がかかる。

“日本型ワークシェアリング

 欧米企業が経営危機に直面した場合、まっ先に大幅な人員削減を打ち出すケースが多い。固定費である人件費を削減することが、会社再建に即効性があるからだ。いわゆる「ジョブ型」の雇用契約で、社員それぞれの仕事が明確になっている場合、ある事業の縮小や休止を決めれば、自動的に仕事がなくなる社員が一定数生まれる。その人たちを削減するのは半ば当然の経営判断として行われる。

 一方の日本企業は業績が傾いたくらいでは人員削減に踏み込まない。「雇用を守る」ことが至上命題であるかのようだ。日本人が外資系企業の雇用形態を語る時にしばしば言うのが、「外資は給料が高いけど、いつクビになるか分からない」というセリフだ。実態はだいぶ違うのだが、逆に言えば、「日本企業は日ごろの給料は安いけれど、終身雇用でクビにならない」ということになる。実際、日本の経営者も雇用には手を付けないことが絶対的に正しく、もしリストラをやれば、社長辞任は不可避というムードがある。

 そうした中で、日本企業がもっぱら取るのが「一律カット」だ。経費の一律カットから始まり、残業手当の一律カット、ボーナスの一律カット、そして賃金の一律カットへと進んでいく。終身雇用が前提だった時代、社員にとっても、会社に潰れられてはおしまいだから、カットを受け入れる。そのうち会社が立ち直ればカットは元に戻る。もちろん、事業が縮小すれば仕事がなくなるので、「社内失業」状態になる人も出て来る。それでも皆が耐え忍ぶ。「日本型ワークシェアリング」とでも言おうか。

 労働組合も社員全体の待遇を会社と交渉する立場上、「雇用を守る」ことが最優先事項で、待遇の見直しとなれば、「一律カット」でなければかえって困る。ということで、労使ともに、「リストラよりも一律カット」で難局を乗り切ろうとすることになるわけだ。

「リストラよりも一律カット」は正しいか

 だが、企業が破たんの危機に直面した時、本当に「リストラよりも一律カット」が正しい経営手法なのだろうか。やる気のある人のモチベーションを削いでは、経営再建はままならない。仕事が集中してむしろ忙しくなっている優秀な人たちが、「一律カット」によってモチベーションを失えば、会社自体に愛想をつかして、他社に転職していくきっかけになりかねない。東芝社内でも優秀な若手ほど転職に動き始めていると言われるが、「緊急対策」がむしろ人材流出の引き金を引くことにもなりかねないのだ。こうした優秀な人材を失えば、会社が復活する道は絶える。

 筆者が欧州に駐在していた2002年頃、ITバブルが崩壊して企業業績が大幅に悪化した。当時、スイスやドイツの金融機関は軒並みリストラに乗り出し、中には全従業員の2割を削減した銀行もあった。

 その時、取材したリストラされたスイスの銀行の行員の話に驚いた記憶がある。退職に伴って通常よりも割り増しの退職金を得たこと、上司に「景気がよくなったら、戻って来たまた一緒に働いてくれ」と言われたことを、あっけらかんと語っていた。しばらく休養したうえで、別の仕事に就くと言っていた。驚くほど悲壮感はなかった。結局、彼は3カ月ほどして別の仕事に就いた。スイスの失業率は低く、仕事を探すのに苦労はなかったのだ。

「新天地で活躍する幸せ」もあり得る

 いま、日本では「人手不足」が深刻化している。3月31日に総務省が発表した2月の完全失業率は2.8%と、遂に3%を割り込んだ。世界的にみれば、3%でも完全雇用の状態だが、それが2%台に突入したのである。そんな中で、経営危機に直面した企業が「雇用を守る」ことを第一に考えるのは正しいのだろうか。生産性の低いところに、貴重な人材を抱え込んでいると言えないだろうか。

 大企業が抱える相対的に優秀な人材が、リストラによって「労働市場」に供給されれば、人手不足に悩む企業にとっては大きな助けになるはずだ。社員にとっても、「雇用を守る」という大義名分の下、「一律カット」でどんどん待遇が悪くなっていくよりも、自分の力を生かせる新天地で活躍する方が幸せと言えるかもしれない。

山一証券の社員が外資系企業を活性化させた
 かつて、山一証券が自主廃業した時、山一社員の失業が大きな社会問題になるかに見えたが、実際には他の証券会社や金融機関に吸収されていった。優秀な人材が労働市場に出てきたことで、当時、日本市場への進出を狙っていた外資系企業などにとって、人材確保の大きなチャンスになった。その後、日本で外資系証券会社のシェアが大きくなったのも、山一証券の破綻なくしては起こり得なかったと言えるのではないか。

 しかも山一証券の社員は優秀な人が多く、その後、新しい金融サービスなどで活躍した人も多い。何せ、社員が悪かったわけではなく、経営が悪かっただけなのだから。これは、日本長期信用銀行日本債券信用銀行などのケースでも同じだった。

 日本を代表する老舗企業である東芝の経営危機は、これまで「当たり前」と思ってきた日本企業の雇用慣行や労働市場のあり方を考え直すチャンスである。