ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

信州松本へ その一

地球が発熱しているのではないか、と思われるような暑さが続きます。
毎日、ルーティーンをこなすだけではなく、気分転換も必要とのことで、一泊二日で信州松本へ行ってきました。
今回の旅は、朝晩二回の温泉と旅館の細やかなおもてなしの食事でリラックスしたのみならず、松本城江戸千家のお点前、開智学校、カトリック司祭館、信州大学キャンパス、旧制松本高校跡をぐるりと見て回り、教育熱心な伝統を誇る地方都市のよさを再確認することができました。この文化風土は、どこか戦前の尾張とも相通ずる点があるのではないか(参照:2009年12月20日・12月21日・12月22日・12月25日付「ユーリの部屋」)、と自分のルーツが新たに甦るような誇らしい気分を味わわせていただきました。
松本は、記憶違いでなければ、私にとって初めての場所ですが(幼少期にもしかしたら連れて来られたかもしれませんが、覚えていません)、ずっと行きたかったところでした。
思いがけず、キャンパスの中で、大叔父の書が彫り込んである石碑を信州大学医学部前で見つけて、本当にうれしかったです(参照:2008年4月22日・8月6日・2009年12月15日・12月16日・12月27日・12月28日・12月29日付「ユーリの部屋」)。逆光なのでなかなか文字が入りにくくて苦労しましたが、何とかカメラにおさめてきました。苦心しながら何度も写真を撮っている私達を見て、誰も何も言いませんでしたが、もしかしたら、不思議に思われたかもしれませんね。
私が中学二年の時にできた碑でした。その時から、もっと大叔父のお話を直接聞いていたなら、学校生活がずっと生彩を帯び、深い自信とはっきりとした目的意識を持って、くだらないことを言う人があったとしても、笑って聞き流すだけの度量を備えていただろうに、とも思います。

地域医療に奉仕する医学生を育てるための激励を常に惜しまず、象牙の塔を飛び出して、地元の人々との触れ合いを大切にしようとした大叔父でした。それに倣って、もっと理数系の成績がよかったならば、私だって、使命感に燃えて医学か、せめて薬学の道に進めたかもしれないのに....。うちの父だって、その昔、医学部にも合格したそうですし、父方の叔母も医学博士なのですから、全くの荒唐無稽ではなかったとは思うのですが...。どこでどう間違ってしまったのでしょうか。抑圧的で画一的な受験競争を強いられたせいでは?
学生さん達は、誰もが落ち着いて質素で堅実な雰囲気を備えていて、そびえ立つ山々に囲まれた静かなキャンパスへ、ほとんどが自転車で通っているようでした。京都や大阪のいわゆる有名大学とは、まったく違う気風で、同じく地方出身の私には、むしろこちらの方が合っているし、好きです。
明日、この続きを書きます。