ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

不思議な導き

関西に居住するようになって以来、私の抱えていた問題意識について(参照:2011年5月11日付「ユーリの部屋」)、14年後の今、思いがけない方向から糸口が見つかった、という点では、確かに意味がありました。「そんなことにいつまでもこだわっていないで、早く自分のテーマを片づけたら?」と叱られそうですが、そうはいっても、私にとっては、(ここが落ち着かないことには、先にも進めないじゃないの)と、長年、思っていたのです。だって、前にも書いたように、そのような教会は、そもそも説教内容が違うし、人への対応さえ異なっているのですから。大阪、京都、兵庫は、キリスト教系の学校が多く、従って教会も多いので、よく確かめないことには、何が何だかよくわからないのです。

中部教区を境にして、西と東ではそれぞれの教区の状況が違います。(四国教区は西では例外。)概して東では、基本的な信仰の一致を保つことが出来ると考えている人が多いようです。しかし西では、それは無理なことだと考えている人が多いのです。(中略)そう、西に居ると思わされます。それは、信仰告白の位置、聖書の規範性、教会理解、関心の方向といったものが全然違うからです。未受洗者の陪餐の問題は、今に始まったわけではありません。随分前からあるのです。しかし、西ではそれを問題にするという教会的風土がないのです。」
小堀康彦牧師「合同教団はいかにあるべきか その8 明日の教会を目指して」改革長老教会協議会『季刊 教会』No.38, 2000年3月号 p.43

そうなんです。まさにぴったりの文章を見つけてしまいました。関西では、もし私が何か言い出したら「そんなことは問題にもならない」と鼻で軽くあしらわれてしまいそうな、そんな雰囲気さえ見え隠れしています。「名古屋の人は保守的だ」と勝手に決め付けられたこともあります。よく言えば「おおらか」なのか、悪く言えば「しっかりと考えていない」というのか。そういえば、本件について雑談していた際、ある方が「関西はナンパだよね」と言い、意味を問い返した私が「ここはユルイよね」と余計な返事をしたところ、もう一人の若い方が「(よそは)きちんとしている」と、模範解答を出されたことを思い出します。

ところで、改革長老教会の先生方や本件について批判的に考察されている方達の中には、結局のところ、日本人の心性として、聖書講釈中心の礼拝を好む伝統が続いていて、だから、サクラメントを放棄した無教会があり、従って、聖餐についても真剣に考えないのだ、というような考え方もあるように見受けられました。ただ、昨日も書いたように、私がドイツの事例で支えとした友人のエッセイを(参照:2011年8月27日付「ユーリの部屋」)、許可なく引用させていただくことで、ささやかな反論を試みたいと思います。無教会の人と言っても、決してそうじゃないのです、と。
2006年7月に学会出席した後、コーネル大学近辺のルーテル教会の礼拝に行った経験から、話は始まります。礼拝説教では一体感を感じたのに、という先の文章が重要で、そこを引用いたします。

Doch da fing das Heilige Abendmahl an. Eine Stunde, wo ich als nicht getaufter Mukyokai-Christ immer nicht weiß, was ich machen soll. Es ist nicht, dass ich das Abendmahl nicht mag oder nicht verstehe. Ich bin sicher, dass es sehr wichtig ist und etwas Gutes. Ich respektiere sehr die, die das Abendmahl austeilen, und die, die daran teilnehmen. Doch ich glaube nicht, dass die Taufe die Bedingung zur Erlösung ist und bin daher nicht getauft. Deshalb habe ich nicht das Recht zum Abendmahl zu gehen. Auch wenn es die Leute von der Kirche nicht wissen, kann ich nicht mit denen, die es von Herzen ehren, teilhaben. Ich möchte sehr gerne mit den anderen daran teilnehmen, doch es kommt mir wie eine Beleidigung vor, als ob ich die, denen diese Form sehr wichtig ist, hinterginge. Doch die anderen wissen nicht, was in mir vorgeht. Sie schauen mich nur verwundert an. Da ich am Gang saß, musste ich wie im Theater oder im Flugzeug raustreten und alle an mir vorbei lassen. Die ganze Einheit, die ich vor kurzem gefühlt hatte, schwand und machte einem Fremdsein Platz.

