ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新渡戸シンポの感想 その1

今日は「パチパチそろばんの日」です。ご存じでしたか。
小学校5年頃から中学2年頃にかけて、そろばん塾に行っていました。蝉の鳴き声と共に、8月8日のポスターまで目に浮かぶようです。

暗算が速くなるように、指を動かして頭の回転が多少はよくなるように、という親の願いから通い始めましたが、結構楽しかったです。毎月のようにどんどん進級試験を受けて、結果をいただくのが励みでした。大学3年の春休みにオランダのペンフレンドの家に泊まった時、ゲームをしていて、私が一番計算が速いのに驚かれたことを覚えています。机の上で指を動かして数字を言う度に、「なに、なに、なに?」と家族中がびっくりしていました。(先進国でもヨーロッパの人って、案外、数字に弱いんだね)と内心思ったことまで覚えています。

しかし、マレーシアにいた頃、大学のマレー人の先生方の前で、若造のこちらが先に計算した数字を言った途端、パニック状態になって嫌そうな顔をされたのに出くわして以来、何事にもゆっくり相手を立てるようにしていたら、こちらまで計算が遅くなってしまいました!(人のせいにするな!!)

ただ、インド系や華人のお店に入ると、本当に計算が速くて心地よかったです。最近、インド式九九などと呼ばれるものが流行っていますが、確かにインド系は数字に強かったです。ことばの習得も器用で、マレーシア人の中で最も英語が流暢なのは都市部の中流インド系だと、あるアメリカ人が言っていました。

さて、新渡戸シンポの感想を始めましょう。全体の率直な印象を言えば、「私には、もはや能力的にも時間的にも体力的にも関係を持てない分野」と改めてあきらめを持たされるものでした。語弊なきよう申し添えますが、これは、シンポジウムが失敗だったとか、主催者のやり方がまずかったという意味では、全くありません。主催者の意図を正しく理解しているかどうかも、心許ないものがあります。言いたいのは、知識としては理解できる部分が予想以上に多かったものの、関心の持ち方の相違やら私の限界やらを再認識させられる内容だったということです。

この種の言語問題に関心の強い方達には、「これからもどうぞお続けください。ご成功をお祈りします。ただし、私は遠慮させていただきます」と申し上げたいと思います。いえ、嫌味や皮肉じゃありません。こういう分野に対する向き不向きがあるということと、ハッキリ言ってしまえば「言語だけを扱っているエリートの議論ですね」ということで、表向きの敷居の低さに比して、目に見えない敷居を感じさせるわけです。怒っているのではなく、ただ、そういう風に思わせるような雰囲気がどこかにあった、ということです。つまり、敷居の低さは、必ずしも精神の自由度に比例しないのです。

平等とか民主主義とか人権とか平和とか、そういうことを議論したがる人に限って、実は隠された権力志向があると、先日借りてきたショスタコーヴィチの本には書いてありました。(「わたしの若かったころ、男女同権論者や婦人参政権論者たちは異性にたいしてかなり軽蔑するような態度をとっていた。しかし、そのような場合でも、彼らは銅像のためなら喜んで金を出したであろう。」『ショスタコーヴィチの証言』ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳・中央公論社 1980年, p.234)

多分、その通りだろうと思います。特に、ことばは誰もが使うものである以上、ことばに関して、誰しも何らかの意見を持っているのが普通でしょう。少数言語絶滅の危機だとか、英語帝国主義だとか、おっしゃっていることはいちいちごもっとも、学生時代から結婚前にかけて若い時期には、そういう本もたくさん読んでいたな、などとシンポジウムに出席して懐かしかったのですが、では、果たして現実には、議論している間にも現に発生している問題に対して何ができているのか、となると、これがちょっと疑問なのですね。また、議論に熱中できるタイプならばよいけれど、黙って聞いている人々に対する配慮があるかどうかとなると、言説と実践の乖離がなきにしもあらず…。(アンケートでは、乖離の「乖」の文字を間違えてしまいました。熱気と換気状況のためか頭が朦朧としてきて、辞書も手元になかったので…自言語すらまともに操れない私が、どうして世界の言語問題について語れようか!!)

