ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ユーリの部屋 再開します

しばらくお休みをいただいていた「ユーリの部屋」を再開いたします。

本棚の整理に資料作りに、とテンションを上げて集中して頑張ると、その後、どっと疲れますねぇ。小さな子どもがいたら、こんなことをしてなんかいられません。そして、お留守番をしてくれた主人。私の調子の波がわかっているので、いつものように、食糧なども買い揃えておいてくれていました。本当に申し訳ないと思いますし、だからこそ、一生懸命やらないと、という気持ちになります。

ある時、マレーシアで一緒に仕事をしていた男性の上司が、私の話を聞いて、「いやあ、それは幸せな結婚をしたよ、ユーリさん。でも、そういうことが当たり前だと思ったらいけないよ」とおっしゃいました。マレーシアの関係で家を空ける度に、もちろん私だって葛藤がありましたし、リサーチの困難さにほとほと嫌気がさしていたところだったのですが、その方が、「でも、もしそのことで研究をやめてしまったら、かえってご主人に失礼だよ。そういう理解のあるやさしいご主人の気持ちに報いるためにも、最後まで貫徹するように」と言われました。

その方は日本人ムスリムなのですが、元はクリスチャンでした。改宗するのに問題はなかったと、私には力を入れておっしゃいました。けれども、人生で犠牲にされたものが、あまりにも大きいのではとも思います。若い頃のご業績を知るだけに、愕然とした思いがあります。別の日に、華人の元同僚の方も「あの先生は家族のために自分が犠牲になっている」とおっしゃっていました。

正直なところ、私も時々、(マレーシアなんかに派遣されていなければ、本当はもっと私らしい人生で、能力ものびのびと発揮できたのではないか)と思うことがあります。ピアノだって続けていたでしょうし、ドイツ語やスペイン語ももっと磨きをかけて(?)、古典文学などをたくさん読んでいたでしょう。子育てをしながら、茶道を続けたり、何らかの社会活動をしていたかもしれません。少なくとも、気持ちの上でもっと余裕のある暮らしだったはずです。

ただ、どういうわけか、このような成り行きになってしまいました。そして、マレーシア行きの前には感じたことのなかった、屈辱的な対応を受けることもあるということを知りました。いわゆるズィンミー・メンタリティというものです。

しかし、その先が問題です。そこから逃げ出すのか、あえて留まるのか。自分に課せられた意味を見出し、それに応答しようとするのか、拒否するのか。ある場合には、逃げることも大事です。でも、とりあえず安全ならば、意味を探り求める必要もありましょう。

人生は問いかけの連続です。求めても答えは得られないこともあります。ただし、果たすべき役目は精一杯果たさなければとも思います。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲に惹かれるのは、あの時代と状況の中で生み出された音楽に、どこか共鳴する部分が私の中にあるからでしょう。これを書きながら、今も聴いています。

中東アラブやイスラエルでは、クリスチャン人口が激減していると聞きます。でも、ヴァチカンからは「出国して移住したいという誘惑に打ち勝ちなさい。あなた方はそこに留まりなさい。そこにあなた方が存在することが必要なのです」と勧告が出ていると、マレーシアのカトリック新聞で読みました。
何とも苛酷な勧告です!人口移動に伴う受け入れ国側にとっての負担を可避する意味もさることながら、イスラームの教えにはなく、キリスト教だけが持つ思想と実践が、その土地から消えることを懸念しているからなのだそうです。

似たような話はインドネシアにもあります。インドネシアの大統領が、暴動の発生した地域でクリスチャン達に「私達にはあなた方が必要なのです。ここにいて隣人愛の実践を続けてください。イスラームには、真の隣人愛という教えがありませんから」と言われたそうです。

マレーシアに話を戻すと、ムスリマが自宅内でレイプされそうになった時、逃げ出して保護を求める先は教会だそうです。なぜ教会の場所を知っているのかはわかりませんが、ムスリムはクリスチャンが思う以上に、キリスト教の動向を見ているのだそうです。教会は、建前上も本音でも、すべての人に開かれた場所ですから、追い出すことはできません。ですから、そういうムスリマをかくまい、必要ならばクリスチャンの医者に連絡し、宿泊の世話をしてくれるクリスチャン家庭を探すのだそうです。できるのはそこまでですが、もしその先、そのムスリマが聖書を読みたい、洗礼を受けたいと言ったら、聖書を渡すことはできますけれども、その後はご本人の意志次第です。また、外部に知られた場合、教会は窮地に陥ることになります。

リナ・ジョイさんのような事例は、勇敢な珍しいケースですが、彼女のおかげで、日本のマレーシア研究者も多少は認識が変わってきたのかもしれません。今回、その話が一部に出て、ようやくこれで先生方の本音に近い部分が聞けたと思いました。しかし、そこに至るまで犠牲にした時間とコストを考えると、これまでの「研究ごっこ」は、一体何だったんだろうと思います。そして、私に向けられた筋違いな助言やコメントも。

だいたい、今のキリスト教系大学って、そのための使命をちょっと忘れていやしませんか?かつてのブランド名に安住し過ぎです。やることなすこと、世界的潮流から遅れているのに!なんで神学部が、ある地域の聖書問題を長年調べているクリスチャン研究者を追い出して、非ムスリムも含むイスラーム系研究者を贔屓にしているんでしょう?(←中東から誰かが来て、首が飛ぶからだそうです。)そういう話も、今回、他の大学の先生方からお聞きすることができました。私の方はと言えば、マレーシアのクリスチャン達から、「それはおかしい!」と2004年初頭に聞いているんですが...。もしも、学位云々を条件とされるなら、どうして数年前に私が相談に訪れた時、何も手だてを教えてくださらなかったのか、それも疑問に思います。こっちは本当に困っていたんですから。