例によって、あずき色が重要です。聖晩餐(das Heilige Abendmahl)の執行者にも与る人々へも深く敬意を抱きつつも、無教会キリスト者としての自分の信念から、「形式上、聖餐を受ける資格がない」と考え、むしろ、聖晩餐を重んじる人々への「侮辱」(Beleidigung)ではないかとの思いから遠慮した、彼女の複雑な心境がよく滲み出た文章ではないでしょうか。
続く文章は、東京の大学に就職した後、都内の教会のみならず、ロシア、フィリピン、ギリシャなどの正教会カトリック教会に出席した経験が綴られますが、割愛いたします。ただ、最後の段落で、今回読み直して、新たに考えさせられ、美しいと感じた箇所のみ、ここへ写します。

Dabeisein ohne Engagement und ohne aktive Teilnahme nicht genug ist. Besonders bei z.B. so etwas wie dem Heiligen Abendmahl schwindet die oberflächliche Vereinigung und gibt einer romantischen ewigen Sehnsucht Platz.

その翌月、彼女はドイツへ行き、お母様ゆかりの村の教会で、親族とご一緒の聖晩餐式に参列することになります。その際、イタカでの疎外感(einsam)とは違った意味での感覚があったようですが、少なくとも、「ベンチに残った」のは、洗礼を受けていない無教会家族の一部だったようです。換言すれば、身内の多い礼拝であっても、無教会キリスト者としてのアイデンティティと、ドイツのキリスト者への敬意から、やはり聖餐を受けなかったというのです。

Nach dem Erlebnis in Ithaca im Juli hatte ich ein ähnliches Erlebnis in Deutschland im August. Um den 35sten Hochzeitstag meiner Eltern zu feiern, war die ganze Familie in der Bronner Kirche versammelt, wo meine Eltern geheiratet hatten. Mein Onkel, der damals die Trauung gehalten hatte, hielt die Predigt. Das Abendmahl wurde auch gefeiert, wobei ich und einige aus der Familie auf den Bänken sitzen blieben und einige am Abendmahl teilnahmen. Dieser Gottesdienst wurde von mit mir innig verbundenen Leuten gefeiert und da auch andere Mitglieder der Familie wie ich nicht zum Abendmahl gingen, fühlte ich mich nicht so einsam.

日本語訳はつけません。問題なくドイツ語文が読める方にこそ、これを読んでいただきたいからです。ドイツの教会では「未受洗者にも開かれた陪餐の傾向にある」とは、一体、どこの誰が責任を持って言えるのでしょうか。その結果、日本国内の小さな群れの中で、どんなことが起こっているのでしょうか。確かに、ドイツの神学者の中には、さまざまな議論をしている方達がいるでしょう。彼女も、1998年のドイツ滞在中、そのような見聞をしています。けれども、大事なのはそこではない。日本でよく聞かれる、教会離れの著しいドイツとはいえ、彼女の経験では、必ずしもそのような人々ばかりではなかったとのことです。
そればかりか、「つなぐ境界線―開かれた共同体をめざして」(Verbindende Grenzen−Auf dem Weg zu offenen Gemeinschaften)というドイツ語表現を、彼女のお兄さんが2001年12月に書いた、全く別のエッセイからも再発見しました。読んだ当時には、そこまで何も考えていなかったのですが、何とも不思議です。ただし、次のような意味においてです。

„Wir brauchen Grenzen und das Verbot ihrer Überschreitung, wenn die Arbeit an einer grenzenlosen Welt einen Sinn haben soll.“

上記のドイツ語文は、そのお兄さんによる訳で、元はユーリ・コッホというソルブ作家の言葉だそうです。「越えてはならない境界線が必要」だという深い逆説に、ご注目いただければと思います。
ここ数ヶ月の私の状況を、遠くから本当に心配してくださった彼女と、9年前から、継続してドイツ語と日本語の家庭信仰誌をお送りくださっているご家族への感謝の気持ちをこめて、ここにご紹介させていただきました。本当にありがとうございます。