ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新渡戸シンポの感想 その2

昨日の午後、町主催による歯科検診に行ってきました。「大変きれいな歯です。このままうまく続けば、最後まで自分の歯でいけますよ」と言われ、俄然ファイトが湧いてきました。この検診は、定期的に無料で診ていただけるのです。利用できる制度は最大限利用させてもらわなければ、もったいないと思います。
一昔前までの主婦は、とかく家族を優先して自分の健康問題は後回しというタイプが多かったように聞いていますが、今はどうでしょう。かつては、自覚症状がなければ、公的な健康診断なんて行ったことなかったお母さん方もいたかもしれませんが、現在では、早期発見・早期治療がうるさく言われていますので、変わってきたかも…? このような検診データは、5年間、市が保管することになっていますが、これが国民全体の健康レベルの総上げに結びつくなら、税金を払うかいがあるというものです。安倍さん、民意に反して続投すると公言した以上は、国政の舵取り、本当にしっかり間違えずにやってくださいよ!今日は折しも長崎原爆の日ですし..。

ところで、昨日の「ユーリの部屋」では、新渡戸シンポの感想について、やや漠然としたことしか書けませんでしたので、今日はもう少し具体的に私的提案めいたものを書こうと思います。とはいえ、主催者にとっては内部事情というものがあるでしょうから、あくまでこれは一外部参加者の勝手なコメントです。その点どうぞご了承ください。

さて、昨日の英語版はてな日記(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)の方では、マレー語の新聞記事を載せました。今までは、英語の文章を中心に、ドイツ語文やドイツ詩も少し含めていましたが、アルファベットを用いる以上は、必要に応じてマレー語も入れていきたいと思います。

日本語と英語を別として、何とか今でも、中級レベル程度までは理解できて使える言語といえば、ドイツ語とスペイン語とマレー語ぐらいでしょうか。プロフィールを見てくだされば、もう少し詳しい「ユーリの外国語学習歴」がありますが、とにかく、才能があって言語学習の好きな人ならともかく、私にとってはこれでも毎日、現状維持だけであっぷあっぷです。

ドイツ語とスペイン語は公的な資格試験に合格していますので、「中級レベルは通過した」と多少は自信を持って言えるのですが(それでも、使うたびにいっぱい間違えて恥ずかしい思いを繰り返しています)、マレー語は、マレーシアに滞在することで学び覚えた言語ですから、情けないことに、いつまでたっても自信がありません。マレー語は簡単だと多くの人がよく言いますが、それは入門の扉が広く開いているという意味に過ぎず、また、単純な日常会話レベルの話です。本格的なイスラーム文献などになると、なかなか手強いものですし、王族や大学教官などに、礼を失さないきちんとした手紙が書ける人となると、極めて限られてきます。

以前にも少し書きましたが(2007年7月26日付ユーリの部屋「マレー語社会での呼称について」)、「インドネシア語とマレー語は同じだ」と言い切る人に限って、実はご本人の自覚以下にことばができていないことが多いのです。それが証拠に、東京外国語大学インドネシア語科を修士まで出られた方が、1980年代に初めてマレーシアを訪問した時、「ことばがわからなくて困った」とおっしゃっていたのを直接、聞いたことがあります。インドネシア語に秀でているからこそ、マレー半島のことばに違和感があるのでしょう。今でもスペルの相違がなかなか埋まらない部分も残っていますし、たとえスペルが同じ単語であっても、意味がまるで逆だということもあります。発音そのものが異なることも珍しくはありません。そういうことにも気づかないで「できる」と思っている方が、実は危険な兆候だろうと思います。

ある時、マレーシアから来京されたマレー人にマレー語で話しかけたら、「ま、オラン・ジュプン(日本人)もマレー語話すようになったのね」とあからさまに軽蔑的な調子でしたので、(これは下手だという意味だ)と反省した次第です。この方はマレーシアにある国際イスラーム大学の教官でしたが、こちらがスカーフもしていない非ムスリムなので、なおさら、教養階層ムスリムに対する敬意として、英語を用いた方が無難なのです。

去年の11月にマレーシアを訪れた際、首都圏の西洋風レストランなどで、以前よりもマレー人店員が多く働いているのに気づきました。従来なら、英語を話す華人かインド系のウェイターやウェイトレスが目立っていたように記憶しているのですが。注文や支払いの際、若いマレー人店員にマレー語で話しかけると「あら、マレー語話せるの。でも、何だか学校の本から出て来たようなマレー語ね」と言われてしまいました。「私、何か間違ったこと言ったかしら」「いえ、正しいマレー語です。でも、私達マレー人なら、そんな言い方はしません」。

