ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

割り切って前へ進もう

4月。世界的大不況の厳しい選抜の中、入社式や入学式など、うまく「枠」におさまった人は、期待と抱負に胸ふくらませていることと思います。おめでとうございます。同時に忘れてはならないのは、先人の地道な努力と枠に入ることを理不尽にも拒まれた人々の存在。物事は何でも両面あり。自分だけうまく時流に乗ってやろうなんて浅ましい考えが、いつまでも続くものではないでしょう。その点で、人間社会は公平です。
昨日書いた、シンガポールとマレーシアに古くから続くある共同体文化のことを、今も調べています。こんなに楽しく励まされるものか、と新鮮な思いでした。何より、当該地域における経済的余裕とバイタリティのある文化共同体で、外部の私にとっても心理的制約がほとんどなく、興味しんしんです。これは、リサーチテーマを選択するのに重要な側面ですね。これまで、何度もやめたくなったのは、「センシティヴ」の一言で、気を使わせられる割には大した実りが得られないというギャップと損失感のおかげです。しかも、だからといって、何ら社会的実益がもたらされるものでもない、という...。
「損するとわかっていたら、そんなテーマ選ばなければいいじゃないですか」と言われたことがあります。それまで、意義があるかどうかで物事を判断してきて、損得感情でテーマを探したことがなかったので、言われた時にはびっくり仰天しました。何でもきちんと研究しておかなければ、いざ何か事が起こった時に判断を誤る可能性が大だというのに...。
もっとも、ある人が数年前に次のようなことを書き送ってくれました。「なぜやっているのかわけのわからない研究もある中で、ユーリさんのしていることは、重たい現実ながらも、変な言い方ですが、どこかほっとします」。もし本当にそうならいいのですけれども...。
今のところは、家庭の事情があって、家で調べ物を続けています。でも、いつまでもこんな生活ができるわけもなく、本当にこの先どうなるのだろうか、と毎日思っています。手足の動きが不自由になり、傾いて立っている主人。日に日に進行していく病気。完治することは、現代医学では無理そうです。このような状態でかれこれ10年にもなります。お互いによくがんばったと我ながら思いますが、今振り返っても、私が家にいなければ、きっと共倒れになっていたでしょう。
初めの頃、ある人が勝ち誇ったように急き立てて言いました。「だから、早く資格をとって、あなたも外で働かなければだめでしょう?」でも、私が外で働いていたら、家事は一体誰がするのでしょう?ゴミや洗濯物がたまり、ほこりだらけの家の中で、食事も買ったもので済ませるのですか。誰が公的機関との間で、諸手続きに回ってくれるのですか。仮に、お金が入り、所属によって外面的には落ち着いたとしても、家庭生活というものが欠如してしまいます。それでは、単なる同居人暮らしであって、結婚の意味がありません。夫婦共に健康であってさえ、家事分担やら子育て問題など、共働きは大変だというのに...。
そういう基本的なことがわからない人、あるいは勘違いしている人が上に立ってもらっては困るのです。現実を考えずに、理屈だけで、あるいは自分の価値観だけで人を裁断する傾向があるからです。職について自分で稼いでいることが「自立」なのだとその人は考えているようです。でも、「他の人との関係をうまくやっていくことが自立なのだ」と、数日前の新聞朝刊で作家の重松清氏がおっしゃっていました。「人生は勝ったり負けたり、いろいろ。だから、負けに負けるな」と。
そうはいっても、今から振り返れば、反省がないわけでもありません。随分前のことですが、ある先生が、私を「学会デビュー」させようと思ってか、書評を依頼してこられたことがあります。直接面識のある先生でもなく、特に何らかのコネがあってのことではなかったので、突然メールをいただいて恐縮しました。でも、その書評のテーマが全くの専門外であったことと、どうしても主人の病気のことで気分が沈みがちで混乱状態だったので、よい仕事ができる心理態勢になく、結局はお断りしました。それを伝えると、ある人から、「バッカじゃない?自分からチャンスを逃すなんて。一度断ったら、もう二度と仕事の依頼なんて来ないよ」と言われてしまいました。(実際にはそうではありませんが。)
今は、時間が経過したこともあって、(私達の人生、これでいくしかない)と割り切れるようになりましたし、当初予想していた以上に主人の職場の人達が気を使ってくれ、ここまで働かせていただいたので、その頃よりは「安定」しています。割り切ると、なりふり構わず本質主義になります。余計な神経を使うこともなくなり、案外、自由な発想で視界が広がっていくものだということに気づきました。

「肩書を外した時に人がどう対応するか」が、その人の実力なのだそうです。何もない今、かえって地肌が丸出しになっているわけで、その意味ではチャレンジングでもあり、いい時期なのだろうと思います。