手話通訳も一部にありました。手話を必要としている人は、会場の前方に座って、内容のまとまり毎にうなづいていらっしゃいました。それを見て、もしも耳が聞こえなくなったら、私も手話通訳を要求するだろうか、とつい考えてしまいました…。好きな音楽を聴けなくなり、淋しい思いをすることになるでしょうが、多分、自宅で本をいっぱい読んで、手紙をたくさん書く日々を送ることになろうと思います。外出時には、必要なコミュニケーションに備えて、メモ帳とペンを持参するでしょう。これは、人生半ばで聴力を失った者だからこその対策なのですが、手話を学ぼうとするかなぁ…。めんどくさがり屋だから、多分しないだろうと思います。聴力以上に、私が子どもの頃から恐れていたのは、視力を失うことです。目が見えなくなったら、それこそ困ります。情報量は、視覚の方が断然多いと聞いたことがありますので。その場合、点字通訳を要求するでしょうか?やはり、どこかで遠慮するような気がします。

これは、権利や差別の問題ではなく、当事者の性格や物の考え方によるところだろうと思います。例えば、私事で恐縮ですが、主人の母は子どもの頃の風邪が原因で、ずい分前から耳が遠いのですが、いくら私達が「補聴器を買いましょうよ」と勧めても嫌がって、あえて不自由なままでいることを選択しているのです。補聴器をつけることによって、自分が「障害者扱い」されるのが嫌だ、というのです。自分のプライドの方が、聞こえなくて不便であることに勝るようなのです。これは理屈じゃありません。本人の固い意志なのです。

主人だって、難病の診断を下された当初は、特定疾患の助成制度があるのに、拒否態勢をとりました。この病気の薬はとても高価なのです。でも、最初の頃は薬も少なかったせいもあり、「自払いできる、他人の世話にはなりたくない」ととても意固地でした。「将来のことを考えて、少しでも制度をうまく利用したら」と勧めても、「自分で稼いだもので払ってみせる」とまで言っていました。私にしてみれば、(一生続く薬なのに、一緒に暮らしている者のこともちょっとは考えてよ)という気分だったのですが、これこそが患者の心理なのですね。こういう時には、説得を試みてもかえって逆効果です。ある時には、悪い人に騙されて「百万円かけて治るなら安いもんだ」とまで言っていました。笑い事じゃありません。当事者でなければわからない深刻な心境なのです。

熟練したセンスのよいお医者さんなら、こういうことにも短い言葉かけで、非常に巧みに対処されます。幸い私共は、大病院の多い京都と大阪で、とても恵まれていたと思います。ですが、病院の少ない地方では、的確に対処できる医師も相対的に少なく、大変でしょう。患者友の会はさすがに目敏く、本当によい医師や病院の情報がすぐに共有されます。また、最近、特定疾患対象の取り外しが厚生労働省でいったん決められましたが、友の会の働きかけと尽力によって、来年まで持ち越しという‘成果’を上げました。署名活動の時、世知辛い世の中だから協力者は少ないだろうと思っていたら、蓋を開けてみると案外、普段は無関心のように見える若者が、とても温かく協力してくれた、といううれしい報告も読みました。

話はずいぶん逸れましたが、何が言いたかったかと言うと、本来、この種の議論よりも、当事者の気持ちと状況に寄り添った実践が大事なのであって、言語問題に関してもそれは言えるのではないかということです。言語の専門家が、実際に、エスペラントも含めて何言語かを習得してボランティアで通訳までこなすところを見せられたところで、一般人は羨望を抱きこそすれ、かえって尻込みしてしまうのではないでしょうか。(私がそうです!)一般人の心をどこまで動かすか、そちらの方が、エリート内部の議論を公開されるよりも効果的であり、大切なのではないかと思った次第です。

そうしてみると、せっかくのエスペラント実践を、間近で拝見する貴重な機会に恵まれながら、実践に接したために、かえって(じゃ、やめとこうか)という気持ちになってしまった今回の私の経験は、どう解釈したらよいでしょう。こんなことを私がブログ日記で書くと、主催者は不愉快になるかもしれませんし、「では、もうこれからは連絡を控えます」という可能性もあります。こっちの気持ちも知らないで…と怒らせてしまいそうですが。ご苦労はよくわかっているつもりです。数ヶ月前にも何度かメールのやり取りをして、マレーシアかインドネシアで、誰か発表できそうな人いないかな、という話もあったので…。私はマレーシア関係者として、率直な実情をお伝えしました。そして、その意見は聞いて頂けたものと思います。それは、このシンポジウムのプログラムとなって現われていました。

うーん、私がこのようにやや辛口になってしまうのは、緊急の非常に大切な問題を扱っていながら、しかも新しく意欲的な試みをしていながら、上述のように、「言語」だけを取り出して議論しているからなのだろうと思います。

比較が妥当かどうかわかりませんが、例えば6月の国際聖書フォーラムの時には、一種の格式高い雰囲気が会場には漂っていた一方で、この「ユーリの部屋」でも書いたように、何人かの方々との会話(当然、名刺交換も有)があり、緊張のうちにも満足感がありました。(スシロ先生方の存在も大きかったとは思います!)ところが今回は、知り合いが少なくなかったにもかかわらず、また、内容も決して未知分野ではなかったにもかかわらず、主催者への短い挨拶とS子さんとの会話以外、二日間、誰とも口をきかなかった、いえ、きけなかったのです。名刺交換どころじゃありません。これは一体何なんだ!!

この続きは、また明日にしたいと思います。