1994年頃、マラヤ大学言語学部のある華人教官から、「マレー人は普通、非マレー人のマレー語の間違いを正面から指摘することはありません」と教えられました。確かに、私が昔教えていたマレー人学生達も、同じことを言っていました。相手がマレー語を間違えたら、自分もその間違えた言い方に沿って返事をしてしまうのだそうです。これでは、相手は自分の間違いに気づかないままになってしまいます。これが、マレー人の優しさと礼節でもあり、放置しておけば他者によって劣勢に追いやられてしまう弱さでもあります。ともかく、上記のエピソードに戻るならば、この会話は、マレー人の意識変化を示すものなのか、それとも私のマレー語が、黙っていられないほど聞くに堪えない堅苦しいものだったという意味なのでしょうか。

問題は、私がマレー人と心から親しく付き合っていないという点にあります。マレー人学生達との接触はありましたが、今では元学生の方が、すっかり日本語が流暢になってしまい、それなりの社会的地位も得ているため、言語能力だけでは立場が逆転してしまいます。ですから、マレー語を使うわけにはいきません。また、マレーシアのキリスト教共同体は、基本的に、非マレー人の宗教という位置づけですので、リサーチの上でもマレー人と交流することはあり得ないのです。せいぜい、ごく限られたインタビューでお話を聞けるマレー人の先生がいるかどうかという程度ですが、その場合でも、先述のように、大学関係者は英語を用いた方が無難というより礼儀ですらあります。

もう一点、マレー半島に限っての特色かと思われますが、注意しなければならないのは、外国人であまりにもマレー語が流暢過ぎると、「改宗ムスリム」か「マレー人をキリスト教化したがっている宣教師」とみなされる傾向があるということです。1990年代の英語論文に既に書かれていることですが、どういうわけか、日本人研究者ではっきりと言及しているケースは、私の知る限り、まだないようです。(あればご教示ください。)

今回の新渡戸シンポに対して抱いた私なりの疑問は、こうした実体験に基づくものです。

その他にも、細かい点で気づいたことを列挙いたします。

1.主催者がまだ30代の若手一人という過重責任について
シンポジウムの最後で、主催者の挨拶として「この半年、もし失敗したらどうしようという夢ばかり見ていた」という発言が聞かれました。率直なところ、(こういう発言をさせてはいけない。上智大学は一体何をしているのか?)と思ってしまいました。いくら優秀な人であっても、責任を特定の人に負わせるというのは、健全とはいえず、倫理的にもよろしくありません。

2.参加費について
そこで問題になってくるのが、やはり参加者からお金を徴収すべきではないか、ということです。お金を受け取ることで、学生ボランティアにも謝礼が出せるし、きちんとした専門家を外部から招待することができ、運営上、気持ちにも余裕が出てくるのではないかと思います。付け加えるならば、ボランティアの通訳はあまり感心しません。お金を得ることで、気持ちのどこかで質にも違いが出てくるものであり、参加者の方も、発言に責任と自由が付与されるものだと考えます。

3.会場での展示物について
学生を動員してもいいから、発表者の著作や関連書籍の展示や写真などを、前座の位置づけにあるシンポジウムでも提示した方がいいのではないかと思いました。例えば、時間切れになって「この続きは、ホームページで見てください」という一言で済ませてしまった発表者がいました。それならば、発表者の印刷物や出版物を初めから示した方がよいと思います。参加者はスケジュールの合間をぬって、遠方からわざわざ来たのだから、顔と顔を合わせなければできないことに集中すべきではないでしょうか。

4.プログラムすなわち人選と内容に関して
正直なところ、やや詰め込みすぎの感あり。今回、夜行バスで出かけることにしたのも、プログラムを見て、午前の早い時間から始まるのにびっくりしたからです。これでは、関西在住でも、朝一の新幹線か飛行機ということになってしまいます。発表者でもないのに、それだけのお金をかける価値があるのでしょうか、という発想にも結びつくわけです。換言すれば、多様性の現実に対して、あまりにも平等とか人権とか言い過ぎると、収拾がつかなくなります。人間は悲しいもので、気配りできるのにも限度があります。主張すればするほど、かえって自分の首を絞めることになりかねません。

今後は、シンポジウムそのものに絞り込んで、佐藤全弘先生のご講演、英語の問題、エスペラントなどについて、感想を記していければと思います。