ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オランダ語訳聖書の話など

昨日は、ジャワで翻訳されたマレー語聖書との絡みで、オランダ語デンマーク語などの聖書翻訳史について、少し調べてみました。なぜならば、最初に訳された1629年版のマレー語福音書は、オランダ東インド会社の社員が訳したオランダ語との二言語だったからです。では、オランダ語の聖書は、いつ頃からできたのでしょうか。そして、なぜ、聖書をマレー語にも訳す許可が下りたのでしょうか。
また、マラッカにはデンマーク出身の宣教師も来て、マレー語聖書翻訳を試みた形跡があるので、デンマークの聖書翻訳状況も知る必要性に駆られました。
これらはすべて、もちろん、ドイツ語訳聖書の歴史も踏まえた上です。
残念ながら、オランダ語デンマーク語は、単語から意味を推測できる程度で、きちんと勉強したことがないのですが、さすがは英語の概説によれば、(なるほど、これはおもしろい)と頷けるようなお話が含まれています。先日の神戸バイブルハウスでのお話にもあったように、一般に日本では聖書といえば英訳に関心が集中するようですが、考えてみれば、ヨーロッパ史の勉強には聖書翻訳史も含まれるわけで、ようやく今になって、知識の上で、点が線になった感覚を持てるようになりました。
もっとも、聖書翻訳の歴史に関する概説書のような本は、これまで英語と日本語で何冊も読みました。日本語よりも、英語の方が文章に流れがあって、生き生きと読めます。それは、書き手の歴史感覚や、聖書に対する批判的な分析と同時に、文化の源泉としての思い入れが行間ににじみ出ているからであろうと思われます。日本語の方は、自分達にとって必要な知見や情報を基軸とした論述のため、わかりやすい一方で、どこか「キリスト教の宣伝」が混じってしまっていたり、価値観が混入していたりして、(それはどうかな)と感じさせられる点がなきにしもあらず、です。他方、英語で書かれた概説書をそのまま日本語訳してみたところで、なんらおもしろくもないでしょうから、結局は現状維持、ということになるのかもしれません。
私自身も、館外持ち出し禁止の本が多いのと、時間の制約のために、インデックスを見て、必要な箇所だけを部分コピーで済ませざるを得ないのが残念ですが、ある程度、自分のテーマがまとまってきたら、じっくりと最新の聖書翻訳の歴史書をひもといてみたいなあ、と思っています。
スペインの巡礼の旅のご案内をいただきました。教会巡りをするそうなのですが、スペイン語を話せなくはないため、団体旅行ではなく、個人旅行の方がかえって楽しいかもしれないと考えて、またの機会に譲ることにしました。この歳になると、「またの機会」が本当に来るのかどうか、心配にもなってきます。シンガポール旅行だって、沖縄や北海道への旅だって、主人と行く予定だったのができなくなってしまいました。これを考えると、これまでマレーシアのリサーチを続けることができたのが、本当に不思議でなりません。
一方、マラヤ大学の指導教官だったマヤ先生などは、ますますお元気で、マドリードも含め、世界各国の学会で発表を精力的に続けていらっしゃいます。年齢を考えれば、体力的にもきついことがあるのかと思いますが、この先生と知り合ったことの最大の収穫は、工夫次第で、人生が大きく開けるという実例を見せていただいたことです。もちろん、その頑張り方は並大抵のものではありません。でも、マレーシアのような国のマイノリティ中のマイノリティでも、このように勤勉に実践していけば、徐々に周囲が認めていくという実例に触れることができ、新たな刺激を与えられて感謝です。