ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

土俵が違う

多少は苛々させられるものの、落ち着いて考えれば、土俵が違うことに気づきます。
こちらは、21年間も、ほぼ毎日のようにマレーシアのことばかり考えて暮らしてきました。研究発表も10年以上、毎年続けています。好きだからというより、(これは大変な現象ではないか)と気づいたためです(一例として次を参照:2011年9月26日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110926))。
そもそも、学校を出て最初の3年間は、突然送り込まれたマラヤ大学の業務でマレー語の書類が回ってくるので、ほぼ必修。英語よりもマレー語、といった勢いの時代でした。また、マレー人学生のべ300名に教えてきたので、イスラーム知識は、当然身につけなければならないという状況に追い込まれたのです。もう、何が何だかわからないままに、必死で理解に努めようと、文字通り汗水垂らす生活でした。
だから、今でも、どのジャーナリストやどの研究者がハッタリを言っているか、肌感覚でわかります。社会的地位や肩書とは無関係。ちょっと会議か何かでマレーシアに行ったぐらいで、致命的な間違いを堂々と含むエッセイみたいなものを書いて、そればかりか、こっちが知らないと思って人前であちこち喋るような、そんなのとは年季が違うのです。
そこで、私なりの「いい先生」の定義。
数日前、友人に送ったメールの部分転写(‘著作権’は筆者の私にあると思うので、受取人の許可なく無断引用)です。

今なら、先生のご研究内容がわかりますし、接点もなきにしもあらずだと思うのですが、当時は何やら遠い雲の上のような感覚がありました。


また、あの頃はあの頃で、先生の方も「私はよくわかりませんから」と遠慮されていましたし、(お手紙でも「専門が違っていたので戸惑いがあり、ご迷惑をかけたことと思います」と記されていました)仕方がなかったかな、と。


でも、いろいろ調べていくうちに、(確かにいい先生だったなぁ)と、残念に思うのです。「いい」というのは、政治的に権勢を振るうので利益のおこぼれにあずかれるという意味ではなく、どちらかと言えば地味だったけれど(でも見た目のよい方!)、仕事は手堅く、極端なことや意地悪いことを決しておっしゃらなかった、リベラルで広い考えの持ち主という意味です。


●●でのわけのわからない経験と比べたら、遥かに意思疎通がスムーズで、よくわかってくださるという感触があります。副の立場から関わりが薄かったとはいえ、元指導生だということで、定年退官された名誉教授でも、一応は責任を持たれているからでしょうねぇ


人間関係を上手にやればいいのに、と言われたこともありますが、本質的にそういう問題じゃなかったのではないか、と思うんです

封印していた学生時代の思い出が、パンドラの箱を開けたように次々と飛び出してきて、いろいろと考えることの多いこの頃。結構、細かいことまで覚えているんです。どの先生がいつどこで、どんな靴と服装で何をおっしゃったか、ということなど....。
上記の「先生」に関しても、(あの集まりの時、ズボンの片方のポケットに手を入れてお話になられた)ということまで思い出すんです。なぜ「ズボンのポケットに手」なのかというのは、文脈から含みがあり、先生同士の人間関係の状況が如実に浮かび上がってくるのです。今ならわかりますが、当時は、光景だけは目に焼き付いていたのに、そこまでは見抜けませんでした。若かったなぁ。考えようによっては、そのことで身を守っていた面もあったのでしょうけれども。

今朝の朝日新聞に、小さいけれど重要な記事が載っていました。
日文研所長が講演」という短い報告。猪木武徳氏のお話の要点は次のようなことです。

・欧米の研究機関の関心が日本から中国やイスラム世界に変わっているとする傾向を危惧。
・食文化やアニメといったサブカルチャーなどに多様化していると指摘

もちろん、多様化を手放しで首肯されているわけではないことは言わずもがなです。

最近、知のサロンとか知のサークルという現象が目に見えて減ってきたように感じています。各種研究会のメーリングリストを見ても、(悪いけど、あまりおもしろくないなぁ)というのが正直なところ。イスラムと言っても、私の場合は、実地面で流行に先駆けていたわけで、だから科研費申請なども、バカらしくてやっていられなかったという反骨精神もないわけではありません。