ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

キューバを理想化する人々

日本の若い世代の中で、現在および将来に経済的な不安を持っている人達が、なぜかキューバを理想化し、共鳴しているらしいというウェブサイトに偶然目が留まりました。私は内容に全く賛成していないので、ここではアドレスを挙げませんが、昨日も書いたように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130907)、視野を広く持ち、自分にとって都合の悪い内容でも、(そのように見られているのだ)と直視し、少なくともその事実を知っておく必要があると改めて痛感しました。
何に共鳴しているかと言えば、あるがままのキューバの現状ではなく、チェ・ゲバラの娘さんが二年前に来日講演された際に聞いたという、「理想化されたキューバ」なのだそうです。教育費は無料で、明るく陽気な人々が楽しく暮らし、食糧自給率が高い、などの宣伝を鵜呑みにしているようなのです。
早速、キューバにしばらく住んでいたという日本人男性による、具体的な記述や写真を含むホームページも見てみました。
確かに子どもを大変に重視し、教育費は大学まで無料だが、レベルは大変に低く、特に田舎はひどい。学校内外での競争をなくし、分からない人にレベルを合わせるとか。学校以外の時間でも、家にそれぞれ集まって、出来る人が出来ない人の面倒を見る制度がある。一見素晴らしいようだが、伸びるはずの子も伸びなくする可能性がある、と筆者は指摘されていました。
何年も前、我が町の有機食品を売っている小さなお店のガラス戸に、「キューバは素晴らしい」という手書きのチラシが貼ってあったのを覚えています。(今でもそんなことを!)と仰天しましたが、上記のウェブによれば、プロパガンダを鵜呑みにする人々が多いのですねぇ。有機食品と環境問題とキューバ、という組み合わせが、いかにもいかにも....ですが。
しかし、「学校競争をなくし、分からない人にレベルを合わせる」というのは、実は私の小中学校時代には、当たり前のように新聞などで見聞した話でした。むしろ、理解の早いことが罪悪であるかのように語られていたと思います。「自分だけ一人で先に進まないように。分からない級友にも教えてあげましょう」と奨励されていました。
今振り返ってみると、自然な流れとして教えるのは当然としても、何か作為性を感じる教育法でしたねぇ。

(追記)一見、麗しいのです。協調性を養うとか、お互いに教え合うことで学び合う、というグループ学習は。全体の底上げを図るとか、均質度を高める、と言い換えられてもいました。また、「出来る子は、どんな環境でも自分で出来るから」とも言い含められていました。でも、教員の側がしっかりと子ども一人一人の能力や個性を見抜いて、うまく采配しなければ、「子ども目線で」「子どもの自主性に任せる」「大人の押しつけはいけない」というお題目の結果、何をやっているのかわからないままに時間だけが過ぎていくと思います。健全な競争はあってしかるべきで、それをなくしてしまったら、社会に出る年齢になった時、恐怖心に囚われるがオチではないでしょうか。