ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

訃報:バリー・ルビン教授

驚きました。この週末、気分転換にと鹿児島と宮崎に二泊三日の旅をした後、帰宅して一息ついた昨晩、何となくフェイスブックを見る気になって開いたところ、テル・アヴィヴ在住のバリー・ルビン教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130925)の訃報に接したのでした。
(ほぼ同じような状況は、マレーシアでお世話になっていた故エディ・ホー牧師の時にも起こりました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130905)。長らくご病気だということは知っていたものの、しばらく連絡をお休みしていた後、突然気になってフェイスブックを見ると、トップに友人知人からのお別れの言葉が次々出ていて、ぎょっとして調べてみると、同日のたった数時間前にご逝去だったと...。)
日本風に言えば虫の知らせというのか、遠い外国の地にあっても、お目にかかったことがなくても、民族や言語や宗教や国籍が違っていても、確かにコミュニケーションを取ったことが一度でもあれば、何か感じるものがあり、伝わるものなのでしょうか。
そもそも、ルビン先生のお仕事を知ったのも、ダニエル・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=150)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)がしばしば引用されていて、拙訳にも含めたことがあるからなのです(http://www.danielpipes.org/12003/)(http://www.danielpipes.org/13089/)。類似路線で論陣を張っていらっしゃるので、ルビン先生の著作も読めば、パイプス訳文がもっと正確に、もっと深く意義づけできるようになるかと思い、フェイスブック仲間に入れていただいたのが、昨年5月3日のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130524)。パイプス先生経由でルビン先生を存じ上げるようになったと書き添えたところ、「こちらからもありがとう」と、短くもすぐにお返事が届いて感激しました。そして、新著『イスラエル紹介』の電子版紹介も即座に送られてきました。
ルビン先生の詳細については、英語ブログの方に書きましたので、そちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140204)。ジョージタウン大学を卒業され、ヘブライ大学やバル・イラン大学でも教鞭を執られました。今年1月22日が、『ルビン・レポート』とヘルツリヤで主宰されていたグロリア・センターのニュースレターの届いた最後でした。
ともかく仰天し、すぐにパイプス先生にメールを送ったところ、約一時間後にお返事。
「中東フォーラムにとっても、よき貢献者でいらっしゃいましたね(http://www.meforum.org/author/Barry+Rubin)」「ガンに苦しみ、化学療法を受けていらっしゃったことは存じ上げていたものの、2014年1月22日まで著述を続けられた強い情熱に非常に励まされていました」と書いたところ、最後の「中東研究にとって何て大きな損失なのでしょう」という私の言葉を引用した上で、次のように書き送ってこられました。

「そうなんだ。彼は僕より四ヶ月若くて、僕達の経歴は全く相似していた。昏睡状態に陥ったとの知らせを受けた時、僕は泣きそうになった(felt near tears)」。

意識不明は先月末のことだったようです。
フェイスブックの友人を信頼されていた信仰厚きルビン先生は、昨年の秋頃だったか、肺ガンから脳に転移したことを打ち明けられ、「執筆を続けたいが、この頃タイプミスが多くて困っている。誰か草稿をチェックしてくれるアシスタントはいないか」などと極めて率直でした。また、昨年のヨム・キプールの時には、殊更に「自分が迷惑をかけたり失礼をしたならば、どうか許して欲しい」とも書かれていました。その中でもワシントンに出かけ、アメリカの現在の中東外交の危険性を悟ったとのことでした。帰国後は体調を崩されたようですが、合間に少しでも書き続けようと意欲を燃やされていました。そして、化学療法の回数やご自分の副作用の症状も真っ直ぐに打ち明けられ、ドクターからの前向きな「かなりよくなっている」という言葉をそのまま信じていらっしゃるかのようでした。時には、よい薬を求めて、フェイスブックで誰か知っている人はいないかと頼んでもいらっしゃいました。
どんなに具合が悪くても週に数本書くと決めて、次々とメールで配信されていたので、混沌として悪化を辿る中東情勢について読むのも理解するのも大変でしたが、一方で(イスラエルの病院やお医者さんは優秀だから、日本とは違って正直にあるがままを伝える方針で、本当に「快方に向かっている」のかもしれない)と楽天的に構えるようにはしておりました。それだけに、さすがに私にとってもショックでした。
バリー・ルビン先生のように勇敢でストレートな方に対して、ユダヤ系の人々は、お悔やみに際して‘Baruch Dayan Emet’とおっしゃるのだと、今回初めて学びました。「真の裁き司は幸いなり」の意味だそうです。
後継者を探し始めているところのパイプス先生だって、これほど私生活を犠牲にしてまで一生懸命に中東とイスラームの分析と政策提言に人生を賭けて必死だったことから、貴重な同志を失って、本当に気落ちされていることと思います。
ユダヤ旋律を巧みに織り込んだショスタコーヴィチの曲を聴く度に、私はいつも「ユダヤ民族の歴史はほとんど泣き笑いである」と言ったとされる大作曲家の言葉を思い出します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)。一見強硬派で強いように見えても、内面では(こんなに努力しているのに、なぜ我が民は...)と嘆き哀しみ、涙を流すエレミアのようなユダヤ的なるものを、ルビン先生のご生涯から、そしてパイプス先生のメールから、今も感じています。

(https://twitter.com/DanielPipes)
Daniel Pipes ‏@DanielPipes 17h


Mourning #BarryRubin. We go back to 1979. I admired his many writings, starting with "Paved with Good Intentions": http://www.danielpipes.org/8219/paved-with-good-intentions

(引用終)